ラリー「Door of Adventure鮫川」に出走していたあおいろさんから「こんなところにいたのか!」というメールと写真が届きました。つくばーど®の「SSレイド」で2008年末に設営した課題地の005「宇宙石」(出題名は「えあーずろっく???」)からです。ラリーのルート上だったとか。
むむむ・・・こんなにいい天気の日に行けたことないぜ。
ラリー「Door of Adventure鮫川」に出走していたあおいろさんから「こんなところにいたのか!」というメールと写真が届きました。つくばーど®の「SSレイド」で2008年末に設営した課題地の005「宇宙石」(出題名は「えあーずろっく???」)からです。ラリーのルート上だったとか。
むむむ・・・こんなにいい天気の日に行けたことないぜ。
この日、天狗の森では総勢65台もの自転車が林道側をヒルダウンする競技が催され、危ないので基地を留守にして出かけておりました。
それが大いに油断を喫していたようです。いないときに来るなっての!(まあそれでは奇襲にならんけどね)
この前日だったら僕はここにいたのです。この秋一番クラスの空と地平線で、それを撮影に来ていました。
まったくさー、すれ違っちゃったじゃねーかよーっ
「雷蔵さんのエスクードのことについて教えてほしいのですが。1200字くらいの原稿書こうと思って」
えっ? と驚いちゃいましたよ。ノスタルジ屋の店主・松浦さんからそう言われてお店に行きましたよ。あら福島県からいらしたと思しきヘリーハンセン・リミテッドが停まっていました。が、ここは本編とは関係ありません。聞けば郡山から三時間かけてやってきたとか。
そのお客さんがお帰りになるのを待って本論に。松浦さん、クルマやバイクの古いカタログ販売で店を切り盛りしていますが、実はクルマに関してはかなり疎い。たぶん霰よりは上で霙よりは下くらいの位置付。まあそれは置いといて、何ゆえうちのエスクードのことを書こうと思い立ったのかを聞いたら、
「目標にしているメーターが100万キロに達したとき、ゼロに戻るのかその手前で止まってしまうのかを気にしていらしたでしょう? それが面白そうで」
「でも、一台のクルマが100万キロを走ろうっていうのは大きな話題になるでしょう? 注目されるのは間違いなくて」
「四国にいらっしゃるセドリックのオーナーみたいに、テレビ局が取材して放送されればの話ですよ。今しがた帰られたお客さん、僕や僕のクルマのことなんか、となりに停まっていたのに知らなかったでしょ? こういうのはメディアが取り上げて世に出なけりゃ人知れず到達するそれだけのことなんですよ」
到達できるかどうかもわかんないけどね。
「雑誌に売り込んだりはしないの?」
「昔は30万キロで投稿したりもしましたけど、あの頃はエスクード自体が売れっ子でしたからねえ。いま注目する人なんかいないでしょ。されているならとっくにオファー来てますよ。投稿するにしてもそのタイミングは実際に100万キロになって記録写真でも撮っておかなければ誰も信じない。何かに掲載されたらされたで、オドメータがリセットされるのかされないのかのほうに話が行っちゃうんじゃないですか? 松浦さん自身が語るに落ちてるし」
というような話をして、松浦さんが知りたいエスクードのいくつかの基本データを説明し、まじめに書いたら1200字では足りなくなるくらいの情報を提供してきましたが、さてどんなお話を書いてくれるのか。だけど楽しみではありますが、何かに投稿するわけでもなさそうですから、BLUEらすかるの逸話はやっぱり人知れずの域です。
ただし空に上がる月齢は13.9で、満月には少し足りません。暦の上での中秋の名月は新月から数えるのでそうなります。ようやく、いくらか気温が下がったような気がして、そろそろ燕(玄鳥)も渡る時期かなあと思い込んでいくのです。即ち「白露」の候も後半に入って「つばめさる」「ついでに芋名月(いもめいげつ)」がうまいこと重なったのが2024年の今日。もう車では行けなくなりましたが裏山の裏山にあるすすきの原もやがて銀の色です。
中秋の名月を芋名月と書きましたが、栗名月でも豆名月でも良いそうです。これら秋の収穫を(9月の)十五夜の供物として云々と唱える人もいます。うちでは子供の頃、さつまいもを粥に入れた芋粥が食卓に出ましたが、これがいつからか月見団子に取って代わり、すすきの一輪挿しと一緒に縁側に飾り付けられていました。月見バーガーどころかマクドナルドなんか無かった時代のことです。でも69年の夏にアポロ11が月に着陸して、竹取物語は完全にファンタジーになっていました。
で・・・玄鳥ならぬバイク乗りも昨日基地に現れ、去っていきましたよ。
危うくすれ違うところでした。が、なんだよこの立ち話で送り出す不義理は!
