Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

明日に微笑みあるだけ

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双方こんな大きさ

はかりしれない光を持つ者と、日輪の輝きを胸に秘める者。

ひとつ腑に落ちないのは、牛久の大仏さんは鎌倉の大仏さんが「銅造阿弥陀如来坐像」であることに対して、同じ阿弥陀なんだけれど「牛久阿弥陀大佛」で、如来が付いていないこと。大乗仏教もここに極まれり(なんせ青銅立像として世界一の高さですから)になっちゃったんで、遠慮しているのでしょうか。それはそれとして、仮に阿弥陀如来であるなら(仏像の姿かたちで分類もできるそうです)、サンスクリットの言葉ではअमिताभ, Amitābhaであり、はかりしれない光を持つ者となります。

一方、罰当たりなことしてしまいましたが無敵鋼人は、仏典の一つにある「法句経」の中の一説においては、仏教的な生きざまではないと説かれた行為のなかにある「大胆」の名を持つのですが、ご存じの方はご存じのように「ダイタンク」「ダイファイター」「ダイターン3」という形態変形を有する巨大な乗り物です。巨大な乗り物とはつまり、サンスクリットのmahā-yānaのことで、偶然にも大乗と和訳(漢訳)されていくのです。

大乗仏教は、悟りを開いて阿羅漢になろうとした者に教えを説く小乗仏教に対して、少数しか救われない利己主義という見地から大勢を救済する意図として生まれてきたそうで、そうだとすると僕の中では、仏陀の哲学とはまた乖離するんじゃないかとも思うのです。

その辺のことは今回はうっちゃりをかまして、「世のため人のため」と啖呵を切りダイターン3を動かす破嵐万丈の生きざまには大乗・マーハーヤナのロジックとダイターン3には共通項があるよねとこじつけるのです。

牛久の大仏さんは、実際には高さ100mですが、台座を加えるとダイターン3と同じ120mの姿でそびえております。

惜別の帰還~遺されたメッセージ~ 下

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自分の正体が露呈しているかもしれないというウルトラマンは過去にもいたのですが、具体的に「ウルトラマンに変身しろ!」と言われてしまったのは、「ザ☆ウルトラマン」においてU40の戦士ジョーニアスと融合していたヒカリ超一郎でした。最終話の一つ手前で、科学警備隊内でそのような噂話が広がっていましたが、敵の本拠でこれを同僚に言われた時、ヒカリは別所の戦いに赴くジョーニアスと分離しており、秘密の保持以前に答えるに答えられない状況でした。

その分離の際、「この一番大事なときに」と訴えるヒカリに対して、ジョーニアスは「私を頼るな」と言い残します。その真意について、戦いが終息して二人が再開した折、ジョーニアスは「私たちのことをなぜ最後まで隠さなければならなかったか、わかってくれただろうね?」という問いかけ、「誰もが自分の力を信じて戦うべきだから。誰にも頼ってはならないから」と、ヒカリは答えます。ちょっと遠回しですが、歴代ウルトラの「自らの手で守る」が踏襲されています。

もっと具体的に「君の方に事情があることも知ってしまった。ウルトラの星に戻らなければならんだろう? それに今度の戦いで君は傷ついている」「もう、80に変身しないでくれ」と、UGМのオオヤマキャップに言われてしまうのが、ウルトラマン80(エイティ)こと矢的猛。だから変身しません。怪獣とは(回想シーンを除き)UGМが対決し、勝利する。猛は宇宙へ帰るラストにおいて変身という、ウルトラのメッセージを受け手として表現するに至りました。

ウルトラマン80は、中学校の先生がウルトラマンという部分が今なお語り草なのですが、ウルトラ族と地球人との邂逅と別離については、非常に前衛的にまとめられているのです。

しかしやっぱり、矢的先生としての80は教え子たちに何も告げずに去ってしまった悔恨を残したようで、ウルトラマンメビウスにおいて後日譚が描かれました。しかしこれは後日譚であって、最終話ではありません。

「ウルトラマンが現れたとき、誰もヒカリを見ていない」などと、長きにわたってドラマでほとんどスルーされていた疑問を逆手に取った「ザ☆ウルトラマン」でしたが、物語の流れとしては大した問題にならず、はたまた敵の親玉もU40最強の戦士だから正体を知りたい程度の欲求で、むしろ初代とハヤタの別れと対照的に、互いの信頼感を残して別離しながら、ウルトラの力に頼らない生き方をアピールしていったのがジョーニアスとヒカリの関係でした。

