Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

大暑来れる前なればなり

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小暑は過ぎたので、ぼちぼち梅雨明けに向かってほしいところです。

恋瀬川を遡っていくと、左岸に天の川が流れ込んでくる。恋瀬川とか天の川とか、またなんとも風情のある名前を付けたものです(ただし、諸説ありますが恋瀬というのは単に当て字に過ぎないそうです)。でもどちらを遡上しても彼方の筑波山にはたどり着けないのですが、天の川よりさらに上流で合流している川又川を進めば、なんとか筑波山の山体にに最も近いところまで行くことができます。

梅雨が明けてくると、蟋蟀居壁などと言われコオロギの類が壁際で鳴き始めるということですが、つくばーど基地では例年、7月2日あたりにヒグラシが鳴き(しかしヒグラシは秋の季語)、これを機に梅雨明けの様相となります。今年は10日夕方にようやく鳴きました。

昨年は6月の末に明けていましたが、この7月はもう少し梅雨が踏みとどまるらしいです。

風情だけなら良いのですが、災害頻度の高まる気候変動はどうにかならんものかと思わされます。稜線の向こうに積乱雲という景色は、かっこいいんですけどね。

 

 

あのころは何もかも大きく見えた・・・

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10年前のことです。

7月から10月にかけて、あちこちで大きなモビルスーツを目撃する年回りでした。その際たるやつが、お台場の隣で組み立てられたあれでしたが、この年の夏、話に聞いていた青森県の床屋さんの庭先にある、かなり大きなザクとガンダムを見物し、秋になって偶然、福島県でそれに匹敵するザクと巡り合っています。

2009年というのは、機動戦士ガンダムそのものの30周年という巡り合わせだったからでしょうか。しかも、僕らが高校の文化祭で作っていた着ぐるみのザクなんかよりはるかに精密なディティールが、30年の間にスタンダードに作られるようになっていました。この頃、青森県の床屋さんではコンクリート製のガンダムとシャア専用ザクが「いる」だけでもすごいインパクトでした。

この床屋さんなんかは東日本大震災を経験しながらも、その後に制作量が増加して庭が急速に狭くなっていました。先日通りがかったら、見比べれば一目瞭然。まだ増えている(ガンダム、01に模様替えしている。いやそれよりドムとズゴックが隠れてしまったのが無念)んですから、大したものだと思います。自分じゃ100分の1スケールのプラモデルだって作るのいやです。でも10年前、毎夕仕事帰りに、ガンダムの組み立ての様子を見物に湾岸線を走って出かけていたんだねえと、心境が変わる以前の自分を思い返します。

そして10年目の7月が始まります。

やっちま・・・うとこだった

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いやもう狭いわ逆光で眩しいわ・・・

すいません。まあ見えてなかったです。

現状維持で

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常用速度でハンドルがぶれるというので点検したらば、丸坊主とは言わぬまでも、タイヤ全てがいろんな編摩耗していました。経年変化だから悪いところがあるわけではなさそうなので、デューラーH/Lの純正サイズで新調。これで直らないなら足回りとステアリング系統をどうにかしなくちゃいけないと思いましたが・・・直りました。

とはいえ親父も高齢ですから、これが最後のタイヤ交換になるでしょう。免許の更新はめでたく済んだようです。

車の運転は親から教わりました。親父は元カー〇〇でその弟なんかは〇〇族の頭目だったらしいですが、四駆の扱いは逆。そんな僕だってエスクード以前はSJ30、JA71にしか乗っていない経歴です。JB23は、ジムニー、エスクードを経て親父が自ら選択した、多分最初で最後のジムニーになるのでしょう。もちろん64ほしいらしいけれど、出てくるのが10年遅かったです。ただ、あちこちがさつ(7型だからポンコツ化したからね)ながら23は、これはこれで550cc時代に比べたらずいぶん進化したと思います。

私事ですが、この度その親父から、裏山の集落共同所有林の登録名義を譲り受けました。ま、共同所有の山なんで、それこそ品行方正にしてなきゃいけないんですけど、不特定多数の皆さんが入り込んでいる林道の一部、所有権持っちゃった形になります。

すげー、俺林道持ち・・・とか思ってたら、前年度の決算書も手渡され、税金のほか支出ばかり多いじゃん(笑)という実態も知ることに・・・

語って来る

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その背中、よく存じてますとも。

で、俺にどうしろと・・・

なんかほんとに一瞬、どうしようと思っちゃったよ。

運用停止命令

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積算走行距離において地球と月の往復を試みているBLUEらすかるは、その帰還コースで「どの辺にいるか」を表現しにくく、月までの384400キロに到達した後は、それまで余所のエスクードが持っていたバッケンレコード(587000キロ)越えくらいしかエポックがありませんでした。

700000キロ越えたらもうほぼ世間から忘れ去られてるし(笑)

そんな2019年、「ひろのまで行ってきて」という依頼が出まして一気に距離を出すこととなり、念のために大雑把な立ち寄り行程と区間距離を割り出したところ、ざっくり1300キロちょっとを走ってくることとなりました。

え?・・・これ、現状のオドメータと足し算すると、この遠出までの間に下手な運用すると732800キロを半端なところで踏んでしまうのではないか?

