なんせまだ8+1台です。告知のページは毎日見に来られる人がいるのになあ。
だんだん不安でドキドキになっております。今現在、初代4台、二代目2台、三代目2台と別車種1台(予定)の顔ぶれです。
今月や来月の開催はちょっと現実的ではないので春以降の話になりますが、第17回買い出しトライアルは、第1回目(リポート内リンクのいくつかは切れています)の方式を応用して、弁当の買い付けをやりながらゴールを目指す企画で立ち上げようと考えています。買い付け先は地図上でこれだけ確認できるので、くじ引きで行き先を決めるやり方になります。
これから検討していくのは、スタート(集合)地点とゴール地点ですが、利根川の向こう側から走り出して埼玉県側に向かうか、その逆がいいか思案しています。あとは「鶏肉食べられない―」という人のためのケアもしなくちゃならないですが、買い出し品目の代替候補が店舗によっては予約注文に近いというところがハードルです。
まあその前に参加者居ないとお話にならないんですが。
という表題は、昔ガロが歌っていた「吟遊詩人」の歌詞の一部で、阿久悠さんが紡いだ言葉です。
などと振っておきながら唐突に最近の話題にすっとばすのですが、偶然にも二人の知人から、コンクールに出すのだけれどとと、それぞれが執筆した小説を読ませていただくこととなりました。
70代の知人は戦後から東京オリンピック(最初の方)前後にかけての、静岡県の産業の一つであった「きりや」という仕事の記憶を綴った短編小説を、ソフトこそ使えど印刷した生原稿。40代の知人はインターネット上に連載を続けているヒロイックファンタジーの長編小説。
2人そろって(互いに彼ら同士の交流は無い)意外な才能を同時に見せてくれました。これをどうして「つくばーど®」のカテゴリで書いているかと言えば、今でこそスズキエスクードで遊ぶ行き当たりぱっりのつくばーど®なのですが、その前身はクロカン四駆で林道ツーリングする小グループで、さらに遡ると同人小説の集団だったからです。
そんなこと言っても、僕なんか最初から才能なかったし、根気も続かないので何も残していませんですよ。だから彼らの才能だとか情熱だとかには、頭が下がる思いです。何が違うかって、どちらも不特定多数の誰が読んでも物語として受け止めていける。僕の場合、エスクード誕生30周年のウェブ上に何篇かの物語仕立てを書き留めましたが、まず下手くそだし万人受けしませんから。
彼らがれぞれエントリーしようとしているコンクールの内容は聞いていませんが、もし入賞なんかしちゃったら、思いきり讃えたうえで奢らせてやろう。なんてろくなことを考えないくらい堕落してます。
ただし、それらが面白いとは一言も言ってません。
和邇さんが数年の闘病治療から大方解放され、職場復帰なさったそうです。治療の成果は世界初の
珍事快挙だとのことで、医療陣ももろ手を上げて喜んでいるとか。今だから書けますが、いや詳細は書けませんけれど、一時はサイドキック2号を譲りたいなどという不安極まりない話もありました。
それで、復帰はとにかくおめでたいことと近況を聞いたらば
「以前からみなとみらい界隈はトヨタのセコイヤやら日産パスファインダーやら物好きなクルマが走り回っていたんですが、先日とうとう、左ハンドルのジムニーシエラと、海外仕様のS‐Crossが目の前を走り去りましたよ」
※上の写真はみなとみらいじゃありません
「さらにですよ。教授さんが乗っていたものを一度しか見たことのない三代目ショートが2台も現れましたよ。他にもロングの三代目、現行の四代目、着飾ったジムニー、ラングラーとか、もう不思議時空が発生したのではないかと」
それはきっと、怪奇・・・じゃない、快気祝と復帰の前祝ですよ。
「総力戦には位置も、設備も因縁も申し分ないさ!!」って、何が総力戦なんだかさっぱりつながりませんが、固定ページにて告知したとおり、スズキエスクード35周年のための記念撮影の仕切り直しと、簡単なオフラインミーティングを開きます。
急な話で恐縮ですが、ご協力いただける方、ぜひとも3月19日のご予定を空けておいてください。
位置に関しては主催者が卑怯者呼ばわりされるような場所です。設備は駐車場とあずまやしかありません。因縁に関しては、ほんとに申し分ないところです。なにしろ天狗の森スカイロッジが以前のスタイルで無くなってしまったため、大勢の車両を入れられません。
しかしこの展望台については20周年記念イベントや3月のやせ我慢花見や夏の暑気払いと、幾度もエスクードユーザーにお集まりいただいた場所です。
コロナ禍の継続も懸念されますので、その対策は個々にお願いします。
参加していただける方は雷蔵までご連絡ください。
36年間 待ち望んでいたはずなのに・・・ なンでしょう、この胸に去来する虚しさのような感情は・・・・・・
昨日から検索ワードのトレンドトップだそうですが、満を持して、というほどのものか? これ。っていうほど予想通りのジムニー5ドアでした。昔、エスクードにノマドが追加された時も「ノー・メイド」って言っちゃったけどね。
和邇さんの落胆は想像に難くないのです。ジムニーにラングラーやメルセデスの真似させちゃうばかりか、そのくせヘビーデューティーさの香りも漂ってこない。ついでに言えば、シートベルトが4人分で、内寸幅は3ドアと同じ。
これではとてもノマドの再来とは・・・でも国内で正規投入されたら、バカ売れするんでしょうねえ。
どうする和邇さん!
