Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

寒中見舞い申し上げます

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積んだ葉書の厚みがわからん

本年も沢山の年賀状をお送りくださいました皆様へ、あらためまして御礼申し上げます。

だいたい同数枚のうちの賀状はお蔵入りとなり、まあそれでも「お年玉年賀はがきの抽選あるしね」と言っていた割に、17日に行われた抽選会を忘れていまして、あとで気づいたら

そんなに簡単に一等は出ないのさ

という結果となりました。

遅ればせながら・・・そうでもないか、立春までまだ間があるので、この場にて寒中見舞い申し上げます。相変わらずつまんないブログばかり書いてますが、コメントください←そこかよ

まだ売ってた(とか言って知らなかったんだけど)

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昨年4月下旬に発売されたという自販機限定の、「ルロ」というコロンビア産果実の味を再現したものだそうで、さらに言えば一昨年既に、ルーマニア産の「ソカタ」というやつも出ていたと。まるで知らなかったシリーズでした。ルロというのは茄子の仲間らしく柿のような姿で、でも飲んでみるとこれは洋ナシ味っぽい。結局ルロ自体を食わなきゃ味についてはわかんないなあと思いながら、この250缶がなかなか懐かしいと買ってしまったのでした。

はてしなく諸行無・・・情

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「諸行無常」だったらなにかしら変化の絶えないことを示すものですが、変わっていないんだと実感させられたこの本は、1997年に出版されていますが書き出しは85年でした。親世代が子世代を信用しない、猟奇犯罪に対する一斉に右へ倣えの野次馬反応、殺伐とした世の中等々、当時の世相10年分が浮き彫りにされていきます。最近、新刊が出たので(よく続いてるなあ)積ん読の棚の奥から引っ張り出して読み返していました。

もちろんそういう、世の中を斜めに、またの下からとんがって覗き見るコラムばかりではなく、まんがの話もタレントへの願望も映画の雑感も面白いものがたくさん詰まっていますが、三十数年前の、肩で風を切っていたかもしれないまんが家の吐露が、今の世の中を前にすると身につまされるようなことばかりじゃありませんか。すげー先見性、などではなく、はてしなく変わっていないんだこれはと思わされます。

絶版していないのなら、これ(いま三冊めになっている)は小中・・・うーん、とりあえず中学校の図書室に置いておくといい。当然、町の図書館にもね。ティーンエイジャーには読んでもらいたいし、おっさんおばちゃんには、私らにもなんかこう責任の一端あるよと気づいてもらいたい。僕はもう間違いなく、穴があったら入らねばなりませんが、入れる大きさの穴を今から掘るのかよと考えると、死んじゃいそうなので、ずるして逃げ出します。

それにしても、最初のが97年で2冊目が2008年。で、2020年12月に配本された今回の新刊(左から順に)。

2冊目からは諷刺傾向は弱まっていますが、書き手も読み手も歳をとって丸くなったのか、手ごたえは弱まりました。それだって85年からほぼずーっと書き続けているのって、まさしくはてしない話です。

だぶるの劇中劇

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出るときは出るし、だぶるときはだぶるわけですが、二度目のトライアルで早くも六種類中五種が出てくれて、その片方がシークレットという慶事(左に見えてる未開封は、触っただけでだぶってるのがわかっちゃったんだけど)

とりあえず、あとは「輪ゴムかけラスカル」を残すのみで、六分の一を賭けて泥沼化の予感です。

しかしこの「シークレットラスカル」、いったい何をモチーフにしているのかよくわからない。第三弾のこいつらは単なるマグネットマスコットというだけではなく、少しばかりの実用性を加味したシリーズなんですが、シークレットにはそのかけらも感じられない。ココスではこんなへんてこな形のお皿は使われていないので、これはどう考えても『ミルク王冠から飛び出してきた』というイメージ優先の造形としか思えないのです。

