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  ~懲りない傾向~

親父の一番長い日

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風呂上がりの一本

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夕暮れ時に貸切露天風呂につかって、壁に掲げられたボードから酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉などと成分表を読み取っても、素人には硫黄系の温泉?くらいにしか理解できないのですが、呑兵衛だったら桶に載せた徳利酒なんかもオーダーできるらしい。まあそんなことしたら僕の場合は一滴も飲めない下戸ですから、あとがえらいことになりそうなのでただただ湯加減とほんのりと漂う硫黄の匂いで充分です。

貸切露天風呂エリアからとぼとぼと渡り廊下を辿って部屋の前まで戻ってくると、ここでまた別の張り紙に目が行くのです。出ました風呂屋ならぬ温泉宿の湯上りの牛乳。懐かしくも瓶牛乳で、あの栓抜きというか蓋抜き。そうだよなー、銭湯に行っていたのって学生の頃だもんなー。牛乳だってずーっと紙パックからがぶ飲みしてましたよこの数十年。というわけでありがたく一本いただくのですが、消費率はダントツにコーヒー牛乳のようです。

地元の牛乳屋さんとしては飲んでくれればそれでいいのだよなんでしょうけど、気持ちとしてはコーヒー牛乳ではない方をお望みな気がする。仁王立ちして腰に手を当ててまでは付き合いませんが白い方をちびちびと。電気冷蔵庫が普及していなかった昔は、銭湯が牛乳屋の有望な卸先だったと、検索するとまたもやどこもかしこもどこからかの丸写しテキストでした。なんで銭湯には冷蔵庫があったのか、誰も興味持ってないわ。

贅沢三昧だけどけっこう弾丸な一昨日昨日

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後任の後任から泣きが入って急遽、山形行です。24日一日で新庄とか山形とか宮城・村田の客先に「うん」と言わせる納得してもらうための日帰り出張。後任の後任が同行するのが筋ですが「来んでもいい」と押しのけて、23日には単独行で米沢で朝パフェと遭遇し(あとで書きます)、蔵王で温泉につかり、山形牛を食って芋煮をすすって贅沢させてもらってました。いやもちろんここは自腹です。でも源泉かけ流しの露天風呂なんてさ、久しぶりなのよ。

事前には鶴岡、酒田、新庄と時計回りの単独行を考えていましたが先週末の荒天でこれは断念し、米沢から東根と天童まででリスク回避しての蔵王です。朝イチで新庄まで北上して山形へ戻り、蔵王越えの末遠刈田から村田に回るという手堅いルートとなりましたが、紅葉にはちょっと早かった。で、村田での仕事を終えて帰路に就こうというとき、たまに暇つぶしでやっているdocomoのゲーム友達からこんな招待が来ましたよ。

ゆんべ泊ってたんだよーっ

なんの兆し?

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夜な夜な台所の窓に張り付く姿は、ショッカーの怪人ヤモゲラス・・・ではなく、ニホンヤモリそのものです。だいたいが「仮面ライダー」に出てきたヤモゲラスって、体表は黒基調で腹などに赤い模様が走っているから、どう考えたってイモリ。原作者や東映の人たち、白基調では強そうに見えないと思ったか、イモリとヤモリの区別ができなかったかですが、たぶん「イモゲラス」ではかっこ悪すぎのオチなのかも(実際ヤモゲラスは弱かったけど)

ニホンヤモリ、と呼ばれていますが平安期以降に渡来してきた外来生物だそうで、シーボルトによって「これ新種ね」と識別されたものだとか。最近では郊外での発見例が少なく、都市部での棲息例が多く観察されているようですが、つくばーど基地は山の中ですから、こいつらよそから来たのではなく古来、この辺を住処にしていたのかもしれません。夜行性で光に寄ってくる害虫を食ってくれる益獣でもあり、家につくので守宮とも家守とも綴られます。

そのような故事と生態から、ヤモリは縁起の良い生き物だと教わってきました。うちの先祖は宿屋でしたからそういうものは代々伝えられてきたのです。殺人光線でテロを行おうとするショッカーの怪人は、極めて迷惑な設定だと言えますが、ボクサーにノックアウトされたり自組織で(設計図盗んで)作ったデンジャーライトを浴びせられて倒されちゃうくらい弱弱しい改造人間でした。いやいやしかし、二匹も出てきてくれるとは。

 

そして満月

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2023年は18日が中秋の名月でぴたりと満月でしたが、ことしは一日ずれての満月。暦の流れと楕円軌道を描く月の都合で、二日間にわたって美しい姿を眺められるつもりが、今夜のつくばーど基地周辺は曇天と雨予報でうまく行かないものです。

