本年も沢山の年賀状をお送りくださいました皆様へ、あらためまして御礼申し上げます。
だいたい同数枚のうちの賀状はお蔵入りとなり、まあそれでも「お年玉年賀はがきの抽選あるしね」と言っていた割に、17日に行われた抽選会を忘れていまして、あとで気づいたら
そんなに簡単に一等は出ないのさ
という結果となりました。
遅ればせながら・・・そうでもないか、立春までまだ間があるので、この場にて寒中見舞い申し上げます。相変わらずつまんないブログばかり書いてますが、コメントください←そこかよ
西暦の末尾が「1」の年、株式市況にとってはろくなことが起こらないそうです。ついでにその年の干支が「丑」だったりすると、何かしらの要因でつまづくことも少なくなかったとか。真偽のほどは、過去の年回りを点検し、ことしを過ごしていけば、どうにかなるのかならないのかがはっきりするでしょうから、当たるも当たらぬも八卦ってところです。
昨年暮れに木星と土星が何百年ぶりの超最接近したことで、世の中の流れはすでに切り替わっているという説もあります。西洋占星術において「風の宮」に属する星座の人たちにとっては、大躍進の年回りだとか。これもまた真偽のほどは過ぎてみないとわかりませんが、丑年で天秤座の僕は、両方比べてプラマイゼロかよ?
翻って丑=牛。牛乳飲んで育ったうえ、牛肉食って重くなった恩恵を受けていながら、牛には馬ほどの魅力が無くて、有馬記念や東京大賞典を走る競走馬が話題になっても、闘牛場での牛の扱いはもとより、そも闘牛って牛がマタドールに負かされる趣向じゃん。劣ったものから優れたものに乗り換えることを「牛を馬に乗り換える」とも云ってしまうのも、なんだか哀れさを感じます。
早くても遅くても、劣っても優れても、行き着く結果は同じじゃありませんか。慌ててもしょうがない。15年もかかりましたが、地球と月を往復する距離を走り切ったし、あの6月の日から現在、80万キロまであと6000キロを割りました。
牛も千里、馬も千里。走り続けられるなら、走ります。
2020年はいろいろな著名人が鬼籍に入られ、昭和から平成に移り変わるときもそうだったと思い出していましたところ、昨日、31日午後、家内の母親が老衰にて享年85歳で静かに息をひきとりました。
新年早々そんな話で申し訳ありません。
そのような次第で、喪と年越しが一緒に来てしまいましたので、欠礼のご挨拶も間に合わず、年賀状の発送を急遽中止いたしました。年始のご挨拶もひとまず本日のみ辞退させていただきます。本欄へのコメントも不要ですのでお気遣いいただきませんようお願い申し上げます。
当ブログ、つくばーどサイトの掲示板などは通常運営いたします。
相変わらずのコロナ禍、警戒レベルの大雪です。皆様も安全とご健康にお気をつけ、2021年をお迎えください。
なんか10年前にもやっていて、またしても同じ轍を踏んでいますが、2020年はつくばーどサイト開設20周年でした。こんな年回りにコロナ禍なんか呼び込みやがったのは何処のどいつだよ。何一つまともな記念行事ができませんでしたよ。
20年紀なんて言葉があるのかどうか調べてみると、Scoreというらしいですが、2世紀くらい前に廃れてしまったらしく、2度目の10年紀としてTwo Decadesと呼ぶらしいです。
らしかったなあというのは、BLUEらすかるが地球帰還を果たしたことと、ついうっかり「200回目のつくばーど」を独りつくばーどでやってしまったことでしょうか。秋以降、買い出しトライアルを復帰させて、不発にならずに済んだことはもう安堵以外の何物でもありません。テレワークが定着しようとも、やっぱり引きこもっているのは性に合いません。
仲良しの福島県相馬の市長さんに「ウィズコロナというのは、正しく怖れて賢く逃げるものなんだよ」と教えられました。彼はもともとお医者さんです。様子を慎重に見ていればどう対処して回避するかが見えてくるということだそうです。これは「慣れる」ということとは少し違います。慣れは成すべきことを見失いますから。
それにしても、10年の節目の2度目を過ごして、なんだかんだ言って持続していることは、いかに不真面目に歳月を浪費してきたということなのかもしれません。それもぼちぼち残り少なくなっているとすれば、来年も好き勝手にやりたいぜ。という暴言を吐いて、本年を締めくくります。
