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  ~懲りない傾向~

帰還5年目の日

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仙台での単身赴任が終わり、地元に戻って5年目の3月11日が巡ってきました。さらに遡ることあの年、それこそ発災の5日前に東北在住最初のつくばーどを開き、仲間たちと宮城県北まで熊そばを食いに出かけていました。僕などはその前日、岩手県の釜石にいたのです。今振り返っても1週間ずれていたらえらいことになっていたと思いますが、震災が無かったらもう少し積極的にツーリングイベントを仕掛けていられたなあと、不謹慎なことを書けるようになりました。

先日のこと、BS放送のバラエティ番組でこの「狩人」が紹介され、店主が元気に過ごしていらっしゃるのを見ることができました。お店のある栗原あたりは震度7の地震を受けた地域で、内陸被災地でした。震災後は沿岸被災地での仕事に忙殺され、お店にはツーリング後一度しか訪ねていけませんでしたが、お店も店主も健在だと知り、ほっとしたのもつかの間、この番組ではご主人自ら「もう高齢なので、もうじき店は仕舞います」と話していて、そうだよなーと月日の流れを痛感しております。

自分の中では、帰還して5年も経過するとやはり被災のことは風化しています。この間、あちこちで未曽有の災害が続く今日。自分自身の被災者だったという事実は、ある意味棚の奥に片付けてもいいのかと感じます。

往生際の悪いやつもいるってことで 和邇さんの手記076

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コンプレッサーのリビルド作業が終わり、積載車で桶川入りしていたのですが、再就役への点検整備も済みお迎えに行ってまいりました。
昨年末は ホントに諦めモードだったんですよ。
コンプレッサーはリビルド品も見つからず、結局3個イチで修理してもらいました。
まだまだ廃れちゃいませんよ、日本人の職人技は️👍️

和邇さんのサイドキック2号は1号からの最後のパーツ移植を受け、正真正銘これが真打のサイドキックとなったにもかかわらず、移植直後にそのコンプレッサーが破損して昨年下期を過ごしておりました。

試運転を兼ね 圏央道を のんびり巡航して、ジムニー歴史館とAPIOを訪ねてきたそうで、機関は順調に動作しているとのことです。お互い往生際の悪さは折り紙付きです。うちのエスクードも昨年下期は、こりゃもういかんかなあという考えがよぎりましたから。

月遅れ新年会はやっぱりカレーで

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日付が本日になる頃はまだアルコール抜き宴会のたけなわなので、先に夕餉のことを書いておきます。前回、昨年のつくばーど®in岩間33で復活したカレーライスは、もう何年も月遅れ新年会の献立となってきました。今回もこれを踏襲しています。

しかし2014年、2019年と周期的な大雪に見舞われる岩間新年会。どうなったかというと・・・ ←後で加筆します

週のはじめの大雪は、つくばーど基地周辺には襲来しなかった。よって薪も凍らず濡れず、大気も乾いた暖冬の2月10日という幸運に恵まれました。夕刻から22時くらいまでは、僕自身はコートを羽織ることもない寒さしらずの焚火です。消防の見回りも巡回してきましたが基地についてはスルーしていきまして、新年会と焚火という初の組み合わせは上々の成果をあげることができました。参加してくださった皆さん、忙しい中ありがとうございます。

てことで、当日の様子はこちら

フィガロの昨今 018

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「今こそ味わい深い」とは気楽に言ってくれます。世の中万人エンスージアストってわけにはいかないものですから。記事を見たら、今だと完調状態のフィガロを購入しようとしたら200万円前後(たぶん、~がついてるはず)ですよ。33年前のクルマにそこまで入れ込めるかどうかこそが、この味わいを味わえる必須条件です。

しかし霙がこれを買ったときにはまだ「そこまでやっても160万円」でした。隣に写っている更にナンバーの若い個体はもう少し安かったのではないか。

どうやら2021年の夏以降、中古車価格が全体的に高騰したようです。そう言えばエスクードの初代1600ハードトップも今だと150万円くらいだというから、フィガロクラスの希少で人気車種だととんでもない価格のものも散見されます。

「そんなにドッカンターボじゃありませんけどねえ」

と、霙は言います。まあ記事においては借りたクルマですしインプレですし、なんもためらうことなくアクセル踏みこんでいるってことでしょう。インプレなどではなく33年前のクルマだということを熟知して乗っている霙の方が、ターボ車の扱いは丁寧です。

 

Cレイド005を差し替えました

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つくばーど®サイトの「Cレイド」にて出題していた005能登編を、遅まきながら今般の災害に鑑み差し替えました。能登半島には楽しく魅力的な場所が沢山ありますが、この災害で失われてしまったことや、無事でも今訪ねていくわけにもいかないと考えました。東日本大震災のときにも、福島県浜通りエリアの出題をすべて取り下げなくてはならなかったのですが、何にしても残念というより、今は復旧と復興を祈願することといたします。

しかし明るい話題も。全焼した永井豪記念館の展示館にあった原画やフィギュアは建物の耐火構造によって焼失を免れていたそうです。

順延の焚火は2月10日に開きます

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概要については固定ページでお知らせしております。またもや連休突入の夜で申し訳ありませんが、その方が遠方から出かけやすいという声もいただきまして。

