Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

地元はとうに盛り過ぎたけど。

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やたらモコモコしてると思ったら・・・

万博記念公園の中で堪能~
バラ園の横に綺麗に咲いてました。
(バラは時期が早すぎてみんな蕾だった・・・)
地元の藤まつりの頃は藤通りに近寄らなかったから
今年は満開の藤棚見てなかったんだよね。
で、藤にも八重咲があると言う事を初めて知りました。

 

右も左も外国語・・・

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とてもイイ天気。

三日目、万博にはいかない事にして大阪城へ。
義弟達はサンタマリア号乗ってからの海遊館(笑)
この旅行で一番並んだし待ったわ・・・
〝ここから60分です〟という立札を通り過ぎて
当日券の列に並ぶと、周りはほぼ外国人観光客。
大阪弁どころか日本語が聞こえないという・・・
英語でも仏語でもなさそうだけど欧州の方よねぇ
ってカップルやら家族連れやら。アジア圏の方も多数。
テッペンの展望回廊も人でギューギューでした。
鳥よけの金網と転落防止の柵がちょっと邪魔だったな・・・

 

Far Away from Green Gables

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1908年にルーシー・モード・モンゴメリが出版した「Anne of Green Gables」が、1939年に日本の村岡花子が手にすることとなり、1952年の5月10日に「赤毛のアン」として和訳された本が世に出ることとなりました。ほぼ誰もが知っている少女アン・シャーリーの物語には、実は彼女が養女となったカスバー家の屋号は記されていますが、赤毛、とは一文字も使われていないタイトルです。あれは村岡翻訳時に出版社の提案でつけられた邦題なのです。

だからといって問題があるのかと言ったら(翻訳版の小説に関しては)何一つ気にすることもなく、むしろアンのキャラクターを明瞭に、一言で表現した秀逸なタイトルだったかもしれません。最近はその辺を意識してのことか、先月から放送の始まった新しいアニメ番組は「アン・シャーリー」のタイトルになっていますが、やっぱり今時「赤毛」という表現に問題があろうし、「グリーン・ゲイブル」をうまく表現しにくかったのかと感じます。

面白いと思ったのは、海外ドラマの「アンという名の少女」を英語版で見ていると、彼女のおしゃべりでちょっと生意気なセリフの数々が流暢すぎて(いや当たり前なんだけどね)、これを日本語に吹き替えたものの方が受け入れやすいし(これも日本人なんだからそりゃそうなんだよね)、和訳した人のセンスが良いんだろうなあというところです。

それにもまして、ドラマだろうとアニメだろうとほとんど彼女の容姿が一緒というのは原作小説に準拠してのことなんだろうけど、顔立ちに関する各作品の暗黙の徹底ぶりはたいしたものです。

二本の編み下げになって背中にたれている濃い赤毛。
白く小さな顔で、やせていて、そばかすだらけ。
とがった顎、大きな目とやさしい口もと。
額はゆたかに、ひろい。

というのがアン・シャーリーのキャラクター。物語の舞台となる18世紀末って、いわゆるふっくらグラマラスな容姿の女性に人気があった時代だそうですから、アン・シャーリーのやせぎすで赤毛にそばかすのおでこちゃんというのは、けっこう前衛的だったと思われます。そりゃあ花岡翻訳の頃だったら邦題に赤毛の~、を使わん手はないよねえ。

これはモンゴメリによる長編小説ですから、もちろんマシュウとマリラが住んでいたグリーン・ゲイブル(ハウス)も実在はしません。それを再現した建物はプリンスエドワード島にあることはあります。誤解のないよう記しておきますが、この記事の写真(上)にある建物は「それ」ではありません。なんで赤毛の少女でなくこれかというと、90年代に交流のあった現地在住の知人が乗っていたサイドキックで、プリンスエドワード島やカナダの風景を送ってきてくれたものです。

 

日頃の行いなのか?

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朝は結構な雨模様。

2日目の朝「(ホテルは)8時に出発しますので」と言う
ツアコンのおねいさんに連れられて万博会場へ。
泊まったホテルの最寄り駅からは2駅なんだけど
ゲート前の列に並んでからが長かったわ・・・
おねいさん曰く「先週よりか全然早いですよ」マヂか!
パビリオンは入場してから10分経ったら予約が
出来るといわれたけど、いまいちよく判らなくて
結局予約なしで見られるパビリオンをハシゴしました。
噂の大屋根リングに上がる頃にはお天気回復。
夜、知り合いと会食セッティングされてたんで
夕方までしかいませんでしたが・・・
夜のドローンショーとかも見て見たかったなぁ。
ちなみに。丸1日歩き回って26,000歩!
うーん、運動不足の身には堪えたわぁ・・・

まー、向かい側が遠い事(笑)


 

一日目の夜は繁華街に・・・

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ジンベエザメ♪

行きませんでした(笑)
ホテルから歩いて10分ちょっとの所に水族館が
あったのでそちらへ向かう事に。
(義弟達は難波へ行ってお好み焼き食べたそうです)
そんなに大きい建物じゃなかったけど
グルグル歩いてみて回ったら、タップリ二時間
掛かりました。
明るいうちに入館したのに、出てきたら真っ暗。
居酒屋で軽く夕飯済ませてホテルに戻りました。