そこで、まさかの偶然的こじつけ展開。

ミルク王冠から飛び出すと言ったら、ウルトラマンタロウじゃありませんか。まあシークレットラスカルの方がミルク王冠なのかマリーゴールドの花なのかは定かではないんですけど、造形を観察した結果、十中八九、ミルク王冠がモチーフと言って差し支えないと思われます。

ここがまさかの衝撃で、うちでは第一弾の折、だふったこいつらをウルトラ隊服シリーズに改造して遊んできたわけです。

当然、ZATの隊服も東光太郎仕様でスカーフ付けて作りましたよ。ウルトラバッヂなんかとてつもなくへたくそだけど。でも、この偶然。シークレットが今後だぶったら、角をつけてやるしかないじゃありませんか。

 

北極振動

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北極周辺の気圧が高く維持され、相対して中緯度地域の気圧が低くなると、北極で生成されている寒気は中緯度地域に押し出されます。これをマイナスの北極振動と呼び、日本列島にも大雪の影響を及ぼすのですが、先日すでに関越道などの雪隠詰めが生じたように、2021年はどうもそういう気象状況らしい。加えて連休前から爆弾低気圧もやってきたり、大荒れと言われる気象のなかで、今日あたり、関東地方も雪天のようです。

僕は2011年の1月から19年1月いっぱい仙台赴任だったため、雪降ったくらいでいちいち騒いでなどいられない生活環境でしたし、その間何度も〇〇年豪雪というのもあったので、むしろ東北にいたことで豪雪麻痺気味でした。つくばーど基地周辺だと、2014年豪雪が新年会とぶつかり、天狗の森も44年ぶりのプチラッセルでした。しかも直前に南三陸町で雪の中追突され、BLUEらすかるが修理入庫。三代目の「らいのす」で東北と関東を行き来していました。

仙台を離れてこっちへ戻ってきて、生活圏において大雪が巡ってくるのは初めてです。震災の日も立て続けの余震と雪と寒さでひどい目に遭いましたが、あんな思いは二度としたくないなあ。だいたい独りスタック・独りラッセルなんて、もうやってらんないです。降るだけ降った後の凍結路面も願い下げなんだけれど、いま思い出すと、東北は都市間移動時の交通量が少なかった(でもぶつけられたんですが)。関東は交通量の多さも雪天リスクに絡んできます。

がしかし、明けてみたら案外どうってことないというか、降ってない。

なんだかなーと思っていた僕は、うっかり忘れていました。

うちにはてるてる結界師がいるじゃんっ

だぶるの群集劇

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時々立ち寄っていた店舗が昨年閉店してしまい、第一号店舗だっただけに驚いていたのです。しかし、そこに終盤鎮座していたコロナ禍沈静祈願のあらいぐまラスカルと、別の店舗で再会したのです。持ち主の店員さんは不在でしたが、こっちに転勤となっていたようです。

これは新年早々うれしい出来事と思った半面、ま・・・まさか?と、お子様メニューを開いてみたらば!

ややや、やっぱりっ

第三弾が始まっているではありませんか!

今回のはクリップ置きだったりペン置きだったり輪ゴムかけだったりの実用性が付加された連中五種類と、シークレット! はいはいわかりましたよ挑戦しますよ・・・

というわけで、家族にも手伝ってもらいみたび挑むわけですが

思いっきりだぶるで三種類

先は長そう・・・

 

第二世代

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本来なら年始だったはずなのですが、家内の母親の葬儀で姪たちとしばらくぶりに会ったところ、姉の皐月は「二代目ラパン」に最近乗り始めたとかで、勤務地から首都高を横切って帰省していました。それはすごいわ。うちの娘らはたぶん、まだ単独行では都心環状線には入れないと思うから。

妹の葉月は、隣の「スペーシアカスタム」を与えられたそうです。

「ひどいんだよー。最初はクロスビー買ってもらうってことで話が進んでいたのに、カタログを見ていたお母さんが『これ、あたしが買うわ。あんたにスペーシアあげる』だって」

「あんた小型車なんだからいいじゃんよ」←いや軽自動車でしょ?

