Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

ネイチャーマシーンの20年

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三代目エスクードのうち、2000ccのTD54Wが登場して20年になりました。「大人の愉快」(初代)「クロスカントリーセダン」(二代目)に続いて、ネイチャーマシーンというキャッチコピーを与えられた三代目は、2005年時点でスズキが有する技術を惜しみなく投入し、文字通りすべてを一新するモデルとなりました。確かにクロカン四駆の一翼であった初代や二代目とは一線を画した、優れたデバイスによって悪路走破性の向上が図られていました。

系譜として54Wが大事なのは、初代後期から採用されているエンジンJ20Aが引き続き搭載されたことです。一か月後に出てくるTD94Wにもグランドエスクードから受け継がれたV6が積まれます。時代はクロカン四駆からSUV志向へと変化しており、三代目こそが至高のモデルと評価する世代が今なお大勢を占めています。

自販の直営店ではありませんが、アリーナの一店舗では発売直後に試乗車を用意してくれ、「あまりにも変わってしまって何もセールス出来ないから、ぜひ乗ってもらって林道に連れて行ってほしい」と、こちらが躊躇するような申し出をしてくれるほど、積極的なアピールから始まった三代目エスクード。6月にV6モデルが追加され、7月には歴代勢ぞろいで林道ツーリングも行われて、つくばーど®やESCLEVのイベントではどんどん参加台数が増えていきました。

ハロゲンに戻す

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HIDに換装したヘッドライトバルブの悪影響だという診断のもと、ぷらすBLUEのバルブをハロゲンランプに戻すことになりました。何が起きたかというと、左のウインカーを出したらウインカーは左が点滅するけれど、メータークラスタの矢印ランプは右を指すという。古くなった車だけに、かなりの量の土埃が堆積して基盤を痛めていたのも原因のようです。言われてみれば、BLUEらすかるではワイパーの間欠動作に時々異常が出ているなあ。

光軸調整はしていましたが、霙によると「背(運転席)の低い車からはやたらとパッシングされる」というので、ヘッドライトに悪顔カバーをつけていましたが、これも外して保管に回します。

「フィガロと同じ年式なのに、幌車はエンジン元気いいんですよねー。でもエアコンガスが抜け気味でした」

という申告もあって、スタッドレスからオールテレーンへの交換と同時にガスの充てんも行い、少なくとも年内は走れないであろうフィガロの代走は続きます。

 

Team WESTWIN Warriors #200

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当事者にはなんの気遣いもせずに書いてきたウエストウインの攻防記も、今回で200回目となります。本ブログでシリーズ化しているものの中では最も長く続いてきたのですが、これを機にタイトルも引き締めようとマイナーチェンジしました。

が、#199既報のとおり、ТA74Wが大破全損してしまいました。起こってしまったことは致し方ありませんが、今月11日の第二戦出走は叶いません。

三代目エスクードのショートという、車体はでかいがエンジン非力なマシンは、それでも善戦したと思いますし、川添哲朗選手という非凡なドライバーだからこそ、そこまで戦えたのです。

しかし、TDA参戦他チームからは「なにも走らない車に手間暇かけてまで入れ込むことはないでしょう。JB43あたりだったらもっと安価に仕上げられるのに」と、痛いところを突かれてしまいました。

20年以上、ウエストウインのトライアルマシン、ダートランナーは、その走らないだろう最右翼のスズキエスクードで戦ってきました。「確実に勝てる車で走っても(ギャラリーが)面白くないだろう?」という、チームのスタンスがあったからです。事実、2010年に後藤誠司選手がパイロットしたТA51Wは向かうところ敵なしの戦績を築き、これを引き継いだ川添選手のТA52Wもギャラリーを驚嘆させました。

それが呼び水となったかどうかはともかく、他チームはドライバーの腕を磨き、(ウエストウインに対して)勝ちに行くマシン作りを展開します。片やエスクードは旧式化を辿り、51W、52Wともに既にレースを走れる状態ではなく、交換したくともパーツのメーカーストックが無い時代。その危機的状況は74Wにも及んでいます。