これはこれで綺麗。

結局食べたお好み焼き。

 

ここいら辺りに三日ほど

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じゃじゃーん

社員研修と言う名の社員旅行で、万博込みの大阪行き。
一日目は〝万博記念公園〟で二時間ほど放牧されました(笑)
EXPO'70パビリオンの見学が組まれていたので
〝黄金の顔〟のオリジナルも間近で見られましたよ。
実物は、なかなか大きいのね(汗)
二日目と三日目分の入場券をもらったけど、三日目は
帰りの新幹線考えたら3~4時間しか滞在できなそうなので
私と新月サンは行きませんでした・・・

ででーん


 

瑠璃唐草

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ひたち海浜公園はこの時期、6時半には駐車場が開くほどの行楽人気。みはらしの丘を埋め尽くすネモフィラの満開にあたるからで、いわゆるインスタ映えスポットとして定着してしまいました。丘のふもとからは空に続くインシグニスブルー、丘に上がればその先に海も臨める絶妙のロケーションです。戦前戦時中は旧日本軍の飛行場、戦後はアメリカに接収され対地射爆場として扱われていたことは歴史の彼方の話になりました。

ただ、彼方に追いやってはならないのは、この射爆演習で1950年代にはけっこう沢山の地元住民が流弾の犠牲になったり低空飛行のプロペラに巻き込まれたりという事故が多発し、日米地位協定に阻まれ泣き寝入りを余儀なくされたことと、これをきっかけに当地の米軍基地が沖縄県に移転する結末になった歴史です。茨城県民は迂闊に戦後を忘れてはいけないなあと思わされますが、70年代の返還の頃、大人はそれを教えてくれませんでした。

公園のネモフィラは自生ものではありません。毎年ピークが過ぎれば撤去され、秋のコキアに備えて丘の手入れが行われ、コキアが見ごろを閉じたら翌年用の植栽が行われます。国土交通省が珍しく国民に支持される風景を生み出しているのです。慕われすぎの人出で連休や週末なんぞに軽く見物にも行けなくなりました。だから実は、ここで挿絵にしているのはひたち海浜公園ではなかったりします。ずるしているかどうかはともかく、同じ瑠璃唐草ではあります。

 

満開の白

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ソメイヨシノはすっかり葉桜になって数日経ちます。その間、梨畑の白い花が満開となりました。梨は自家受粉しないので、農園の人々によって受粉作業が行われ、消費者側の僕は秋の実りの楽しみを待つことになります。

バラ科ナシ属の梨の花がどことなく桜に似ているのも道理で、桜もバラ科サクラ亜科サクラ属です。

梨の花には魔除けの力があると、古代の人々は信じていたそうです。言葉遊びによるゲン担ぎでは、「梨を植えれば何もなし」(何も、というのは凶事のこと)と言ってみたり、「財産が失われ無しになるから庭に植えるな」などとも揶揄されます。ところが「鬼門の方位に植えるのは例外」とか、もうほとんど言ったもの勝ち。それでも「愛情」「清楚」といった言葉も与えられているから、まあだいたい万人に好かれているのでしょう。

なんてまたも風情寄りなことを書いてますが、季節の上ではスギ花粉が収まるのと入れ替わりにヒノキ花粉が襲来する時期で、車庫に入れておいても東西方向吹き抜けだから積もる積もる。幸いにも僕自身はどちらの花粉にもまだやられていませんでしたけど、初代エスクードの世代はエアコンにフィルターなんかついていないので、このまま走り出して風圧で吹き飛ばせてもいくらかは車内に侵入するかもなあと思うといやーな気分になります。

 

にじはじめてあらわる

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虹始見。昨日、清明の候のこの七十二候が始まったと思いきや、日没直前の東の空に大きな虹が出ていました。これがこの春初の虹かどうかは定かでありませんが、「虹」は夏の季語でありながら、「初虹」という晩春を示す季語があるように、少しずつ夏の装いが広まっていくようです。が・・・昨日も暖かだったけれど今週末に27℃なんて予報が出ていて、さらに20℃を下回る日が、少なくとも来週は無いみたいという極端な季節の変化です。体の方はまだ春眠暁をおぼえないんですけどね。

 

 

さっきページを開いたら、ヘッダーにも虹が現れました。なんかうれしい。

もう使わなくなったんだけれど

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2月末に職場が移転したため、東京高速道路は僕の通勤ルートではなくなりました。わずか2キロくらいの一般自動車道ですが、いよいよ4月5日の20時で閉鎖廃線となります。

今後は歩行者天国というか、屋上公園として活用されるとか。そのための実証実験も何度か行われていました。

1984年の「ゴジラ」で、有楽町マリオンや東海道新幹線が襲われるよりも早く、この道路が、放射能熱線で撃墜されたヘリコプターの爆発によって、渋滞中の車両が次々と燃えてしまう場所でした。

現実的なことを思うと、ここを公園化してもゲートを作って夜間封鎖しないとスラム街化するんじゃないかなあ。

そんな話はまあ置いといて昨日の午後、960000キロを越えました。ここからまた長いこと長いこと。その割にはペースが上がりません。このままだと車検満了までに間に合わんなあ。