開催日時的につくばーど®恒例の月遅れ新年会を兼ねます。ただ、宿泊を伴わないのでカレーライスではなく汁物を出させていただきます。そこで家内から伝言があります。

「人数がある程度わからないと材料分量決められませーん」

ということだそうです。こぞりてご参加の連絡をお願いします。

今年も淡々と進みますESCUDO Milage

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suuuさんの作品

suuuさんの作品

宇宙航空研究開発機構(JAXA)の火星衛星探査機打ち上げが、本年予定だったものを二年ほど延期することになりましたが、往ったら帰ってこられないばかりか現地での生命維持にも問題ありありと言われたマーズ・ワン(既に企業自体が破産)みたいなことでは話にもなりません。

その話はうっちゃって、ESCUDO Milage 2024のこと。

 

kuroさんの作品

先月半ばにカバー写真の公募を行ったところ、告知2時間めにsuuuさんが一番乗りで写真を提供してくださいました。毎年、来るかなー来ないかなーとやきもきするものなんですが、早々とカバーが決まって一安心していたわけですよ。

そしたら、数日して三代目エスクードに乗っているkuroさんから、実際にはトリミングしてしまいましたが明け方の青い空と夜明けのシーンが送られてきてさあ大変(笑) せっかく投稿してもらったのに「もう締め切られました」と言うのもなんだし、ページのデザインをいじることにして採用となりました。

 

TA01Wさんの作品

で! この写真は新たにタイトルを刻んだヘッダーとして使わせていただいたのですが、その加工作業中にTA01Wさんからもカバー写真候補が届いてしまうという大焦りな事態に。

むー・・・ここまでは何とかせねばなるまい! TA01Wさんには申し訳ないけれど、ページ末のアンカーとしてトリミングしたものを使わせていただいております。suuuさんの作品はカバーサイズで送られてきたので文句なしにカバースチル。あとのお二人はオリジナルサイズでしたので、天地はカットしましたが横幅を活かすことができました。ありがとうございます。

足元か竜が上がる

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十二支の干支の中で、竜は唯一、想像上の存在です。辰年は陽の気の脈動によって万物が振動し活力旺盛する、成長し形がととのう年とされています。超自然的とはいえ想像上の存在ごときにそんな効能があるのかよと思うのですが、身近で突然意外なことが起きたり、急に思いついて何かしらを始めることを「足元か竜が上がる」と言い、要は気持ちの持ちようなのかと半分納得するわけです。

竜の視点から見たらきっと「行き当たりばったりで暮らしてやがるくせにどうにかなってるだろうよ」などと言われそうなのがつくばーど®の在りようです。それでもいろいろなものが重くのしかかってきているのが現実。ここで足元に潜む超自然的想像の存在に頼るか、地に足をつけて前を向くかを決めなくてはならないのが人の辛いところです。

ぶつぶつ独り言ちていても2024年は始まってしまいましたから、今までどうにかなってきたならここからもどうにかなるんじゃないの? という能天気さを捨てることも無いのです。と・・・なんともいい加減な一年の計を立てることにしました。自分の力量を願みず強大なものに抗うとか、大それた計画や無謀なことをすることを「竜の髭を蟻が狙う」とも唱えますが、何も自分で自分を蟻呼ばわりしなくたっていいじゃないですか。

そのような気分で、遂に無謀で大それた計画の後半戦に挑んでまいります。

などと能天気なことをやっていた矢先、令和六年能登地震が発災し、極めて広範囲な津波と局所的大地震の被害が時間を追うごとに拡大しています。仙台での被災を思い返すと、それこそ自分には何一つできない無力さしか蘇ってきません。被災された地域の方々が少しでも平穏を取り戻せますようお祈り申し上げます。

Жаңы жылыңыздар менен

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片雲の風に誘はれて漂泊の思ひやまず

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長らくサイドキック2号車へのパーツ供給のために保管されてきた1号車を解体撤去すると、和邇さんから知らせがありました。92年式と古参の個体でしたが大役を果たして余りある活躍の末の余生でした。

「年末、比叡山にて阿闍梨に法要をお願いしてきますよ」

このエスクード(の北米仕様)と和邇家には随分と支えていただきました。

1号を初めて目にしたのは2000年頃の伊豆のモビリティパークだったかもしれませんが、手持ちの写真には残っておらず、最初の撮影分はちょうど20年前の南蔵王のものでした。うちの娘らが和邇家のお嬢たちと出会ったのも、このキャンプのことでしたが、さすがの20年、この頃走っていたclubES登録のエスクードは1号の退役で、2号とV3を残して失われてしまいます。まさしく月日は百代の過客というものです。まあ昔話ですから多くは書きません。

2015年には既に2号が復活してつくばーど®の行事に参加してくれていましたが、この2号もコンプレッサーの故障でその動向が心配されています。形のあるものに対して永遠という継続性を求められるのは、若い頃の無謀な情熱なのだなとも思わされます。第一、人様の車ですもん。でも和邇さんはたぶん、その人様の部活動運営のために車を存続させようともがいてきた人なのです。1号を見送るとともに、2号の修理がうまく行くことを祈らずにはいられません。