話は至極簡単なことで、彼らを応援してきたエスクードファンには頭を下げ、ESCLEVの広告など抹消して、勝てる車に乗り換えればいい。これはかつて後藤君にも告げているし、川添君にも話してあったことです。

それでも、そのうえで彼らは、エスクードで走ることにこだわり続けてくれました。こんなに嬉しく有難いことはないのだけれど、それでいいのかという葛藤を無視できません。

現在、そんなところです。

峠を越える

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ジムニーに乗っていた頃は~もうかなり大昔だよ~入って登って降りて出るまで全線ダートの峠でしたが、生活道路というより林業で活用されているのが林道であるだけに、産業政策として自治体による舗装化も行われてしまいます。まだ走れれば良い方で、廃棄物の不法投棄問題から入り口で鎖を張られてしまうところも多くなりました。そうなると、舗装よりもダートだなどと贅沢なことを言っていてはいかんなあと思わされます。

袋小路で折り返してくる未舗装のルートも面白いけれど、この山向こうへ越えられるかなと峠を進むこともまた楽しい。越えられることは既に知っていても、ときどき出かけていきたくなる体質になっております。そのくせ最近はめんどくさがって、近場の峠ばかり散歩していて、関八州の山間部に足が向いていません。山が雪解けしたらどこかへ遠出したいところですが、その前に山積みの仕事の峠を越さないといけない。というか、次々と持ってくるなよ馬鹿営業。

過度に極度な急進性でこれより上は無い(とは言い切れない)

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というのが、「スーパー」の上を行く「ハイパー」をも超越した「ウルトラ」が内包する意味です。試乗リポートはイギリスで行われたもので、eVIТARAの四輪駆動モデルにはそのようなグレード名が付けられるようです。なんというか外連味たっぷりですが、内燃機関ビークルが排除されていく欧州にあって、並み居る現地メーカーの強豪と渡り合わなければならない情勢と、本国でのグループ親玉との提携による大人の事情をずっしり背負ってます。

乗ってもいない車だから余計なことは言えませんけど、非力なエンジンでも軽さでカバーしながらそれ以上の面白みを得ることができたガソリン仕様1600時代のエスクードは、本当にもはやの過去の遺物になった。eVIТARA四駆のスペックがどれくらい凄いのか平凡なのかもよくわからないんですけど、もうこの車の名前を和訳(じゃないよな)してエスクードとは呼ばなくていいよと思わされます。

しかし国内投入するかどうか知りませんが、OEMでトヨタから「アーバンクルーザー」として発売されれば、スズキ版この車は売り上げ面で大いに不利になるのではないか。ならばなおさら国内で売る場合もeVIТARAのままでやってほしいものです。ハイパーでもウルトラでもなんでもいいからさ。

ところでウルトラより上は無いと言い切れない根拠に、「アルティメット」という言葉があります。ジークアクス版のシャアに言わせればどれもこれも「俗っぽい名前だ」です。もっともグランドビターラではすでに「ゼータ」「アルファ」ときて「デルタ」が加わるようで、なんなのこのジャパニメーションを髣髴とさせちゃうネーミング。まーお願いだからどんだけ俗っぽくても「すとらいく」とか「とるねーど」「Ω」なんてのは使わないでくださいです。

 

構想1年(くらい)のESC‐UDon

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事の始まりは昨年、鰻と餃子を同居させて生み出した「浜松丼」でした。この時漠然と「エスクード」をもじった丼物も作ってみたいなあと思いながら、何を乗っければいいのかでいろいろ考えていたことと、それらのスムーズな調達について考えていたのです。避けて通れないのは、浜松丼もそうでしたが食材のコストを度外視しなくては実現しないので、よほどの声がかからなければ一度きりの、まるぼしの献立になります。そんな状況下で、まずはご飯ものの「ESC‐Don」から。

スズキが思いのほか脂の乗りがよくて、切り身としては厚すぎでした。それに輪をかけてクジラの焼き肉用味付き肉(昔の子は学校給食で串カツとして食ってました)が、うまいけど濃厚すぎ。全体に量を読み違えました。ご飯茶碗レベルで充分です。