732800キロというのは、月まで行ってから地球の静止軌道へ戻ってくる距離で、ようやくBLUEらすかるにとっての数少ないエポックのタイミング。そんなのを高速道路上で踏むことになったら距離計の撮影ができない。さらにそのあとの先週のこと、

「雷蔵さん、G20のつくばサミットなんだけど」

「いやですっ、そんな近所誰だって行けるでしょ!」

「それじゃ軽井沢サミットは?」

「なんで交通規制かかるところばかり持ってくるんだよっ」

という具合でことごとく自ら運用禁止命令を下し、万全を期していたつもりだったのですが、よくよく考えてみたら毎朝基地から駅近くの駐車場を往復するわずか6キロの日数分を忘れていましたよ。

あ・・・歩くのか?

 

まあどうせ太平洋沿岸だ

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「雷蔵さん、ひろのまで行ってもらえますか?」

「ひろの? それは急ぎで?」

「ちょっと急ぎですが、遠いですよね」

「いやいや、ひろのなんて日帰りで充分行けるから」

「またまたー。いくらなんでもそこまで理不尽な依頼しませんよ。久慈あたりで泊まってもらっていいですから」

「えー? なんでわざわざ日立(市久慈町)で泊まる必要あるのさ。そのまま帰っちゃうよ」

えー、毎度ばかばかしい展開ですが、賢明な皆様には何がオチなのか、もうおわかりでしょうから、そこまで書きません。

ニアミス

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いやいやいや、あっちに翼がついてたら間違いなく接触の間合いだわ(笑)

無頓着なわけではないのだよ

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「お父さん、そろそろオジロ(ヤマタノオジロ)が1万キロになるんで、オイル交換した方が良いよね?」

「あー、ちょうどキリも良いからな。社長(主治医)のところに持って行きな」

という、傍から見ればまったく面白くもなんともない対話なんですが、ヤマタノオジロは2800キロくらいで水戸から名取に売り出されたディーラー使用車を買い取ったものです。

今回が初オイル交換なので、距離感としてはちょっとルーズだったかもしれません。仮にターボ無しのJStyleⅡだったら純正オイルの粘度が0W‐20でしたから、もう少し早めの交換サイクルにしていたと思います。でもオジロは二代ともターボ車でオイル指定が5W‐30。納車整備から7000キロくらいほっといてもいいやと(笑)

ここからは5000キロサイクルを奨励していくのですが、最近の車ってずいぶんと0W‐20指定が増えているんだなと、あらためて思わされました(まあうちので言えばサニーなんかずっと昔の車で0W‐20指定ですが)。同じR06Aのユニットでありながら、ターボの有無でハスラーの推奨粘度がそれほど違うとは・・・とか感じながら指定オイル表を見ていてびっくりしたのがJB74。

ジムニーシエラ、なんと0W‐16だそうで。いやー確かにK15Bには今のところターボは装備されていませんが、そんな粘度で回しているとは。これはユニットそのものの丈夫さに加えて、低粘度オイル自体の性能も格段に向上したということなんでしょうねえ。

というふうに解釈はするものの、実際、シエラのような用途でそれって大丈夫なの? それとももはやシエラでクロカンとかぶん回すとかが時代遅れ?

謎のヤマトタケル

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守谷市役所で見た張り紙に、環境政策であるグリーン・インフラで作ったオリジナルビールが完売という成果報告がありました。昨年、太陽光遮蔽のために窓辺に栽培したグリーンカーテンにホップを採用し、このホップからビールを作ったのだそうですが、これはなかなかの地域おこしですね。

と、感心しながらこのときはその場を辞したのですが、帰宅してこのポスターをよくよく見ていたら驚きの記述。

守谷の地名の由来は、あのヤマトタケルが「東征の折にうっそうと広がる森を見て『森なる哉(かな)』といわれたことから「森哉(もりや)」となった」という説明がなされていました。

し、知らなかったよ守谷とヤマトタケルの縁!

参考までに、ヤマトタケルとカナ打ちしていますが、こういう人物

しかし彼は古事記、日本書紀のどちらにも登場しながら、東征に関する行程には差異があったり、文字の使われ方も違います。でもって、そのどちらにおいても森哉という記述に覚えがありませんでした。てーことは、郷土史なのかこの埋もれた伝承は。

そう考えると、まず、干からびた大脳辺縁系の海馬に冷水をぶっかけ、常陸国風土記だ・・・とても思い出せないので引用させていただきましたが、無い。

むむむっ、これは黒岩重吾さんとか豊田有恒さんとか安彦良和さんとかゆうきまさみさんとか山岸涼子さんとかの作品を読み直さんといかんのかもしれないっ(それは違うな)。いずれにしても意外なところでヤマトタケルの足跡を見ることとなりました。そして今、守谷市はかつて広がっていた森林に敬意を表し、独自の政策を展開しているのです。