Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

国際展示場

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先日、初代の1型エスクードのカタログと永代橋のことを書きましたが、これが2型にマイナーチェンジしたあとのカタログでも、ロケハンを伴う撮りおろしのスチルが多用されていました。

その一つが、幕張国際展示場前のカット。永代橋(当時)の黒々としたトラスト対照的に、赤いトラスがアクセントとなった背景です。しかしここは車寄せのさらに奥にあたるため、さすがに一般の人間じゃ車を持ち込めないです。

余談ですがマイナーチェンジは90年のこと。この頃東京モーターショーも幕張に会場を移した直後でしたから、案外トレンドな都市風景だったのかもしれません。

で、91年の1月から放送開始でしたので、おそらく似たような時期に撮影やっていたかもしれないのが、特急指令ソルブレインのオープニング(笑) 前作の特警ウインスペクターにはエスクードも出ていたんですけど、この番組トヨタ車で固めていたから、いなくなっていたかもしれません。

風都の現実

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昨年の秋には「仮面ライダーW」ファンの間でちょっとした騒ぎになっていたようですが、鳴海探偵事務所が間借りしていた「かもめビリヤード場」は、5月ごろから4階建て宿泊施設の新築着工によって取り壊されるとか。

まさかね、第1話のような立ち退きを迫られるとは左翔太郎。彼らの住む風都にも時の流れはあるのですね。

この建物は、Wの世界ではそこそこ客の出入りも見られるビリヤード場として登場していましたが、翔太郎が常用しライダーに変身した後もそのまま乗っているハードボイルダーは軒先に置かれ、建物内のどこらへんかに探偵事務所があって、さらにその奥というか半地下には大型ビークルのリボルギャリーが隠してあるという下町センスオブワンダーなところでした。ここを追い出されても、翔太郎やフィリップたちは風都のどこかで探偵業を続けていくのでしょう。

もともとは明治時代末期に建てられた鶴川座という劇場。建物自体は築年数100年を過ぎていたので、土地の未利用状態はある意味問題だったのかもしれません。

「仮面ライダー剣」の白井農場同様、もうすぐここも跡形もなくなってしまうかと思うと、いささか寂しいものがあります。霙さん、鳴海亜樹子の真似をしようとしましたが、スリッパを持ってくるのを忘れてます。

帝都の門

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木場のあたりで永代通りからタクシーに乗りました。なぜ東西線を使わないのよと言われれば、まあ行き先がそっちじゃないんだけど永代橋を渡りたいのだという欲によるものです。

永代橋と言えばですね、89年9月期にリリースされた初代エスクード2冊目のカタログ内に、ここを茅場町方面から走って来るハードトップのスチルが使われているのです。このカタログでもすでに写真合成は一部で始まっていますが、このシーンはもちろん多くが撮りおろしでした。

僕がエスクードの写真を撮り始めたとき、参考にしたのがこの版のカタログでしたが、自分で永代橋を走っちゃうと絶対にこのようなカットは撮れず、さりとて橋の上に駐車するわけにもいかず、未だにこれと同じものを撮ることができていません。

そういう思いもあって、今回はトラスのアーチくらい車窓から撮ろうかなと企んでいたのですが、タクシードライバー最短距離運行に忠実。なんと門前仲町で清澄通りに右折してしまうのでした!

ええっ、と予想外の展開に翻弄されていると、タクシーは首都高9号線へ移動し、首都高下の墨田川大橋を渡るのです。むむっ、ということは車窓から大川端方面が見えるじゃん。そこには真横からの永代橋もあるじゃん。

というわけで咄嗟に撮ってはみたのですが、完全に逆光だわ欄干が邪魔するわで、またしても徒労に終わるのでした。帝都の門(永代橋の俗称)はなんとも遠いなあ・・・

 

つくばーどin日光大室

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4WD乗りのために頒布されている交通安全御守を手に入れ、日光大室高龗神社に参拝しましょ。というクロさん主催のつくばーど。ここをスタート地点に買い出しトライアルもやっちゃいますよと、本日開催となります。

それで・・・なんでザクなんだという点については、本日のゴール地点がここ。ということです。ダートはほんとんどありませんが、緩いようでけっこうタイムリミット厳しいかもしれぬ。

肝心の参拝は、本殿にあげていただきお祓い受け、宮司の狐塚さんと神社の縁起から四駆談義まで、和気あいあいとお邪魔することができました。

 つくばーどin日光大室

 第12回買い出しトライアル

 

とかいなかの街

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千葉ニュータウンに出かける機会がありました。実に八年ぶり・・・かというと、東北転勤の後に一度、狼駄さんが車にはねられ日医大病院に担ぎ込まれたと聞いて仙台からすっ飛んで印旛村の二ュータウンエリアに来たことがあるのですが(それでももう八年くらい前?)