つもり、と言えば「かんむり座t星」の新星爆発もどうなっちゃったんでしょう。その後ニュースも聞きません。

ことしは食産各社の月見フードを追いかける「つもり」もなかったんですが、昨日、ファミリーマートで「ベーコン月見バーガー」なんてものを見つけました。やっぱり月見というと目玉焼きとベーコンなのね。元祖と云われる佐世保バーガーのビッグマン創業時(1970年)には、月見ものと掛け合わせることはなかったと思います。二番手?のファーストキッチンもベーコンエッグバーガー(77年)でした。月見ものにしたのは91年のマクドナルドが始まりか。

ツンデレなインフォメーション

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「代わりばんこに警報が出るっ」

ヒルディセントコントロール機能停止、グリップコントロール停止、システムエラー・要チェック等が立て続けに表示され、とどめにアイドリングストップからわずかな時間エンジン再始動しないと。霰にしてみれば軽くパニック状態だったようです。

ヤマタノオジロはアイドリングストップ搭載のハスラーなので、バッテリーが寿命を迎えたのですが、警報の中に「バッテリー上がり」や「バッテリーチェック」の類はなかったと。オーナー様これにはご立腹です。

アイドリングストップ車用の専用バッテリーは長持ちして2年だということですが、前回の交換から4年くらい経過しています。頑張って働いていたけどこの夏の環境は過酷だったのでしょう。それにしても人車コミュニケーションの下手なやつらだぜ。

またやってるのか

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昨年夏に朝駆けの名代富士そば詣でをやりましたが、今年も始まったというので夜明け前に行ってみたらば、営業時間が変わってしまって午前九時からだと。明けてからじゃあそんな時間的余裕はないんです。

今年は「機動警察パトレイバーTheMOVIE」35周年のリバイバル上映を持ち出して来てのコラボレーションだとか。いや、そりゃかまいませんが劇場版に出てきた食い物ってトマトとピザと・・・コロッケそばは無かったような気がします。真偽のほどを確かめたいのならば映画を観に行けということで(行かなくてもソフトあるけど)、地元の小屋を見たらば稲敷とつくばと守谷。ダメじゃん土浦市! パトレイバーで街おこしやってんでしょー?

で、肝心の名代富士そばも茨城には無いんだよなー。

パトレイバーと言えば「乗り込んで操縦できる98式AV」が完成したようです。まあね、操縦席極めて狭いから僕なんか乗り込めねーよ。

雫さんの一喜一憂(どちらかというと十憂)

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ローソンのマチカフェからこの夏、アールグレイが廃盤となったのですがしばらくそのことを知らず、寄れどもよれども「無いです」の返答に、アールグレイファンの雫さんは憂鬱な面持ちになっていました。

なんというか、単に「無いです」じゃなくて「廃盤になったんです」と言ってくれればよかったような気もします。連続して出かけたのではありませんが七件目の店舗でこちらから問い合わせて、廃盤が分かったのが8月中旬のことでした。

ところが先日、資料画像とは別の店で「ありますよ」というリアクション。この店には在庫がまだ残っていたらしく、店員は廃盤自体を知らなかったと意外な対話になりました。

「そうよ! どこかには在庫のある店舗があたしを待っているのよ」

で、試しに寄ってみたお店にはやはりありませんでした。

狼の紋様

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ことし、久しぶりに大きめ容量のバックパックを購入し、先だっての妙高行き二泊に必要なものを詰め込んで出かけました。この手のギアアイテムは、我が家ではずっとジャック・ウルフスキンを使っており、 TRAVELTOPIA WEEKENDERという30リットルの容量で選んだのですが 、着替えやらなんやら以外にA4ノートパソコンもそのケーブル類も専用で納められるシェル構造と、リサイクル物の外皮素材などが機能性で好印象でした。

ところが! よくよくロゴを見ると、あの足跡マークが無い。あれがあってのジャック・ウルフスキンじゃないのかよー。

“手付かずの自然”の象徴として、狼の足跡(PAWマーク)をトレードマークとするジャック・ウルフスキンでは、環境に負荷をかけないサステナブルなモノ作りを推進していくと同時に、環境保全活動の啓蒙に積極的に取り組み、日本における外遊びのための環境を次世代につなげていきます。

というのがメーカーとしてのブランド紹介なのですが、この新しいロゴは2年前から一部製品に採用されているらしく、キャラバンステージとタウンユースを分けて考えているのかもしれないです。いやいや、タウンユースでもアウトドアギアを使いたいのよ(ミーハーですから)