「なんだか、うち(ハスラーとエスクード)とおんなじですねー」

「それをお父さんに言うなよー。SUZUKIっず第二世代とか言い出すから」

 

 

・・・しっかり聞こえてるわ!

背中で泣いてたある日の美学

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昨年末の大掃除の折、ずいぶん前に発掘されそのまま仕舞われていた「シダヌキ竜Tシャツ」最後の1枚が見つけ出され、そのサイズが僕にはもはや小さく(ちくしょー)、さりとて家内や娘らには大きすぎ、何の役にも立たなくなっていることで、「処分せよ」とのお達しが出かかり、

「いまさらシャツ1枚くらい箪笥になんの邪魔にもならんだろうっ」

などと懇願してみたび仕舞うことに。

2001、と書かれていますが、このコピーは1作目の「バックトゥザフューチャー」を見てパロディ化したものなので、80年代の制作ノベルティでした。89年の東京モーターショーに参考出品されたスズキエスクードのカスタムレジントップのボディサイドに同じコピーが書かれていましたが、うちのはそれよりも3年くらい早かったはずです。原案の絵を描いたのが風花さん。クリンナップしたのが僕ですが、風花さんからは「シダが『からくりもんもん』になっちゃってますぅ」と泣かれたものでした。

「そもそもシダヌキ竜とはなんですか?」

と、霙に聞かれて説明したものかどうか迷ったのですが、要するにシダ植物の食いすぎで狸の腹のようにむっくりしてしまった草食恐竜の一種。当時の、つくばーどの前身となる部活において、年長者の世捨て人が、その頃の僕のことを揶揄してそういうキャラクターを作り上げたのです。失礼な話だよなー、3Lサイズだぜ。たいして・・・

「いやそれ今だからそう言えるサイズでは?」

という霰の一言でとどめを刺されるのでした。

20年くらい前の近未来日記

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ハードディスクの中からサルベージしたテキストは、20年くらい前に書いたものでしたが、主人公が「何年も前に成人した僕の曾孫」という設定は、だんだん予測が崩れてきています。スズキももっと早く水素燃焼エンジンを世に出すかもしれませんし。それ以前に、この世界観をわかってくれる人なんか当時も今もいないんじゃないか?

おまけにブログ記事としてはとてつもなく長いので、お読みになるのはやめといたほうがいいかもしれません。

そんなもの出すなって? 僕だって(そうもいかなくなっちゃったんだけれど)正月くらい休みたかったんですよー。

 

その日僕は、納車されたSUZUKIの4輪駆動車「雫」についての、取り扱いマニュアルを読みふけっていた。
4WDはSUZUKIのロングセラーブランドだが、営業オフロードコース以外に未舗装路の乏しくなった現代、新しい提案を求められていた。
“雫”と名付けられた新型四駆は、2040年にSUZUKIが発表した水素燃料エンジンが搭載されたものだ。当時、水素燃料をイメージさせたという“雫”なる愛称は、SUZUKIの文字を組み替えたものと話題になった。これは三代目にあたる。

届いたばかりのこの新車をさっそく乗り出してみようと思っていたところへ、ロンドン郊外に住む知人、アンウイン・スタンレー神父からの使いがやってきた。
驚くべき事に、彼、マシュウ・ハーディングは身の丈50cmにも満たない小人であった。
物質縮小マシン「ミニマイザー」の効果によって自らのサイズを変え、隠密行動をとっているのだという。スタンレー神父は、イギリス情報部本部聖職者作戦課 (BISHOP)のエージェント、マシュウは神父の助手にしてコマンドなのだ。

彼は一枚の写真を僕に差し出した。
デジタル写真が平準化した現代においては珍しい、銀塩写真で撮影されたもののようだ。
神父が、発令されたロンドン指令Xに基づく調査の末、命がけで入手したものだという。命がけだったのは、たぶんマシュウの方だろう。
そこには奇妙なクルマが何台か映っていた。
マシュウは淡々と話し始めた。