驚いても仕方がないのですけど、ニュータウンのオールド化は、ここでも始まっていました。街を歩く人々の高齢化が目立つのです。ベッドタウンだから昼間人口の年齢層に空洞化があるのも当然ですが。

多摩ニュータウンに比べて20年は開発が遅れたここでは、多摩が高齢社会化するシミュレーションを基に多世代交流人口をねらった定住策を練ってきました。それでも人は齢を経ることを避けられないのだと、風景の中の人々を見て感じます。いや、そういう自分自身だって齢喰ってるんですよね。人のことは決して言えない。ただしニュータウンの実際について付け加えれば、赤ちゃんを抱っこして買い物に出ている若いお母さんの姿や、カート?に乗せられて散歩に出かける保育園児たちもいるので、多世代定住は実現しているようです。

とかいなか、なんて言い方は糸井重里さんみたいですが、千葉ニュータウンは郊外と都市の中間的な街というイメージを描き、郊外=ルーラル、都市=アーバンから生み出された「ラーバン」なる愛称を持っていました。実際、開発が遅れた分、雑木林や谷津の点在するクラスター開発地です。が、8年もするとその原野だったところにもいろいろ建ち始めています。山羊を飼っている喫茶店も、野原のあぜ道にほつんと生えていた大きな一本の木も、いろいろ無くなっちゃってるねえ。

毎日がお上りさん

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実際に上り列車で通勤しているから、あながち間違いではありません。それでも十代の終わりごろから二十代はずっと、渋谷だろうが原宿だろうが板橋だろうがどこだって知らない街ではなかったんですよ。

だけど今になって、仙台でニュース映像としてしか見ていなかった絵空事のような東京の景色を目の当たりにすると、こんなんでいいのかなあと思わされるのです。

八十年代に一極集中の是正とかぶち上げて、多くの公的機関を郊外に転出させて、土地の有効活用をどうやるのかと思えば、結局集中を加速させただけという。そこへきてオリンピックですから、すべてがもう免罪符でこの機にやっちまえと言わんばかりです。

そのような変貌都市のなか、丸の内の駅前だけ空々しいほどモノをどかしちっゃて、これが僕の眼にはかえって、国力の衰退にしか映らなかった。迷子になりそうなバスロータリーだとかひしめき合うタクシープールの風景は、あれはあれで東京の活力を表していたのじゃないかなあ。

帆場暎一や柘植行人の気持ちが、わからんでもないです。でも建設現場にも警備される場所にもレイバーはいません。

 

 

異次元の胎内

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福島県の会津美里町が擁する「あいづじげん」さんと初めてお目にかかりました。合併した旧町村、曜日ごとに地域の特産を表す色合いなどアイデアにあふれたマスコットなのですが、そのおそるべき特殊能力?を目の当たりにしました。

その前に、じげん、という名前は地元出身の慈眼大師(天海)の諡号からとられているそうです。

何がおそるべきかって、漢字で書かない程度の話ですが、お目にかかった場所はかなりの山間部で、僕のスマホをはじめ部下のiフォンも周囲の人々の端末もみな圏外だったにもかかわらず、あいづじげんさんだけが何やらどこかと対話連絡しているのです。

そこへお付の人がやってきて、おもむろにじげんさんの背中に手を突っ込み、まるで心霊治療のようにどんどん腕をめり込ませていったかと思うと、胎内からスマホを取り出し連絡を続けようとしたのだけれど、つながらないという・・・

心霊治療のようなシーンにも驚きましたが、その胎内では通話可能なあいづじげんさん、すげー。

夜の世界

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「夜の世界」は、五木寛之さんの短編小説の題名で、地味な教師の中年男性が妻子に隠れて古びたシムカを購入し、夜な夜なこれを走らせ家庭も仕事もかなぐり捨て自分だけの時間に溺れていくお話。