新年おめでとうございます。という割にはなんかこう、これ使っていいのか?の表題にしました。なぜかというお話をだらだらといたします。
本年、スズキエスクードは誕生35周年を迎えます。どこかの雑誌が昨年と勘違いして既にそんな記事を見てしまっての2023年は、まあいいや、ESCLEVの創設20周年も同時に進めれば。などと二兎を追おうとしたのがいけなかった・・・話ではありません。
1988年にエスクードがデビューした後、当時群雄割拠していた四駆雑誌はこぞってこれを取り上げてくれました。そのなかで、あまりにも専門的に評価され、乗用車然とした四駆の中途半端さも示唆されたのですが、4×4マガジンにおいては「スズキは二兎を追いかけ丸々と太ったウサギを手に入れた」と書いておりました(確か同誌だったとあやふやな記憶)
デュアルパーパス性能のどちらに重きを置くかで、ゴリゴリのクロカン四駆テイストは薄まっていかざるを得ませんが、結果的に昨今のSUVのクロスオーバー性を35年も前に提言し、記憶に残る1台を作り上げたと言えるわけです。これぞまさしく一挙両得、一石二鳥の逸話の始まりでした。あっ、そっちを表題にすればよかったのか。でもことしは卯年なのでそうもいかない。
そうは言っても、ゴリゴリでなくても往時のクロカン四駆から四代目のハイブリッドまで、世の中に翻弄され、時代の先取りを模索しなければならなかったエスクードは、三代目以降少しずつユーザー間の「言葉」も通じなくなってきました。初代なんてイメージでしか知らない人々が多数です。どことは言いませんがヒルクライムレース用のマシンをサーキットに持ち込んだからと言って、エスクード自体はあんな扱いに耐えられる四駆ではありません。だいたいがスズキのエンジン積んでいないし。
ハイブリッドへの移行時、世間では一時期廃盤などと揶揄しているけれど、あれはメーカー側の戦略ミスだと感じています。ブランド自体が35年続くという慶事は、やはり讃えるべき出来事だと思うのです。事程左様に二兎どころかあまりのマルチパーパスな舞台にわたって走っているのがエスクードのブランド力なのです。
師ですら走りまわる多忙の年末と言いますが、僕の師匠の何人かを思い起こすと、奔走していた人は一人もいなかったなあと、いろいろな場面で使い走りさせられたことばかりが記憶に残っていました。
今年の自分を振り返ると、例年より忙しかった割にはBLUEらすかるを走らせた距離が約42000km。酷使していた割には50000kmに届きませんでした。
2023年1月に掲載するはずのプレミーティングの件で、雑誌に約束を反故にされるまでは、けっこう充実した2022年でしたが、それ以降は気分の失速で走る気にもならなくなったまま年末です。エスクードに関しては30周年のウェブ企画で出せるものほぼ出してしまったし、温存していたゲストは理由と状況が何であれ手が後ろに回っちゃったしで、こんなんで本番となる2023年の35周年にやる気でるのか? 正直言って「ルパン三世カリオストロの城」にて、担当職務を外され飲んだくれていた銭形警部の気分です。まあやる気なんか出ないですからなるようになるでしょう。いつまでも大人げないとも思いますけどね。
とりあえず今年の仕事も私事もすべて(でもきっと、なんか忘れていると思いますけど)済ませました。久しぶりに正月の注連飾りも設営しました。三が日はなんにもしませんと胸には誓いましたが、俺って意志弱いからなあ。そんなことはどうでもいい話なので、本年も多大なお世話になりましたと御礼申し上げなくては。皆様にあっては良いお年を迎えられますように。