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  ~懲りない傾向~

唯我独尊というかまだ前衛というか

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「愛の戦士レインボーマン」「ダイヤモンド・アイ」に続く「コンドールマン」のいで立ちは、ヒトを超越した神がかりな化身なので、いやその姿はさすがについていけないと思えど、こういうのが川内康範作品なんだろうなあと押し切られてしまうものがあります。60年代ならそんなことを気に留めなかったはずですが、コンドールマンの登場は1975年3月31日。少なくとも「月光仮面」をトレースしながら新機軸を創造したレインボーマンの造形の方に軍配をあげたくなります。

前2作が東宝制作、コンドールマンは東映作品ですが、コスチュームへの言及はここまでとしても、大道具であるマッハコンドルのなんとも雑な作りとコンドルよりもヒヨコ風味にがっかり感が漂うのです。でもこの時代の材料ならではという、フェアレディ―をこんなにしてしまう造形屋さんの度胸には敬意を表します。

それで釣るのか!

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今さらハセガワがマットビハイクルの模型を出すからどうだって言うんだ? と思って、先日リリースされた予告なんかろくに見ていなかったんですよ。こちとらもう模型なんか眼もついて行かないし指もおぼつかないので作る気にもならないんですよ。

そしたらなんと、この限定品模型にはMATエンブレムのピンバッジがついてくるってなんですかそれはーっ

いや、MATのバッジなんて既に持っているんですよ。にもかかわらず、なんでこういうのを見てしまうと欲しがるかな俺 ←愚か者め、どうせ注文したんだろ

科学特捜隊でもウルトラ警備隊でもなく、MATなんですよ。「帰ってきたウルトラマン」の放送時、この流星マークのデザイン、カラーリングにノックアウトされた田舎の子供は、あちこちのおもちゃ屋を探しても、マットアローやジャイロは売っていてもバッジなんか無い。と、べそをかいてたわけですよ。すると見るに見かねたかお袋がフェルト生地を買ってきて切り抜いて糊付けしてこのデザインを再現し、ウインドブレーカーの胸の辺りに縫い付けてくれたのでした。

僕が所有しているバッジは二種類あって、ひとつは地球防衛チーム(チームUまで)のコレクションでフルカラー、もうひとつがいぶし銀の地味なやつ。どうせわからんだろうと、場違いが分かっているのに後者をつけて参加したのが1999年に出かけて行った初のエスクードのオフライミーティングでしたが、これを見つけた男が1人だけ居ました。後の週末関東人・SIDEKICKさんとの邂逅でした。

そしたら母親キーワードでこんな話題が。

 

 

 

西暦2125年

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「さよならジュピター」の映画封切りは昨年3月17日が40周年目でしたから、今になって何を書き出すんだと思われましょうが、この物語の舞台は今からちょうど100年後の太陽系を描いているのです。なぜ2125年としたのかについては根拠があり、原作者の小松左京さんはミディアムブラックホールが太陽系に突っ込んでくる(これはさらに2年後の2127年)際、「木星以外の太陽系惑星がすべて地球の後方に位置する」環境を考えていたからです。

2127年の太陽系の諸惑星軌道は、木星だけが外宇宙に向けた場所にあるらしく、小松さんはこれを軌道計算ソフトで割り出したのだそうです。物語が火星から始まる100年後、人類は180億もの人口に達し、太陽系全体にも5億人の人々が居住就労している世の中となっているわけですが、2025年の現時点ではまだ、月の裏側に整備される太陽系開発機構どころか第二次月着陸のためのアルテミス計画もまだ人類を月面に送り込めていません。

19世紀の産業革命から100年程度で、技術の発達と引き換えに、地球上の諸環境は悪化の一途をたどってきたので、果たして21世紀からの100年がこれを覆せるのかどうかは見通しが暗いのだけれど、1970年代に元々の構想を練り上げた小松さんは、世界中の紛争に対して「そんなことしてる場合じゃないぜ」という考えとともに、人類まだまだ捨てたものじゃないと、このストーリーを立ち上げたのでしょう。

