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  ~懲りない傾向~

県知事と基礎自治体首長

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千葉県のリポートなど一個人がしたところで何の役にも立たないのですが、昨年の西日本豪雨や記憶に新しい災害に対して、今回の、現場を除く国の対応は確かに鈍いなと感じます。「台風なんてちょくちょく来るものに対して大規模災害の前例を作りたくない」のか、「土砂災害や河川氾濫ではなく倒木と電柱電線の倒壊だとその管理者の領分」などという解釈なのか。そのような状況下で、復旧見込みの立て方が甘かったとはいえ、東京電力サイドは矢面に立たされながらも良くやっているんじゃないかと思います。

人の悪口を言ったところで状況が好転するわけじゃないので、千葉県の緊急物資の多くが手つかずの話だとか知事と国とのパイプが弱いとかは余所様に任せます。でもこういう事態において、県よりも基礎自治体、市町村の首長にこそその手腕が求められるのです。かつて雲仙普賢岳が火山噴火の災害を起こした時の島原市長さんのように、です。

システムが変わっていなければ、全国市長会には災害対策会議組織が存在し、全国各地で様々な大規模災害が生じたとき、被災地の首長が現地対策本部長となり、熊本市長さんが全国市長の支援活動などを総括指揮するポジションに立つことになっていたはずです(市長会総会などの事務手続きにより、総括監督者が後退していなければ)

さらに、これまでいろいろな災害被災した市長の何人かにも、副本部長的な権限が与えられ、物資や人員の送り出しなどについて縦横のネットワークが稼働することになっています。昨年、このシステムが立ち上げられています。

問題は、この組織が市長会の枠組みなので、町村レベルに対してどのように手を差し伸べていくかですが、まさか町村は関係ないなどと言いはしないでしょう。この組織のスキルは、あらゆる災害で被災経験した主張が司令塔や幹部スポットに立つという、知見経験を活かせるところにあります。そして主張後退していなければ、そういった主張陣には互いに助け合った横のつながりも役立つのだそうです。

この仕組みを立ち上げた全国市長会長さんは相馬市の市長で「うちが未曽有の災害に見舞われたとき、全国の首長たちがいち早く支援を申し出てくれたり、当人自ら物資を持って駆けつけてくれた。この恩義は全国各地に分け隔てなく返さねばならない」と、経緯を話してくれました。

東北のあの震災の時は、偶然にも、霞が関でも切れ者の課長が東北地方整備局長に赴任した直後の発災。もちろん被災県知事たちとのやりとりもあったのですが、多くの対応は被災地市町村首長との直接の談判と応対によるものでした。書籍が出ているのでそれに詳しいことですが、「私を国の局長と思わず、闇屋の親父だと思って何でも言ってください」という書簡を部下に持たせて派遣したことは有名です。

寝られているの? と尋ねたとき、「まあ五分とか十分くらいね」と、執務室に置かれているシュラフを指さしながら、「だけどうちの部下たちの行動が何も報道されない」と憤慨していたのを思い出します。今でこそ東北地方整備局は新しい合同庁舎に移転していますがあの頃、局舎は、よくあの地震で倒壊しなかったなあというぼろな建物でした。

などという昔話はそれこそ意味がない。

災害経験のない被災首長もいることでしょう。だからこそここが踏ん張り時でもあります。なぜなら台風シーズンはこれからです。再び市長会長の談を振り返れば「二次被災とそれに関連した死者を出してはならない。その目を行き届かせることができるのは基礎自治体でありそれが仕事」

偶然ですが、今の南房総市長さんは、全国道の駅連絡会という法人の初代会長職にあります。道の駅は各地でここに運営されている施設ですが、そのバックヤードにもこの法人を介したネットワークがあり、災害時に前線基地として活用される仕組みがあります。これらのインフラがどれだけ活用されるかも、今後の復旧復興のカギになります。

生誕百十年

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ツェッペリンとリンドバーグのときに、僕の祖母のことを少し書きました。彼女は明治42年、霞ケ浦にほど近い農家に生まれ、そこからうちの祖父に嫁ぐまではほぼ、「飛行船を見に行った」話しかわからず、その後の自分がたりも「関東大震災」と「東京大空襲」の逸話くらいしか聞き残っていません。東京オリンピックあたりからは僕自身の記憶と共有され、霙が生まれる前に鬼籍に入るので、今のところ我が家では最も長生きしてくれたことになっています。