先代のらすかるが「すとらいく」装備になっているので2003年初夏の撮影ですが、「エスクードをできる限りかっこよく撮りたい」という欲に駆られていた頃のツーリングシーンです。右下の友人は、あの578000キロ走行のノマドを面倒見ていたアリーナ尼崎(当時)の森店長です。この頃、毎年メーカー主催の売上貢献表彰式に呼ばれて上京していた彼は都内の立派なホテルではなくつくばーど基地に来てくれて、うちを宿にしていました。
知人友人たちと、あるいは単独行で、週末となるとどこかの林道に出かけていて、今考えるとよく家族がこれに文句を言わなかったものです。そういうのって特別だよなあとありがたく思っていましたが、体力が衰えてしまった今、単独で出かけていって走行不能事態に陥るリスクを考えるとなかなか遠出ができなくなりました。車も人間もかなりポンコツになっちゃったし。でもやって来て分かるのは、かっこいいシーンは何でもない風景でも実際に走っている姿だなあと思います。
20年目のつくばーど®in妙高高原17はぐだぐだながらも先月開催できました。カウント上の第一回目は2004年11月でしたが、そのきっかけは8月の末に出かけた、新井と長岡へのベースキャンプとして偶然予約した杉野沢のペンションというのが始まりでした。それより早くとん汁を食いに行く日帰りツーリングがありましたが、2003年には行われておらず、これを食いたくなっての宿選びだったのです。泊まりに行ったら軒先にあるはずのメルセデスがエスクードになっていた。
今でもそうですが、一泊2日に捻出できる宿泊代は潤沢では無かった頃、この界隈では安めのところで、全国ペンションガイドに乗っている写真にはメルセデスのステーションワゴンが映っていました。以下何度も書いているので省略。一泊できると行動半径にもゆとりが出ます。2日間にわたって地元の友人やエスクード仲間が遊んでくれてのツーリングとなりました。北関東道も上信越道もつながっていなかった当時、片道350キロはそれでも遠くは感じなかった。
アイドリングのばらつきによる排気の息つき、その排気音の「これ純正マフラーなのか?」疑惑、クーラント漏れなどぼちぼち古い車の宿命を背負い始めた霙ですが、クーラントに関しては補充用パックを持ち歩いているという、「さすが雷蔵の娘」「いや俺そんなに用心したことない」などと話題にもなっていたフィガロの応急処置。しかし機械的な不調までは彼女の手に負えないため、主治医のところへ預けたのが7月の半ばのことでした。
修理できるところは修理してもらいアイドリングは落ち着き、排気系から来るらしい振動もある程度おさまりました。ほとんどが各部品を固定しているОリングや受け側の樹脂の劣化によるがたつきが原因。本来ならタービンも外して手を入れたいところでしたが、それをやって要らぬ部分の樹脂部品が粉々になるかもしれないと、最小限の交換で様子見です。金属部品は出るのですが、樹脂はホースも含めて欠品だらけです。
そんなある日、明るいうちに帰宅してきた雫さんから電話が入り、
「エンジンかかっていないのにブレーキランプが点灯してる」
と車庫にあるフィガロの写メも送られてきました。僕の出勤時にも雫さんの出勤時にも異常はなかった。エンジン始動させてもらったら元気にかかったというのでそのまま主治医のところに乗って行ってもらいました。
という続報と写メ。床に樹脂の部品が割れて落ちていたそうな。ブレーキペダルの一部についている緩衝材で、経年劣化とこの暑さで割れて外れてしまい、ランプだけでなくブレーキ警告灯まで点灯させていたようです。別の類似部品で応急手当てしてもらったのですが、まったくこの暑さには困らせられます。
先日の地震影響が心配ですが、Cyber-Kさんちの新しいのはHONDAになりました。当人曰く
「初めて車の色を白にしたので一眼での撮影が難しいです」
プログラムオートでの撮影だと全体が暗くなり気味だそうで、エスクードを撮っていたときと真逆になってしまうと。
「それを考えるとiPhoneはAIが働いているのか、白い車体、青い空と海がくっきりはっきりです。そりゃカメラの腕も上がらないわけです(涙)」
昔と違ってAE、AFカメラも構図とシャッターチャンスには撮り手のセンスが残されると思ってましたが、最近はそれすらやってくれちゃうかいじれる時代ですねえ。
Kさんの写真は夏前に撮ったもので、大気の層も澄んでいたことが見てとれます。昨日、仕事に向かう途中でコンデジで真似してみたら、案外空が青くない。
光源に向かってカメラを構えてるんだからそうなりますね。でもこれ、反対側に行ったら堤防の土手を滑落するからそっちの方こそ不許可事項なのです。