「復活の日」や「日本沈没」に比べて、「さよならジュピター」は、からっとした明るさがにじみ出ています。だから読んでいて楽しく面白い。100年もの未来はもはや僕の手の届くところでありませんが、曾孫の子供くらいだと現役かもしれません。

ただし、孫の予定が全く見えてません(笑)

メタルヒーローの系譜

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1985年3月15日に始まった「巨獣特捜ジャスピオン」は、東映メタルヒーローのシリーズ第4作に括られていますが、それ以前の「ギャバン」「シャリバン」「シャイダー」はどちらかと言えば宇宙刑事シリーズとという冠も持っていたので、ジャスピオンにおいて「メタルヒーロー」というカテゴリーが成立したのではないかと思います。仮面ライダー、スーパー戦隊とは別格のヒーロー像を創造する意欲が、この頃はまだまだ元気良かったのだということです。

ただ、前3作にわたる母艦、タンク、バイクといったプロップやレーザー剣などを踏襲しすぎて玩具面では飽きられかけていた面もあり、超惑星戦闘母艦ダイレオンなどは戦闘巨人に変形もできるのに、売れ行きは振るわなかったそうです。主人公が野生児という部分にも違和感があったかもしれません。が、次作の「時空戦士スピルバン」においてこれらのプロップが引き継がれ人気を出しているのだから、メタルヒーローの立派な橋渡し番組になりえたのです。

怪獣映画の矜持

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1995年3月11日に封切られた「ガメラ 大怪獣空中決戦」は、当時エンターテイメント路線に回帰しながら現代的な考証をそれなりに施していた「vsゴジラシリーズ」を、さらに一皮むいた出来栄えを持っていました。巨大生物のスケール感をもたらし、それがなぜそこに現れたのか、現れるとどうなるのか、そもそもそいつらは何者なのか。後に三部作となっていく「平成ガメラ」の幕開けとして、温故知新な映像とドラマがちりばめられていたと思います。

だからなのか、全てが描ききれない大盛りを超えた特盛りの中でも、怪獣映画でやるべきこととやりたいことはきちんと詰め合わせていた。言い換えると「やりすぎていない」ところが良作なのです。「2」「GⅢ」ではガメラの強さがインフレしてしまう部分もありますから。誤解なきよう加えると、僕は「ガメラ2レギオン襲来」なんかは大好きです。それでいて1作目が「ある程度怖い怪獣映画」を描いたことには脱帽しています。vsシリーズになったゴジラにはそういうものが失われていたし。

もうひとつの幸運、この映画で美しく大人になった中山忍さんの姿を見られたことは言うまでもありません(先日、ウイングマンでお母さんやっていた。それほど歳月が過ぎてしまった)。亡くなられた美穂さんには悪いけど、「ねーちゃんよりいいよな(「ラブレター」を除いて)」と思っていました。怪獣には美女です。キングコングの時代から。やるじゃねーか金子修介も樋口真嗣も(笑 金子さんなんかは出自がモノを言ってるし)。作り手のプライドを垣間見る怪獣映画でした。

宿敵は本当にTFだったのか

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1985年当時の雑誌記事内容を記憶からサルベージすると、「高速移動型へ可変するモビルスーツ」「当座の敵は巨人族を名乗る特別部隊」「中国系の名前を持つヒロイン」というキーワードが取り沙汰されていました。この年の3月2日に放送開始となった「機動戦士Zガンダム」は、スポンサーの意向によって、人気を盛り上げていた「トランスフォーマー玩具」への対抗措置と云われていますが、これらのキーワードには別の番組の影がちらついているような気がします。

「Z」は一年戦争の七年後を舞台としていますが、続々と新鋭機が出る(しかも可変機体などはかなりのコスト高)軍拡の時代と感じます。その一点において、「めぐりあい宇宙編」の大団円が薄められたようでいやだったのです。巨大ロボットは昔から戦う道具という宿命を背負っているので致し方ないけれど。後年、物語の改変まで行って「フィルムが全て」という以前のポリシーを曲げるなど、「Zガンダム」は翻弄され、それでもそこから40年ものシリーズ化を築く礎となりました。