なんだよ唐突に。と思われましょうが、本日がその誕生日で、有名人だったら生誕110年め、とか言われて話題になったことでしょう。残念ながら有名でも著名でもないので、孫が書き記すしかないのです。この件については10年前、当然書いているんですが、その当時のブログはデータがサーバーごとすっ飛んでしまっています。

ふーん、110年だってよ。と思い出しつつ今回、1909年という視点で歴史を紐解いてみたら、いろいろあってめんどくさいからリンクしますが、フェルディナント・ポルシェの長男と1日違いだったり、Z-carの父と言われた日産の片山豊さんなんかとも数日の違いという誕生日でした。

いや、まあそれだけなんですけどね。

 

 

恩は返すぜ

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先日、財布を置き忘れて霙の世話になった恩義を返しに出かけました。霙が時々立ち寄るというティールームは、喫茶店というよりもフルーツパーラーの雰囲気が強く、軽食よりもパフェが充実しています。コーヒーを飲まない彼女としては、その方が敷居が低いのだとか。

そんならその店で普段頼まないやつを頼むべしと、値段の一番高いデラックスをオーダーしましたがその実態を霙も知らない。

「ずいぶん前に『さかい屋の金魚鉢パフェ』食べてるし、何が出てきても驚かないですよ」と待ち構えていると、いたって普通の、でもかなりお洒落なやつが現れましたよ。

このお店も階下に青果店があり、角館のさかい屋のようにそこが母体。僕が子供の頃は青果店で果物を絞りジュースとして販売していましたが、そのコーナーがまだ残っていました。水戸の街も時間貸し駐車場を上手に使えばなかなか面白く訪ね歩けます。

今回は違うよな

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先週末の時点で、千葉県内の停電見復旧率の高さに慄然としましたが、復旧見込みの甘さを指摘し東京電力の会見にてヒステリックに詰問するメディアの声を聞き、唖然としました。

なにそれまだ福島第一原子力発電所事故の延長上の視点で攻め立てているの? 確かに実践経験不足で復旧の見込み違いをこれまた馬鹿正直に・・・いや実直に繰り返し修正し続ける電力会社の容量は悪いのですが。いまスケープゴートを立てたところで被災地にドラスティックな変化など起きないでしょうに。

マスメディアはこんな時に「何を伝えれば復旧が促されるのか」を率先して考えるべきではないのか。なぜって、「十月までに東日本大震災並みの災害でも起きなければ増税は停めない」旨の発言をしていた総理大臣が、今回の台風災害を「その域」とは認めておらず、内閣改造なんかやっちゃってるのです。でもいま、民意は、被災地をどうしてやればいいのかという関心事が勝っている。ならば報道とやらの正義とやらは、二手三手先の発想で動かなければならないのではないのか。

記者が、カメラマンが、機材をぶん投げて物資を運ぶなりマンパワーを投入するなりしてごらんなさいよ。大丈夫よ、それをどこかしらが報道してくれちゃうから。そのとき職務を放り出したあなたたちを、誰がゴミというものか。大手がその機動力で電波や活字を振るっていた東北の災害では、小資本の地場の記者たちが、仕事のできない状況下でそれをやるしかなくて、だけど彼らの誰一人そのことを恥も悔いもしなかったよ。

まあこんなこと書いてると「だったらお前が行きやがれ」と言われるのも必定なんで、それ言われるのとは関係なく行ってくるんですが、特にリポートはしません。

 

The easy life なあなあ日常

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唐突に三浦しをんさんの題名をひねり出しているのは、彼女の作風が家族を取り上げることが多いのと、~なあなあ~が2009年の出版(連載はもう少し前)だったからですが、なんでかと言われたらば「表題なんていつも趣味で考えてるし」としか答えられません。

なあなあ、と、easyは、悪くするとチャラっぽく読まれるかもしれませんが、三浦さんの物語では「ゆっくりと」という方言として出てきます。

「宇宙の日」でもなく、「水路記念日」でもなく、「鳥取県民の日」でも「セイラ・マスの誕生日」でもなく。いつもゆっくりとというわけにはいかないだろうけれど、なあなあと歩む家族のために。

 

訃報受け取る

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宮城県で環境リサイクル会社JAC(ジェーエーシー)を営んでいた真野孝仁さんが7日に亡くなられたことを知らされました。今夕に仙台市で通夜、12日に社葬だと告げられても、まるで実感が伴いません。

真野さんとは震災の年の夏、石巻の瓦礫撤去現場で知り合い、巨大な破砕機械をボランティアで搬入し瓦礫を片付ける姿から始まり、社会的な問題となりつつあったプラスチック廃棄物のリサイクルを通した7次化をめざす取り組みを追いかけさせてもらっていました。