回想シーンを別にしてドラマ上最後の戦いにウルトラマンを登場させずに、80を乗り切った番組の英断は、歴代で最もウルトラのメッセージを具現化したものになりました。矢的猛は婚約者のウルトラウーマン(ユリアン)と地球の最後の余暇を満喫し、最後の最後で変身してウルトラの星へ帰っていくのですが、まあ、余暇を満喫している時間内に教え子のところに顔を出さなかったことは、あとになって「しまった!」と思ったことでしょう。

しかしそれ以上に、教育者というフォーマットを無理やり詰め込んだことが、放送局との絶縁に始まる円谷プロダクション破綻への道を歩み始めた歴史が哀しい。けれどもこの項はそこまで突っ込むものではないので、放漫経営と言えどもスポンサーに頓着せず、物語を紡ごうとしていったスタッフを称賛したいところです。

 

惜別の帰還~遺されたメッセージ~ 中

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正体を知られたら地球を去らねばならない。えっ、聞いてませんよそんな掟! というウルトラマンAこと北斗星司に課せられた運命は、実に過酷な結末でした。北斗は異次元人ヤプールの罠にかかり、信頼感を奪い取られた少年たちに「やさしさを失わないでくれ」と願うがために、正体を明かさざるを得ませんでした。これは北斗=Aが守ってきた対象にいとも簡単に「信じないぞ」と手のひらを返され、自らの無力さを突き付けられたとも受け止められるのです(尺の関係で後述)

一方、初代以来久々に「ウルトラマンと決別」した東光太郎は、ウルトラマンタロウがいてくれれば、と他力本願となり自立の道を閉ざしていた少年に、「俺はもうウルトラのバッジには頼らない」と断言してその力を放棄し、地球人として異星人を退けました。自分の道は自身で歩んでいくというメッセージは、初代において科学特捜隊が悟ったそれと同一のものでした。光太郎は雑踏の中、何処かへ旅立っていくのですが、歴代で最も能動的、希望に満ちた「じゃあね」でした。

「 地球の為にお前は戦い勝たなければならない。だが、お前自身が宇宙人という事を人間達に知らせてしまう事になる。 お前自身が本当に試される時が来たのだ」

おゝとりゲンの夢枕に立つウルトラセブンの言うことがまた唐突なんですが、ゲンがどうしたかというと、自分のことより同居していた少年・透の将来を案じて「自分の力で立つんだ」と諭します。セブンにしごかれてきたウルトラマンレオには、他者を思いやる心が宿っていました。

結果、ゲンは周囲の人々から信頼され、地球を第二の故郷として生きる道を得るのですが、やさしさが他者の危機を見過ごせない。怪獣化しかかった少年を助けるためにレオの力を使わざるを得ず、ここでまた「正体を知られたら去らなくてはならない」妙な掟を肩代わりすることになります。この掟は本来、おとめ座から来た魔法使い卒業試験中の「コメットさん」にふりかかっていた問題で、しかもコメットさん、タロウを頼りにしたのに、ゲンが少年を救うのでした。

「やさしさを失わないでくれ」「たとえその気持ちが何百回裏切られようとも」というウルトラマンAの最後の言葉(途中省略)は、Aの力を与えられた北斗にとっても、TAC入隊直後の隊内での仕打ちや、偽物の郷秀樹と対峙した時の坂田次郎との葛藤など、身をもって経験してきた辛さの表れのような気がします。それらを当初は南夕子が支えていましたが、夕子にもまた彼女の事情があり別れ別れにならなければならなかった。大いなるAの力をもってしても、運命は変えることができない。それでも北斗は地球の子供たちに「心」を託したかったのだと思われます。

ウルトラマンタロウというドラマは、ウルトラの名を借りたお伽噺でした。だからこそいろいろと破天荒な展開は許されるのですが、どんなお伽噺にも結末があり、本を閉じたときその世界は終わるものです。いつまでもウルトラの力に依存しては、未来の自分自身の世界を切り拓けない。東光太郎はそのことを少年に伝えたかったのでしょう。ウルトラマンと決別し、自ら異星人を撃退するという行動は初代から80までの歴代でただ一人の主人公です。

ウルトラマンレオは、いわゆるМ78星雲の種族とは異なり、獅子座の母星を滅ぼされ地球に逃げ延びていた亡命者です。その頃地球はウルトラセブンが防衛派遣されていたので、割り切ってしまえばセブンの戦いに加担する義理はなかった。彼はむしろ第二の故郷としてすがりたかった地球のためにセブンの意志を受け止め、いろいろひどい目に遭うのです。艱難辛苦を乗り越えて、ようやくその思いを成し遂げられたというのに、まさか別の番組でやさしさと引き換えに地球を去ることになろうとは。しかもですよ、コメットさん(大場久美子版)の初恋の相手はウルトラマンタロウだという・・・

 