こういうのをやっていると「エスクード。だけでいいのか? グランドは置いとくとしても(92wユーザーさん済まぬ)、ノマドもやらねば画竜点睛を欠くのではないか?」などと余計なことを思いつき、台所と冷蔵庫を漁って追加食材を見つけ出します。「ESC‐UDon・ノマド」の完成です。丼では炙ったスズキは舞茸とともに茹でます。クジラも焼き肉用からベーコンに変更。これも脂っこいので無謀にも一度湯がいて味付け直し。高野豆腐のこうや、は見なかったことにします。

友人が遊びに来てくれていたので人身御供にしました。が、こいつは悪いやつじゃないけど遠慮もない。

「我々の齢になってこんなに脂っこい波状攻撃を丼で食うのは厳しいんじゃないか?」

「それは昨夜の丼もので実感したんで、うどんにした」

少しもほめてもらえませんでした。完食してくれただけよかったのか。これはマネしてはならない献立になってしまったようです。

 

AI (Google)による概要

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スズキのエスクードは、2023年12月に生産を終了しており、96万キロの走行距離の車両は存在しません。

と、思いっきり断定されてしまいましたよAIのやろーに。文脈から見て四代目のことしか拾っていないようだから、そりゃそうでしょうけどさ。

「いやいや雷蔵くん、初代だってそこまで距離の出ているエスクードは滅多にいないから」

「やたらと居ないことは承知してます。でも少なくともうちのはね!」

「ほんと意地っ張りだね君は。どこにも話題に上らない以上、それは徒手空拳でしかないんじゃないか?」

彼はエスクードユーザーじゃないから気軽に「スズキエスクード 96万キロ」と検索したのだそうです。僕のやっていることには理解を示してくれる、決して悪いやつじゃないけど、こういう場面では意地悪なのです。

ちくしょーっ、何も言い返せねーっ

 

 

クロカン四駆の復権は有りや無しや

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枯れた技術だ古臭い機構だと言われようが、55年の歴史を歩んできたジムニーも36年程度のエスクード(便宜的に初代)も、クロスカントリー四駆の端くれで、あまたのSUVと一括りにはできないものだと思っています。エスクードに関しては街乗り志向も入っちゃってますが逆の見方で、誤解してはならないのは、両車とも「山にも街にも行けるクルマ」だということです。いやその、無理矢理行く必要はありませんが。本日発売のあれは、茨城県下では500台のバックオーダーだとか。

林道なんて昨日と今日とでコンディション激変ということは多々あります。ここまでだなと決意することはある意味勇気英断です。乗っているクルマの前後左右感覚をとらえて、どこでどう方向転換して引き返すか。それはクルマの性能と自身の操作にかかっています。だから最小回転半径がどうこうという話は「その性能でどうすればリカバリーできるか」が大事なのです。うちのTD61Wは5.5mですよ。あちこちで敗退して引き返してきていますよ。5.7mと大差ないです。

これも誤解してはいけないことですが、だからと言って車をぶつけて破損させてでもというのはよくよくのことで、そうならないように操作する安全確保はもっと重要。でもタイロッドが抜けてハンドルが効かない状態で山を下りねばならなかったことも経験しました。これはもう藪や土手に車体をすり当てて曲がるしかない。

そういう操作を決意できるのは、やっぱりエスクードもクロカン四駆の端くれだという、信頼できる道具感によるものです。TD01Wだって100馬力しかありませんでした。古参のエスクード乗りはそれを承知で果敢にクロカンステージを走り、街に買い出しに出ていました。ジムニーノマドがその再来だというなら、壊さない程度に擦り傷くらいの覚悟は要るのだという話です。それは自分も家族も無事に帰宅するということが大前提だからです。