20世紀末、謎の円盤UFOが地球上に現れ、地球人誘拐などの事件が相次いだ。
宇宙人の侵略という可能性を見出した人類は、1980年代に地球防衛秘密組織SHADOを結成し、UFOの迎撃作戦を展開していたという。
SHADOはイギリスのハーリントン・ストレイカー映画製作プロダクションの撮影スタジオ地下に司令部を設けていたというが、存在は世界的に秘匿され、月面に前線基地があることすら、人類は知らされていなかった。

その事実が明るみに出たのは、1999年のこと、月面に廃棄していた核廃棄物が連鎖反応を起こし月が地球の周回軌道を外れ太陽系を飛び出してしまう、ムーンベース・アルファ遭難事件によってであった。
ムーンベース・アルファの漂流は、異なる種族との遭遇を果たすが、この事件によって地球を直接侵略しようとするアンドロイド・ゼルダのモンスターも確認された。2020年、人類は地球防衛軍テラホークスを結成してこれを迎え撃った。混乱期に入った地球は、海底からの地上侵略にも見舞われた。タイタン族と名乗る海底人が、UFOやゼルダと共闘していたかどうかは確認されていないが、この局地的侵略には、世界海洋安全機構(WASP)が派遣した原子力潜水艇 スティングレイのトロイ艦長が対応にあたった。

マシュウはデミカップを両腕で抱えながら、ややぬるくなったアールグレイを一口すすり、これほどの攻防に投入された人材、資機材と資本のことについて考えられることは何か。と、僕に問いかける。
卓越した人材登用と技術革新、それに伴う防衛装備の開発・・・ そうか、軍事組織や超兵器の存在は秘匿されていても、開発に伴って培われた技術は、形を変えて一般社会に流出しているのだ。
雲を突くような超高層建築や、それを短時間で施工してしまう工業化技術、巨大な土木工事を合理化する大型土木機械の登場は、確かにある。しかし、ここ数年、原子力施設でのトラブルや、地球環境の変化から起きた自然災害による人的被害も拡大傾向にあった。

マシュウは話を続けた。
災害や事故に対して、国や政治、思想、宗教を問わず駆けつける私設救助隊が存在する。
その機動力は、地球の裏側へも一時間以内に到着し、無償の救助活動を展開する。
テクノロジーをねらう妨害者も存在するが、彼等「国際救助隊」はあらゆるイデオロギーを越えて、世界平和のために尽力しているという。

彼等の顔も姿も見たことはないが、時折、ニュース配信されてくる「国際救助隊」の活躍はよく知っている。彼等は、見ず知らずの被災者を助けるためだけに、命を賭して災害現場に乗り込み、名前も告げずに去っていくのだ。
21世紀半ばを過ぎて、ようやく地球規模の実質的な平和維持を唱えることのできる時代がやってきたのだ。
つまり、スタンレー神父は、僕に、“僕の曾祖父”の意志を継いで、彼等のような正義と平和のための盾として立ち上がれと伝えをよこしたのだろう。
すると、マシュウは、そうではないと首を横に振った。

この数年、人類は有人火星探索を実現している。しかしその途上、誤って異星人ミステロンの基地を破壊してしまい、ミステロンは人間や機械を自在に操れるロボット光線を使って、地球人への復讐を予告してきたのだという。
人類は新たな地球防衛機構「スペクトラム」を結成し、ミステロンの攻撃を撃退しようとしている。

それが、届けられた写真なのだという。
手前の赤い車両は識別もできないほどピントがずれているが、その奥の2台は画像処理によってディティールが明らかにされていた。
フロントタイヤが縦2連のロールス・ロイス! 2065年に日本の自動車スクープ誌がパパラッチショットを載せたものの、それ以前の2060年に大富豪J・トレーシーがフォルクスワーゲンから全面買収し経営再興を図っているロールス・ロイス社が、その存在を全面否定した、あのピンクのスーパーロイスだった。