惜別の帰還~遺されたメッセージ~ 上

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脚本上で毎度悩まされたであろう、ヒーローの去就をどうするか。という大人の逡巡など透かして見ることなく、ドラマから直に伝わってくるメッセージを受け止めていた童心もずいぶん老いぼれました。ウルトラマンに視点を置いていま振り返ると、一貫した「我々(地球人)の平和は我々自身で守らねばならない」って、ある意味思想だよなあと思わされるのですが、そこはまあ目をそらして、歴代のウルトラマンが遺したメッセージを80まで巡ってみようと思い立ちました。

が、いきなり、初代はそういうことを何も語っておらず、科学特捜隊の面々が自ら悟っているのです。初代と融合していたハヤタ隊員を分離する際、ゾフィーが施したか初代自身がやったか不明ですが、融合時の記憶を消してしまったのが初代の去就。メッセージを追いかけるよりも、むしろそれ自体がファーストコンタクトの終焉として、ウルトラのセンス・オブ・ワンダーでした。地球は大きな借りを作っているのですが、「貸も釣もいらねーよ」という、歴代唯一の切れ味です。

ハヤタに対してさえ正体を消し去った初代に対して180度方向転換して、自らの事情とともに正体を明かして最後の戦いに挑んだウルトラセブンは、地球滞在時に異星人女性とのロマンスらしきものも経験してのことなのでしょう。かなり女々しく泥臭いのです。しかしそれが惜別の美談として語り継がれることとなり、これ以降のウルトラマンにも様々な形で受け継がれていくのです。ここでもセブンは背中だけを見せ、自分のこと以外は特に語らず帰還していきました。

故郷の星が星間戦争に巻き込まれたことを知り、その戦いに加勢することを決意し、地球を去る旨を告げたのが、邂逅時に命を落としてしまった郷秀樹と一体化した新ウルトラマン。ただしウルトラマンの姿でなく大人の男として「ウルトラ5つの誓い」「大きくなったら」という、少年への自立を促す対話でした。宇宙と地球ではなく、個人と個人の生き様を伝える。坂田次郎という少年を通して、その言葉は同年代の少年少女に伝えられた、やさしさと勇気についての素朴な願いでした。

余談として。その後のハヤタがどうなっていったのかはほぼ語られておらず、いつの間にか初代自身が地球に来ているときにハヤタの姿を借りている図式でうやむやになっているように思います。モロボシダンがいなくなった後、彼とうり二つの(というよりセブンに姿を借りられていたことすら知らない)薩摩次郎さんが、逆にダンと間違われるようなことはなかったのかは大いに気になるところです。

「アマギ隊員がピンチなんだよ!」という言葉がなかったら、ウルトラセブンの去就の構図はとても好きになれない、メッセージすら感じない一幕でしたが、よく考えてみるとセブンの場合、別れの場面よりも地球人(薩摩次郎)との邂逅にこそセンス・オブ・ワンダーな瞬間があり、セブンこと恒天観測員340号の決意というメッセージが秘められていたのかもしれません。

上記の二人に対して、地球人として初めてウルトラの星へ導かれることになってしまった郷秀樹は、第1話ですでに死亡してしまった経緯がありますが、新ウルトラマンと一体化したことで人格や心は復活したのだと解釈しています。新ウルトラマンは初代、セブンと異なり、行きがかり上地球にとどまったのではなく、明確に地球の異変や危機に手を差し伸べる目的で「帰ってきた」ウルトラマンでしたが、彼が願いを寄せたのは坂田次郎というたった一人の地球人でした。

坂田次郎君が大人になった頃、大きくなったら入れと言われたМATはすでに無くなっているのですが、「ウルトラ5つの誓い」は彼の友人である後の防衛チームの隊長を通じて受け継がれているところが、少年(視聴者)がおっさんになってから感銘する巡りあわせでもあります。

 

天は気まぐれ

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快晴、晴れ、薄曇り、曇り、煙霧、砂じん嵐、地ふぶき、霧、霧雨、雨、みぞれ、雪、あられ、ひょう、雷。

というのが気象庁が定めるところの「天気」の種類。国際気象ではこの15種どころか96にも及ぶのが「天気」。いやそこまで調べたくないから、気象庁による「雨」の表現でいいやと思ったらこれも31もあるのでやめときます。

なんだ突然? と言われれば、27日に発売された「天気の子」のソフトが26日には届いていたので、初めて観たわけです。劇場公開では「君の名は。」だって観てないんですから(自慢にもならん)