蛇足で書きますけど2点目の写真、現在はエスクードなどでは太刀打ちできないほど土砂と大岩で埋まっております。ランドクルーザーでも乗り越えられないくらいです。そのランクル、この道幅でも切り返しで引き返していけます(動画を拝見しました)。持論というほどじゃありませんが、乗っていない車のことは軽々しくあれがダメこれがダメと言えるものではなくて、オーナーこそが苦言を言える立場だと考えます。

ジムノマがオールラウンダーとして使いこなせるか、ただの都市型四駆に成り下がるかは使い手次第。そう言ってしまっては実もふたもありませんが、どのくらい小回りが利くのか利かないのか。馬力よりもトルクの使い方が重要だとか。その辺を一回りでは話にならないし、一般道とグラベルでの速度感の違いは体験しなくてはわからない。まじめな話、ディーラー試乗車はその辺を一回りなんてケチなことをせず、それこそ予約制でも何でも敷いて、せめてフラットダートで安全度の担保された山道まで案内して基本性能をレクチャーするくらいやるべきでしょう。希望者から料金を徴収してオフロードコースで試乗する手もありだと思います。

何でかと言えば、三代目エスクードが出てきたあたりから、林道の走行速度を説明するだけで煙たがられるようになりました。僕はエスクード以前にSJ30、JA71に乗って、その当時の先達から口を酸っぱくして(されて、か)やってはいけないことを叩き込まれました。それが継承できないんだなあと痛感したことがありますが、古参のエスクード乗りはそういったルールをちゃんとわきまえていたことに感銘したのです。んー・・・まとまりがつかんわ。

 

夢幻泡影

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ТA74Rは、ベースとなった同Wが構成していたパネルラインを素直に分割し、車体後部をフェンダー上部のラインに沿ってそぎ落とし、合成革製のソフトトップを代替した典型的なコンバーチブル。この手法は国内投入された初代、海外にのみ存在した二代目を踏襲していましたが、X‐90のような2シータータルガトップとしてリア側をパネルで覆うという腹案も考えられました。最終的には4名乗車定員が、荷物積載量と共に勝ち残ったようです。

開発コストの関係からパワートレーン、駆動系、足回りなどはすべてそのまま。しかしコンバーチブルとしたことで車両重量は約80kg軽量化され、これがリア側に集中するためフロントヘビー化によりリアのトラクションが弱体化するとも思われましたが、もともとFF寄りであったフルタイム四駆の恩恵でその懸念は打ち消されました。

残念ながら74Rは、三代目ショートモデルが僅か1年でカタログ落ちしてしまったことから世に出ることなく幕を引いていますので、この車体でせめて54WのJ20Aエンジンを積んでいたら、とか、仮にモデル末期限定100台ででも発売していたら、などの話題を引き起こすこともなく幻に終始しています。

 

ちなみに本日は4月1日です。

 

全国限定200台だった・・・かな

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「初の」とは書かれていないので記述自体に間違いはないのですが、例のなんとかペディアのスズキエスクードの項目には、1989年(平成元年)にはスポーツ用品のブランドを冠した特別仕様車が登場、5月に夏期限定車「ヘリーハンセンリミテッド」、10月に冬期限定車として「ゴールドウィンリミテッド」が設定される。とあります。あらためてこれについては「初の」と書かれていないので特に問題はないのです。

が、確かこれよりも前の89年1月に「G‐リミテッド」の最初のモデルが出ていたのですが、記憶では特別仕様とか限定車という意味で、前年にグッドデザイン賞をとったことから初の試みとして世に出たモデルでした。アウトドアスポーツコンセプトのヘリーハンセンやゴールドウインに対して、どちらかと言えばシティユース趣向のイメージが強いものの、これも翌年度以降年度末販売の定番となってシリーズ化されました。

それにしてもこの当時のスズキのカタログは、スチル1点とってもコストをかけています。隅々まで見ていくと合成写真が無かったわけではありませんが、メインとなるビジュアルは実車を実景で撮っています。しかもこのG‐リミテッドの場合、許可が出たんでしょうけどよくこんなところで撮影したなあと、うっかり真似しに行ったら怒られるじゃ済まない場所ではあります。