銀座四丁目において、服部時計店が営業を始めてから130年。現在の和光の前身であり。あのランドマークとなったモダンなビルは今なお健在です(今の時計塔ビルは1932年の完成で二代目)
昼も夜も関係なく、この時計塔を撮ったり背景にしたりの人が増えているなあと思えば、アニメの方は最終回を迎える「アポカリプスホテル」のホテル銀河楼として認知度が上がっているのですね。
第一作目の「ゴジラ」は僕とは世代違いで、1984年版ゴジラは有楽町マリオンをぶっ壊しにくる途上、どう考えても四丁目をのし歩いていたはずです。が、和光に対しては一作目の無許可破壊(セットですけど)トラブルによって長いこと東宝も遠慮していたのか、次に時計塔が出てくるのは「シン・ゴジラ」と「-1.0」というのも意外でした。
アポカリプスホテルの時代はずーっと未来の2157年。セイコーから買い取られてホテル改装されたのがいつのことかは不明ですが、銀座どころか地球規模で荒廃してしまう時代という設定に、怒られなかったのかと心配になります。その辺は許可の取り付けを澄ませているのでしょう。そんなことよりも、今の現場の人々が、敵を出さない、戦わない(全くではなかったけど)ロボットものを生み出すセンスに好感を持てました。それでいいんだと思います。
で、こっちも大団円にたどり着きましたが、よくまあ一話分の尺にこれだけ詰め込んだもんだよという中身ながら、散らばっているものの多くは「正史の焼き直し」で、向こう側の世界はハイパー化をも促すバイストン・ウェルまで使いまわす始末。そういうところが鼻につく。だから「戦争の怖さを感じられない」と言われてもしょうがないんだけれど、だからこそ「まあどうにかなったか」ってところです。最後に出てくるビーチがキューバあたりだったら笑っちゃうけどね(わかる人にはわかる)
何が言いたいかって、戦後80年になんなんとする今、その人々が描くアニメを「絵空事」などと言っていいのかと。いいじゃんそれで。戦前戦中の人々が巻き込まれてしまった苦渋の時代を、若い人たちに体験させてはならないのです。だったら戦記物とやらがイマジネーションの中でしか生まれないことは当然であって、世代間の乖離を自戒しても自慢してもいけない。ロボットを戦争の道具に仕立て上げてスポンサー喜ばせてきたオールドタイプが、それこそロボット出てくりゃ戦記物だって仕事を、いったいいつまでやらせるのよと。
だから、GQuuuuuuXは僕みたいなおっさんが観ても「悪く無かった」。残念であるとすれば、それを「機動戦士ガンダム」の軸線上で仮想戦記としてやらなくてはならなかったことで、そのジレンマも理解できます。だから僕は次に来るものには秘かに期待していたい。偉い人たちが作ってしまう前に、21世紀の作り手はこんなことをやりたくて、大人の事情の壁を突き崩しているんですよと。