でも実は49作目

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スーパー戦隊シリーズなんて言葉は後から造られたもので、今で言う「秘密戦隊ゴレンジャー」や「ジャッカー電撃隊」は当初、その括りにすら入れられなかったのですが、紆余曲折しながらシリーズ一本化したおかげで本年(4月5日)が50周年。あきれるほどに凄いものです。「ウルトラ」「ライダー」も持続はしていますが中断休止の時期もあった。スーパー戦隊は半世紀にわたって絶え間なく繰り出されている、ただ一つの特撮ヒーロー番組なのです。

そのただ一つの系譜を引き継ぐ50番目の戦隊が、本日放送開始となる「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」。50年目で50番目ですが実は番組として見ると49作目。ゴレンジャーが2年に及ぶ長丁場だったからです。ところが「ルパンレンジャーvsパトレンジャー」という二大戦隊を途中にちりばめていることで、うまいこと50番目を襲名でき、2026年の新戦隊には「50作目」の冠も与えられるおいしい年まわりになっています。しかし子供の憧れ番組にそういう商魂ちらつかせちゃいかんわ。

出すぎた杭は打たれない・・・はずなんだけど

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「出すぎた杭は打たれない」と言ったのは松下幸之助さんでした。中途半端で批判を恐れていては良い結果は得られない、信念をもって事に当たれという教えだったのですが、世の中そんなに甘くない。それをやり過ぎと解釈され邪魔だと疎まれれば、場の空気やらコスト論やらで潰されてしまうのが社会の構造になってしまいました。「仮面ライダークウガ」と「仮面ライダー響鬼」は、どちらも批判が無かったわけではありませんが2000年以降の仮面ライダーとして秀作でした。

しかしどちらも上記のような楽屋裏の騒動の末に、前者では警戒視線が生まれ、後者で遂に路線変更とプロデューサー更迭の顛末となりました。25年前のクウガは「仮面ライダーでなくてはならなかった」、20年前の響鬼は「仮面ライダーから脱したかった」という宿縁を背負い、それぞれが平成時代の新機軸を産み落としたけれど、内情として伝わるものには後味の悪さが残ります。そしてこの二作のようなライダーを超えてくるものもない。本日は両者の第一話の日です。

ワンツースリーっ

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12月3日もそうかもしれないような気もするんですが、1月23日こそが「ワンツースリーの日」として記念日制定されています。長野県佐久市に所在する一般社団法人日本記念日協会によるもので、同会がまだ任意団体だった1987年に定められています。その心は「自らの人生において跳躍する気持ちになろう」説と、「何事も一歩、二歩、三歩と踏みしめていこう」説とがあるようです。まあどちらももっともなお話です。明日に微笑みあるだけの人生はなかなか悪くない。

兄ちゃんは今年還暦な兄弟戦士

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1985年はバイクに乗って戦うあのヒーロー不在の頃でしたが、企画面で原作クレジットとしてかかわった石ノ森章太郎さんが「兄弟拳バイクロッサー」を世に送り出しています。キャラクターや小道具大道具を見れば、これはもう玩具企画が先行していることが分かりますけど、石ノ森ネームバリューは棄て置けないものだったのでしょう。主人公の一人、兄・水野拳は1965年の元日生まれで、本年還暦を迎えています。弟・水野銀次郎が乗るバイクを担いで砲撃する力持ちです。

放送局の違いからなのか、この二人は類型的にメタルヒーローと思われるのだけれど、そのシリーズには取り込まれていません。前年前作の「星雲仮面マシンマン」も同様でした。母艦があり戦闘車両と戦闘バイクがあり必殺武器のバイクを担いでしまうギミックなど、そうそう悪くもないアイデアだったと評価できるのですが、町内ヒーローというスケール感や悪役の扱いで、さほど人気は高まらなかった。ブルマー履いてタイツのような脚部が、僕は嫌いでした。40年前の本日登場。