はー・・・そういう話だったんだ。

前作に比べると、複雑さはだいぶ緩和された・・・前作はその複雑な絡み合いも要素ではあったので・・・それに加えて「雨降りで世界がどうにかなってしまう」というカタストロフとカタルシスは、ひょっとするとどこかに同じような物語があるかもしれないけれど、ひとまず「どこかで見た」物語づくりでないのが良かったことと、すれ違いの多かった新海作品の中で、そうはならなかった安堵感。まーあの二人が良いと思える結末ならば、世界がどうにかなっちっゃてもいいですわ。

内容を細かく書いたらいけないだろうからそこは外して、この物語は2021年の夏が舞台。来年、東京が大雨続きになったら、この映画の再現です。

 

謎の光子力研究所

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光子力エンジンそのものがいろいろ謎含みのマジンガーZですけど、誰もが知っているその格納庫は、光子力研究所敷地内の汚水処理場(二次処理中の沈殿池と思われる)が底を二つに割って処理水を落としながら、マジンガーをリフトアップさせてくる。

前田建設ファンタジー営業部でも、明確に「プール」と思われていたけれど「処理場」とリポートしていました。

もちろん僕だって自信をもってそう思っていたんですよ。ところが、最近発売されている永井豪さんの単行本を読んでいたら、弓さやかがとんでもないことを言っているではありませんか!

ええっ、原作者がそういうネームを切っていたとは!(これが誤解正解の源だったのか?)。でもこの会話の出てくるエピソード、初めて見るのです。少なくとも少年ジャンプ初連載の時のものじゃない。これいつ発表された話なんだろう?

こうなったら・・・!

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もうあとがない大ピンチ!

青年はきりっと宙をにらみ、懐から赤い物体を取り出す。

うちは当時(今もか)貧乏だったから、まだカラーテレビがなかったため「赤くなかった」んですが、えっ?と驚いて画面にかぶりつこうとしたのです。

 

唐突にこのシーンが見たくなって、ソフトを買ってしまいましたよ。

誰だよこんな脚本で撮ったのはと、最初に調べたのは高校生になってからでしたが、若槻文三さんと金城哲夫さんの合作で、監督が満田かずほさんだった。今だと、誰だったんだろうこんなこと提案したのは。って思っちゃいます。

 

どげんすっとねーっ⁉

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せっかく福岡に行くつもりだったので、先月からこっちで毎週日曜日の放送が始まっている「ドゲンジャーズ」を現地で視聴できるし現物を見られるかもしれないぜとほくそえんでいたのですが・・・・

結局行けなかったし!

まあその分はネット配信で見ればいいんだけどさ。

別の因果が此に報い

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あの「跳んで埼玉」では埼玉県を大いに蔑みながら、その実そんなもん以上に「ヌーの群れしかいない」ような発言で茨城県を罵倒していた二階堂ふみさん(そーじゃねー彼女自身じゃねー)ですが、連続テレビ小説「エール」で入学した音楽学校って、「気の弱い女性はその地名を聞いただけで卒倒してしまうという」(注 引用はマンガ版)茨城県の県立土浦第一高等学校の旧館じゃありませんか。まあ二階堂さんのせいでも何でもないんですけどね。

駆け足でも構成上手な総集編

駆け足でも構成上手な総集編 はコメントを受け付けていません。

連休なんだか連休じゃなかったのかよくわからなかった先週、夜中の机仕事のかたわら、「いだてん~東京オリムピック噺~」の総集編(録画)を流していたのが半分「当たり」で、当然残り半分は仕事の手が止まって「失敗」でした。

が、毎週見ていた大河ドラマ時間帯と異なり、全体を第一、第二部それぞれ前後編というまとめ方にしてある分、ストーリーが引き締められており、これはこれで見やすくてよかった。

「いだてん~」は、国盗りものや維新ものと異なり、数少ない近代史を扱ったことや、時代と場面の転位が激しく、なぜ落語が絡むのかなどモザイクのような構成ゆえ、周囲の高齢者はこぞって面白くないと言っていましたが、雑学でしか知らなかった明治から昭和にかけての近代史や、特にオリンピック招致に至る、教科書では教わらなかった史実を知ることもでき、実はかなり久しぶりに全話を欠かさず見ることとなった大河ドラマでした。

総集編は約45分の47回分を4時間半に凝縮したものですが、物語の縦軸に関してはしっかりまとめられています。まあばっさり落とせる部分もあるので(そこはそこで、大河としては真新しくおもしろかったのだけれど)、あとはどこをどうまとめるかで制作側の手腕が発揮されたような気がします。

しかし、やっぱり削られたパートにもそれなりに意味があったよなーとか、ブルーインパルスのくだりはもっと残してほしかったよなーとか、閉会式の楽屋裏かなり無くなっちゃってるなーなどと、よせばいいのに今度は毎週録画していた方を見始めてしまうという・・・ あれ? それ「半分失敗」で済んでいるのか?