お袋が亡くなっていつのまにやら10年が経ち、本日11回めの命日。明日は親父の90回めの生誕日という巡りあわせです。親孝行はちゃんとやってきたので何ら後悔することはありませんが、二人とも、ついでと言っては失礼ながら右手にいる親父のすぐ下の弟夫婦もすでに亡く、真ん中の僕自身がもう爺ぃの域。1966年晩秋の野辺山高原だって、もうこのような風景は残されていないでしょう。41馬力のフロンテ800で、高速道路もなく、よくこんなところまで来ているなあと思います。
探しましたが野辺山にて僕の家族たちと撮った写真はありませんでした。鉄道の最高地点を示すポールの場所も変わっていますし、なにより小海線が国鉄じゃない。この右手にはいつのころからかわかりませんがドライブインができていて、家族はそこでお茶を飲んでいます。これが2006年のちょうど今頃。40年前がスズキ初の小型車で、このときがスズキ初の3ナンバー。あとで気がつくんですよねこういうのって。
66年の写真は三脚とセルフタイマーで撮影しているものと思われますが、親父のことだから背景に八ヶ岳を持ってきたかったのではないか(見事にガスってますが)。そのような場所に都合よく「日本国有鉄道云々」の標識があったのか? さすがに記憶が無いのです。2006年も曇ってしまってますが、もしそうだとすればこのあたりだったのかなあと、想像するしかありませんが、このときは「セブンの『北へ還れ』はここらへんで撮ったのか」という全く関係ないこと考えていました。