みなさま良いお年を。
暮れの挨拶で訪ねた仕事相手の事務所で、そこの所長から思いがけず(二度目なんですが)葛巻高原の焼肉のたれをいただきました。
何が思いがけないって、北緯四十度の迷走を・・・読んでみたら書いてなかったので捕捉しますと、迷走の末に迷い出た葛巻高原レストハウスで食った焼肉が大変美味くて、肉はもとよりたれが良かったのです。当時、これを買って帰って仙台作戦室で肉を焼くときに使っていました。
「夏場に雷蔵君が葛巻談義でほめてたじゃない。それで、コロナ禍じゃ帰省もできないしってことで取り寄せちゃったわ」
彼女はにこにこしながら言うわけです。大雑把に言うと、彼女の出身が高原西側の岩手町なのです。夏場に、というとあれか。摂氏三十五度の昼下がりのときにそんな対話をしたような覚えがあります。冷麺に続いてありがたいお土産となりました。
これはもうさっそく、と学園都市から最短距離の県道ルートでうきうきしながら帰宅したらば、日中なので当然ですが家族は全員仕事で出ていますんで、米を焚け、肉を焼けと誰にも命ずることができず、サトウのご飯を温め、自分でフライパンをあぶりながら冷蔵庫を開けたら、都合よく牛肉なんかあるはずもなく(笑 買って帰れよ)、豚丼に変更です。
あー、でもこの味だよ。ちょっとかけすぎたけど。
1952年12月20日、アフリカ・コモロ諸島のアンジュアン島で、後に生きている化石と呼ばれるシーラカンスが捕獲され、学術調査が行われました。よってこの日が「シーラカンスの日」とされているのですが、シーラカンス自体が初めて捕獲されたのは1938年12月22日のことです。世界初の発見標本は腐敗の進行に妨げられ学術調査にならなかったことが、いわゆる記念日に該当しなかったらしいのですが、最初という事実は事実なんですよねえ。
シーラカンスに関する生態や特徴は書き出すのがめんどくさいので地層科学研究所掲載リポートのリンクでお茶を濁しますが、現生種が3億年近く絶滅していないのは、生息環境のこともあるけれど、一説には「獲って食ったけれどこれがもう小骨だらけだし味もまずいのなんの」というアフリカやインドネシアの漁師の証言よろしく、「乱獲されないこと」が功を奏しているとも言われています。しかし、日本の沼津にいる「シーラカンスもなか」はその限りではありません。
シーラカンスもなかは三枚におろすどころか、それに近い状態の皮に自ら餡子を詰めて食すという趣向。ワタが餡子ですからまあまずいことはない。これを出しているしーらかんすcafeでは、パンケーキも食うことができます。たい焼き機のような型で作るところが面白いのですが、当然、小骨などありません。と、どんどん表題から外れちゃいますが、本日は世界で2度目の発見ながらも「シーラカンスの日」なのであります。
といっても団体様がお着きになる予定なんかありません。情報漏洩すると、かわねこさんもことしは帰省を控えるそうです。よって、焚火はやりますけど忘年会の形にはならないでしょう。重ねて言いますが、焚火は、やります。
前置きはさておいて、セブンイレブンものは食いそこなっていた、あの(笑)ミートボールパスタの再現のようなやつが、ローソンから発売されました。
その昔、新婚旅行でイタリアに行った妹の吹雪に聞くと「あれ、無かったんだよね」との話。ミラノにお住いの著述家、ヴァンソン・藤井由美さんとお話した際、あの料理は実際にあるのかどうかお尋ねしたらば、「見たことないんですよ」というお答え。そうか、あの場面は成しえないのかと思っていたら、パスタ・ジャパンというイタリア料理の専門とも言うべきサイトを見ると、実に詳細な解説が書きとめられていました。
こちらではポルペッティーノと称した肉団子をサルサ・ポモドーロベースでパスタにあえていますが、ローソン物はガーリックトマトソースとなっています。案外、近いですね。問題・・・いやどこが問題なのよと自分でぼけ突っ込みしてますが、ルパンたちが食っていた料理の分量。イタリアシェアサイズは2人前で300グラムだそうですが、ありゃあそんなもんじゃない。パスタ、肉団子含めて1キロはあるでしょう。団体様と戦うにはそれくらい食っておかないと(笑)