人(僕)のことを「やせなさいよ」と言っておきながら自身が厄年のときに高血圧で死にかけ、しかし無事に復帰したのに、享年48とは若すぎる。先日の遠野の行事では霰と同い年の息子さんが補佐役として走り回っていたけれど、まだ仕事を教え始めたばかりだろうに。

お悔やみなんか一番似合わない、ライト級ボクサーのような、それでいてブルドーザーのような男でした。合掌しつつも、これ以上何も言葉が出ないわ。明日は余計なことを言わず焼香してきます(なんだよ迂闊なことをって、言っちゃったんだい)

情けない親

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就活の谷間でぐでーとしている霙を叩き起こし、他の二人は仕事で不在のため外で昼食にするぞと(前に霰と出かけたパターンですな)はっぱをかけたところまではよかったんですよ。

で、自分も支度をしようとしたら、財布がない。

考える。・・・じわーと考える。・・・怖い考えになってしまった。

東京の・・・事務所の机の上だ!

どひー・・・

という顛末で、娘に昼飯を御馳走になるの図。

うつろう高原

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馬鹿の一つ覚えのように、種山高原の「星座の森キャンプ場」にある献立の少ない料理店では「銀河鉄道の夜」と名付けられた特製ラーメンしか食わないのですが、その少ない献立に変化が起きていました。

新作「星座のもりそば」。注文していません。もりそばをすするような暑さと無縁の19℃ですもん。

「そうなんですよー。売れないの」(おいおい)

それにしても、ミックスピザとかチーズピザとかロールケーキとか。ずいぶん増やした割にはひねらない名前だなあと思い込み、肝心の「星座のもりそば」のネーミングの妙に気がつきませんでした。これを頼むには、来年の夏まで待たねばならん・・・ キャンプ場は10月で休業となり、冬になればスタッフの皆さんは近くのスキー場へと職場を移します。

高原のてっぺんへ出かけると、いくらか紅葉が始まっていました。が、ここは雑多な植生が牧草地と林道を隔てるので、秋の景色はさほど美しいわけではない。個々の草花に絞って眺めた方が良いところです。

午前中に滞在していた遠野の方向を眺めると、早池峰山は雲に隠れていましたが、手前の森になんやら伐採の痕跡がみられます。

あー・・・太陽光発電だ。

あっちの峰にはそれほどの積雪はないということなのか?

遠野からも貞任山の稜線にそびえる風力発電が見えて、なんとなく不似合いな景色になってしまって久しいのですが、種山高原も時代の流れに呑み込まれています。

 

ケンタウル露をふらせ

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軽率なことをした。

「機械の体をもらいに行きたいので、銀河鉄道のパスを手配いただけないか」

友人からのメールはいつもの如しだったが、いつもと違っていた。

「あー、メーテルさんは要りません。独り旅と洒落込むつもりだから」

パスを(まあ偽造だけどね)発行しながら、腑に落ちない文面に、何事ぞ? と尋ねたら、重い病の報が届いた。

そんな、俺より若いじゃねーかよ。そのうえ、俺なんかよりずっと知力も体力も使いこなしているはずなのに。

偽造とはいえ、パスなど発行すべきではなかった。そもそも偽造なので、銀河鉄道には乗れるはずはないのだけれど。

だが999もどうやらまだ完結には程遠いらしいし、銀河鉄道の夜にしたところで「第3稿」まではあの結末ではなかった。

どうせ改札を通れない無期限・無制限だけど無効なパスだ。まだ何か手立てはあるかもしれない。

あってほしい。

制定日まで待てんわ!

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8月29日が「やきにくの日」というのは薄々察してはいましたが、土用の丑の日、天ぷらの日(7月23日らしい)と並んで「夏バテ防止三大食べ物記念日」だとは知りませんでした。

「誰だよそういうのを決めているのは?」

「それ以前に待ってらんないっしょ!」

鰻、天ぷらと食いつないで焼き肉までつなげということなのでしょうけれど、霰の職場はウルトラスーパーハードワークの気力とスタミナ勝負なところなので、腹を壊さない程度に食えるものは食いたいときに食っておく信条を養っているようです。

てことで29日まで待ったりしない父娘(あー、これ、24日の暑気払いよりも前のお話です)。あとの二人は仕事と学校で不在なので、まあ二人だったら暴飲暴食にもならんだろうと行ってきたわけですが・・・母親譲りのアイアンストマックぶりにあらためて「二十代ってすげーわ」と感嘆させられましたよ。