ジェットエンジンを搭載しているらしい。というウソか本当かもわからないあやふやな情報のこのクルマは、実在したのだ・・・ 隣に対峙している窓もドアも見あたらない車両は、スーパーロイスの大きさから比較想像しても、かなり大型の装甲車のように見える。ドアもしくは乗降ハッチは、おそらく車体のサイドパネルに描かれている、見たこともないエンブレムのあたりにあるのだろう。
さらに奥で護衛のように控えているのは、謎の組織、スペクトラムが世界中に配備しようとしているSPV。わかりやすく言えば追跡戦闘車だ、と、マシュウはつぶやいた。

スーパーロールス・ロイスの所有者は、英国貴族クレイトン・ワード家の長女であるペネロープ・クレイトン・ワード嬢だという。
マシュウによれば、スタンレー神父の所属組織BISHOPとは異なる英国情報組織(F A B)に勤務している彼女は、個人的な関心から、例の国際救助隊にも取り入っており、そのイギリス支部エージェントという肩書きも有しているそうだ。
彼女がスペクトラム結成のために、ずっと以前から行動していたことを、スタンレー神父はキャッチしたらしい。
スペクトラムの指揮官であるホワイト大佐の存在と、件のペネロープ嬢が秘密裏に会見している場面が、マシュウが命がけで撮影したまさにこの写真だったのだ。

マシュウは告げた。

世界は再び、軍事力によって均衡を保つこととなる。20世紀末から経済斜陽で疲弊しきった日本にも、軍需による活況期が訪れるだろう。そのとき、何が正義で、何を信ずるべきかの、健全な判断力を有する世論は不可欠となる。
「ライデン・アラシダ。君と、君の仲間が構築するネットワークの活躍に期待したい。君の国の優れたモータリゼーション・テクノロジーとその産業が、軍需だけに傾くことのないよう、見守ってもらいたいのだ」
マシュウは初めて、事務的な対話を感情のこもった声に変えて、僕、“嵐田雷電”に、スタンレー神父からのメッセージを告げた。
マシュウが帰ったあと、僕は“雫”を走らせ、関東平野の隅っこに秘密基地を持つ曾祖父のもとへ急いだ。
曾祖父は齢100歳を越えてなお、すけべじじいを気取って、僕と同じ世代の若い女の子と遊びほうけている、どうしようもない妖怪爺ぃだと思っていた。
「ひい爺のあれは、このときのためのフェイクだったんだ!」
残念ながら、“雫”の性能をインプレッションするのは、また別の機会に譲らねばならない。僕は世界の片隅で、世界が動いている瞬間に、初めて遭遇した。
西暦2067年、冬のことである。

牛も千里、馬も千里

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西暦の末尾が「1」の年、株式市況にとってはろくなことが起こらないそうです。ついでにその年の干支が「丑」だったりすると、何かしらの要因でつまづくことも少なくなかったとか。真偽のほどは、過去の年回りを点検し、ことしを過ごしていけば、どうにかなるのかならないのかがはっきりするでしょうから、当たるも当たらぬも八卦ってところです。

昨年暮れに木星と土星が何百年ぶりの超最接近したことで、世の中の流れはすでに切り替わっているという説もあります。西洋占星術において「風の宮」に属する星座の人たちにとっては、大躍進の年回りだとか。これもまた真偽のほどは過ぎてみないとわかりませんが、丑年で天秤座の僕は、両方比べてプラマイゼロかよ?

翻って丑=牛。牛乳飲んで育ったうえ、牛肉食って重くなった恩恵を受けていながら、牛には馬ほどの魅力が無くて、有馬記念や東京大賞典を走る競走馬が話題になっても、闘牛場での牛の扱いはもとより、そも闘牛って牛がマタドールに負かされる趣向じゃん。劣ったものから優れたものに乗り換えることを「牛を馬に乗り換える」とも云ってしまうのも、なんだか哀れさを感じます。

早くても遅くても、劣っても優れても、行き着く結果は同じじゃありませんか。慌ててもしょうがない。15年もかかりましたが、地球と月を往復する距離を走り切ったし、あの6月の日から現在、80万キロまであと6000キロを割りました。

牛も千里、馬も千里。走り続けられるなら、走ります。