それと密接な関係はありませんが、仙台暮らしの中で僕も、時々似たようなことをやっていました。

仙台宮城インターから東北道に上がり、ちょっと南下して仙台南部道路に分岐してこれを走りきると、今度は仙台東部道路にジャンクションする。東部道路を北上して石巻方面には向わず仙台北部道路に乗り入れ再び東北道を目指し、東北道に戻った後は仙台泉インターで降りるのです。

作戦室からのドアtoドアは、ちょうど70キロ。1時間ちょっと、仙台都市圏の夜景と陸送トラックの隊列を眺めながら、周回してくる、夜の世界です。夜景については、この環状線は郊外を走るために首都高のようなきらびやかさはありません。まあ、仙台も外から見たら田舎町です(おいおい)

気分的には、あと30キロくらいの延長があったらいいのですが、そのような路線は無いものねだり。たたしあと数年すると、福島まで南下して相馬へ山越えし、常磐道から東部道路に戻ってくるルートが開通します。もっともそれを待たなくとも、郡山からいわきへ出て仙台に戻ってくることは可能・・・いや、それは長すぎ(笑)

時折、仙台都市圏ループを走ってみて思うことは、どうも「そういうあほな愉しみ」をしている人はいないみたいだなあということです。たまに傍若無人なミニバンが追い越して行きますが、ナンバーが関東圏で、どうやら東北道から入ってきて南部道路で頭を抑えられてイライラしてか、二車線の東部道路になると一気に陸送隊列を追い越して行き、石巻方面の三陸縦貫道路へ消えていきます。

人車共に歳を食ったので、こちらはそういうのはやり過ごしてのんびりと周回するのですが、高速を降りると今度は国道をタクシーが結構な勢いで闊歩している。それらを回避して路地に入り、コンビニエンスストアでコーヒーを買い求め、小休止しながら作戦室に戻ります。

それでちょっと寝てから朝ドラを見て出勤しても一番乗りなんだよね。こういう遊びもおしまいです。来月からは早寝早起きしないと身が持たない。ただし早寝できるように帰って来られるかどうかが甚だ不安・・・

行く方もなし恋の浦路

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津屋崎の
岸に寄る波返るとも
恋の浦路は
行く方もなし

福岡県福津市にある玄海国定公園には、こんな悲恋の昔話があるそうです。

曰く、博多の廻船問屋の倅である仙吉と、土地の庄屋藤七の娘嘉代は許嫁の仲でしたが、嘉代の美貌に横恋慕した藩主黒田長政の叔父・養心がその権力を振りかざし、御台所様介抱附添人として横取りを企てたがために、二人は小舟を出し玄界灘に身を投げ心中してしまうのでした。

この小舟が二人の辞世の句だけを運び流れ着いたのが津屋崎の浜辺で、後に恋の浦と呼ばれるようになったと(あくまで昔話です。史実とは言わないよ)

絆や蜜月、いろいろな言葉があると思われますが、力を持つ者に突如、行末を阻まれることはあるのだなあ。

何を言い出すのかこんなブログではわからないでしょうけれど、事実は小説より奇なり、です。いずれおわかりいただけるでしょう。

山より大きな猪は出ぬ

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山に生息するあいつらが山より大きなはずはないというのは至極当然の道理。器より大きな中身は無いのよ、という意味であり、大言壮語もたいがいにしやがれと諭してくる言葉です。

2018年が誕生30周年であったスズキエスクードを我々なりにアピールしたいと、昨年は沢山の人々にご尽力をいただきました。30年ですよ、さんじゅうねん、という大口をたたいた割には、大したことはできませんでした。まさに猪並みのスケールで野山を走り抜けただけ。しかし面白楽しかったことも実感できました。要は、器の中身の大きさを論ずるよりも、密度の方が大切だったのです。そこを伝えきれなかった反省点も、もちろん残るのですが。

あと数カ月で、平成という歳月も更新されるなか、昭和の終わる直前に誕生したエスクードが、趣向は変わりながらも現役のブランドで新しい元号を迎えられることは、やはり慶事です。器より大きな中身は無い、と正論を受け止めながらも、四世代にわたるこのブランドの魅力については、我々は引き続き大口をたたいても良いではないかと感じています。

ところで、毎年のことで申し訳ありませんが年賀状を出し遅れております。

にもかかわらず、元旦から沢山の賀状をいただき恐縮しているところなのですが、そのなかで今のところ「ことし一番」というデザインの賀状を送ってくださった人の差出人名がありません。

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