婆にゃ1号(ふぅ)のように季節の変わり目に 体調崩すこともなく、にーちゃんず目出度く 10才のお誕生日です。 ああ、そろそろシニアフードも考えなくちゃ いけないのねー・・・
などとコックさんの歌なんか日ごろはいちいち歌ったりしませんが、これであの絵が今描けるかと思ったら歌詞を忘れていて描けませんでした。なさけねー、健忘症が出てきちゃってますよ。
それはいかんということで足し算とか引き算とかやってアタマに刺激を与えようとしたらば、「6+6=12で、とうふと読み・・・」と、丸美屋食品工業が提唱しているのだそうです。
なんでー?と思えば、丸美屋の「麻婆豆腐の素」が1971年の6月6日に発売されたことに因んでの同社提唱記念日でした。はいはい、我が家でもずっとこれを使って麻婆豆腐だったり茄子だったりを作っております(他社のものを使っているケースも・・・たぶんある)。
それ(発売)以前の時代は、お袋はひき肉に辛味の味付けしたり片栗粉を水で溶いて調理していたと記憶していますが、僕自身は「素」で作る方法を身に着けてしまいました。話を脱線させると当時、豆腐に関しては町の豆腐屋まで自転車で買い出しに出ていたのですが、道が悪くて蓋つきのプラ容器で運んでも絹ごし豆腐は破損してしまい「運転へたくそ」とののしられたものです。後で知ることとなりますがこれをお袋が買い出すときは、帰路は自転車を押して徒歩で戻っていたらしい。
さらにコースアウトさせるとこの豆腐屋の主人、80年代末にパンダカラーのトレノを所有していました。僕がヘリーハンセンリミテッドのエスクードに乗っていた頃ですから、群馬のあのとうふ屋出現よりも早かったし、あの漫画を読むまでことさら関心も及ばなかったのですが、現在は廃業してトレノもありません。
話を戻して麻婆豆腐。単身赴任時代にはたまに作りました。鍋とフライパンは持っていたのに「後で買えばいいや」とめんどくさがって転居したときには炊飯器を用意しておらず、そのあと震災で大混乱して米を炊くという手立てをいつの間にやら放棄していたのです。それでも麻婆豆腐はそれだけで食えたし、中華麺を茹でて食うとなかなかいけましたので。