Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

なぜに?!

1 Comment »

・・・風切羽だよねぇ

会社の中の階段に一枚落ちてました。
迷い込んだとしても風切羽だけ落とさないよね。
見えないトコで昇天してない事を願うわ・・・

 

文明開化の食道楽

No Comments »

1858年に日米修好通商条約が締結され、翌年の6月2日、横浜が開港したという史実に基づき、横浜では「この機会がカレーの上陸にもつながるから横浜カレー記念日」という食文化があるそうです。ご当地記念日ですからそれでいいと思いますが、当時の日本にはまだ「食肉禁止令」の名残があったはずで、上陸はしたけどかの地の外国人居留地から外に出るのはすぐ、ということではなかったでしょう(鶏肉や蛙肉などの切り抜け方はあったと思われます)

記録によれば、国内の書物にそれらしき記述が現れるのは1867(大政奉還の年ですね)年に西洋料理店主、三河屋久兵衛が幕府に提出した「西洋御料理御献立」、カレーの作り方が紹介された例は1872に出された「西洋料理指南」と、文明開化には横浜発ある程度の時間差が介在します。他方、長崎県では16世紀にキリシタン大名が派遣した天正遣欧使節が持ち帰ったとも伝えられているし、全国学校栄養士協議会が1982年、学校給食にちなんで、1月22日を「カレーの日」に制定してもいます。

「最初」や「記念日」は、カレーライス、ライスカレーの世界になると様々なアピールが出てきそうです。これを競っていてはきりがないので「みんな違ってみんな良い」で済ませる方が無難です。それより大変なのは、これを食す人々の好みの数だけカレーの味も千差万別。つくばーど®行事でも主たる献立にライスカレーを採用していますが辛さをどうするんだ?が最初の課題でした。「それはもう学校給食のカレーで行きます」という英断がなされたのは目からうろこな逸話でした。

途中、途切れることもありますが、つくばーど®でカレーを振舞った最初の行事は2000年4月のことで、つくばーど®行事としては3回目でした。このときは最初の課題を抱えたままで「どんな味でも受け付けるカレーコンペでやるぜ」と見切り発車。ここで優勝したのが、この後カレー部門の板チョーとなるSIDEKICKさん作の学校給食カレーです。四半世紀前ですから家族連れのお子さんも小さかった。激辛カレーは自然と遠のいていったのです。

つくばーど®行事の最初は1999年で、まあ何をやればいいか要領がわからず、一般的なバーベキューを設営しました。ここから試行錯誤して「何処そこで開くつくばーど®は〇〇」という具合に献立が決まっていき、カレーはほぼ、天狗の森で開いた行事か、天竜川河川敷に特化していきました。僕個人はSIDEKICKさんに敬意を表し、つくばーど®行事でカレーが作られるまでは家庭でも外食でも食わなかった時期がありました。現在、カレーは食いたいけれど控えねばならないのが信条的にきつい。

衣替えとクールビズ

2 Comments »

暦でいうところの「衣替え」は、春から夏が6月1日、秋で10月1日と教わり習わしてきましたが、この四半世紀で温暖化が進んだせいか、僕が先代から東京へ戻る以前から東京では5月の声を聞いたらクールビズのシフトになっていました。旧暦時代の衣替えは4月1日だったというから、これを現代に置き換えると5月の10日あたりなのだそうです。科学的には20℃を上回りだしたら夏物に切り替え始めると良いのだとか。

ラルフ・ヒンクリーもクラーク・ケントも年がら年中重ね着しているのは大変だろうなあと思うんだけれど、スーパースーツは暑さとか寒さを遮断してそうだから心配ないんでしょう。僕は上着がなくなるとポケットも激減して不便ですけどね。

さて僕と言えばお騒がせしましたが一週間入院して昨日、退院しております。その間、外の陽気も天候も全く分からずで、そのくせ入院着?は裸に薄いやつ一枚と、5月のうちに衣替えしてしまった気分でした。まあ病院内だから室温管理されているんだろうと思ったらこれが意外に寒い。院内すでに夏モードで、看護師たちも愚痴ってます。僕も1枚しか用意されていない掛け布団にくるまって過ごしておりました。