ジャック・ウルフスキンによれば、2023年頃からアウトドアフィールドの環境保護活動に取り組む団体サポートや、日本の多様性に富んだ自然環境を次世代へ継承する活動を支援しているそうで、これを「WOLFUND」と称しているとか。

・・・あ、こんなことも綴られている。

ジャック・ウルフスキンは、狼の遠吠えからインスピレーションを得て誕生したブランドです。自分たちの住処を破壊するようなことを決してしない狼の習性に倣い、創業当時から40年以上に渡り、環境に負荷をかけないモノづくりに取り組んできました。このブランドDNAに基づき、日本では絶滅したとされる狼の役割を担い、日本における環境保全活動に積極的に貢献していくことを目指して本プロジェクトを立ち上げました。

それで足跡無くなっちゃったの? と思い込むのは度が過ぎてますかね。

夏の残照

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親父が逝去した。

お袋が亡くなったときほどの動揺はなかったが、闘病に付き添ってやれなかったことは多少の悔いを残した。ただ親父のことだから、そんなことで自分の働く時間を削ったりするなと小言を言われたに違いない。親孝行の幾ばくかはやってきたつもりなので、そのことはもういい。むしろ最後まで面倒を見てくれた弟たちに申し訳ない気持ちが勝っている。

野辺送りと共にやらなくてはならないことがあった。

鹿児島の地方都市で小さな会社を興した親父のあとを継いだのはすぐ下の弟だったが、創業期の高度経済成長の時代とはいろいろなものが変わってしまって、会社の経営自体が立ち行かなくなりつつあった。弟は親父の仕事を引き継ぎ、親父が亡くなるまでずっと会社を存続させてくれたのだ。だがそれももう限界を超えていた。

家の代表相続人は僕ということになっていた。葬儀の施主に立ちながら、かねて電話やLINEでやり取りしていた弟たちとの協議について最後の意思確認を済ませ、僕と二人の弟は家や会社の一切の相続を放棄することとした。

当然だが親類という名の身内との間では揉め事が待っていた。それまでを弟に任せるわけにはいかない。そんなことだが矢面に立つのは僕の役目だ。

大揉めに揉めた末、あらかじめ弟を介して行政書士に作成してもらっていた書類をたたきつけて、郷里との縁を切った。まるで五木寛之の「青春の門」だ。「望郷編」で筑豊と主人公をつないでいた恩人を看取って、郷里とのしがらみのなくなった主人公が東京へ戻っていく。

僕のそれは、小説ほどに格好よくはない。けれどもここまでの紆余曲折は主人公の伊吹信介に劣らない。信介の場合は次の「再起編」でもなかなか曲折から脱せないのだが、僕と彼との違いは・・・まあ生まれ育った時代の差もあるにせよ、彼の優柔不断さが当時の若者の姿として描かれたことだろうか。僕も優柔不断さの中で長く生きてきたことは認めるが、一切の縁を断ち切った機会に、やりたいことを一つに絞ってそれ以外のことは棄てようと決意できた。そこが違うのだ。

 

夕刻、東京へ戻る空港のロビーでふと思い返した。

若い頃は首都圏からここまで何度も自分のクルマで帰省した。大事にしていたコンバーチブルだったが、所帯を持ち子供が生まれる際に手放した。その後も何度かやっているが、クルマの性能が上がってあの楽しくて仕方のなかった苦行からは遠ざかった。

今は羽田から空路だ。苦行も何もあったものじゃない。しかし自走で帰りたいかと言われたら、もうそんな体力の残っている歳でもないと言わざるを得ない。

そのことを思い出した途端、電話をかけたくなって携帯を持ち出したが、照れくささと今更感で発信をためらった。

呼び出した電話帳からショートメールを打った。

実家でのこと、郷里との決別、小説家として大成していくために家族以外のすべてを棄てる決意をしたこと。

しばらくして返信が来た。

正直、期待していなかった。

「まずはお悔やみ申し上げます。それでね、趣味や道楽なんてものは寝かせておけばいいんだよ。あとで役に立つときが来るから」

それだけだった。これは励まされてもいるけど、見透かされたかもしれないと思った。出来そうもないことを迂闊に言葉にするなと、彼は言っているのだ。

確かに強がっていたかもしれない。彼はおそらく、この返信を見た僕が「なんだとこの野郎!」と憤ることを促している。済まないが気持ちはそうはならなかった。

ただ、ふっきれた男にはなりたいんだと、携帯を握りしめていた。

東京行の便の搭乗開始アナウンスがロビーに流れた。僕はバックパックを背負い直し、風呂敷に包んだ桐箱を抱えてロビーをあとにした。