年末ですので、あおちゃんと
新月サンのお仕事車を大掃除。
新月サンがボディを洗っている間に
もう片方の車内を掃除機かけてました。
新月サンの車のシート、そこかしこに
猫毛・・・なぜ?
とりあえず帰省してきた霙ですが、年内は地元の事業所の年越し業務支援で仕事納めにはならないそうで、BLUEらすかるで出勤している間にフィガロとぷらすBLUEのタイヤを冬用に交換しておいてほしいと。
んー・・・ということは? 年明けの天候やら気温やらで降雪凍結が懸念される場合はフィガロを置いていくということか。
それとあらためてお知らせですが、固定ページに記しました通り我が家がちょっと緊急事態のため、明日の焚火を順延させていただきます。連絡をくださった人には大変申し訳ありません。
さらに追記
アラート待機中ですることが無い(大掃除しろよ)ので、つくばーど®サイトのリポートを本年最終盤でまとめました。まとめたとは言っても例の雑誌連載打ち切りでお蔵入りになってしまったものの掲載です。ひとつはクロさんとぴるりさんに取材したワンオーナー30年もので、これは本ブログにも載せています。実はもう一本、Cyber‐Kさんが執筆してくださった四代目エスクードの剣山スーパー林道紀行というのもあります。Newおだてぶたさんは乗り換えてしまったそうですが、まあそこは目をつむってください。
55年前の12月28日。『マイティジャック』の打ち切りによって路線転向となった『戦え! マイティジャック』が最終話を迎えていました。この番組は子供向けアレンジを梃入れした30分ものでしたが、『マイティジャック』の方は大人向けスパイアクションとSF巨大空中戦艦を扱う、連続ドラマで1時間枠という本邦初の試みでした。1968年ですからこうした組み合わせの企画は極めて斬新だったのですが、13話で打ち切られました。
大人向けと言いながらも、『マイティジャック』のメンバーが乗り組む万能戦艦MJ号あるいはマイティ号は潜水艦であり艦艇であり航空機という性能を持ち合わせた全長235mもの大型メカニック。艦内で戦闘機や偵察機などを組み立て、航空機で言うインテーク部分から射出するというギミックは、子供ながらに「サンダーバードには無かった」「キャプテンスカーレットのクラウドベースよりかっこいいぞ」と小躍りしたのです。
制作陣と役者側との意思疎通が成立しなかったり、視聴率が振るわなかったりの不運続きなこの番組は、制作した円谷プロの屋台骨を揺るがしてしまうほどの成績でしたが、大人はこれらのメカ戦に馴染まず、子供は延々と続くドラマパートの無国籍ぶりに飽きてしまったのかもしれません。大人向けでも、冨田勲さんの勇ましい楽曲もふくめて、この番組はきっと子供層が味方をしていたはずなのです。特撮ものとはまだそういう時代だったと感じます。
なにしろスパイアクションがもてはやされれば、万能戦艦いらないのです。当時少年サンデーに連載されていた漫画も、第1話分で88ページ費やすうち、МJ号が描かれているのはたったの3コマ! 当然のことで、『マイティジャック』とは多国籍企業体が生み出した諜報工作員11名の呼称で、万能戦艦のことではないのですから。それでも「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」より10年も前に、МJ号は海底ドックから出航し波を蹴立てて飛翔したのです。
長らくサイドキック2号車へのパーツ供給のために保管されてきた1号車を解体撤去すると、和邇さんから知らせがありました。92年式と古参の個体でしたが大役を果たして余りある活躍の末の余生でした。
「年末、比叡山にて阿闍梨に法要をお願いしてきますよ」
このエスクード(の北米仕様)と和邇家には随分と支えていただきました。
1号を初めて目にしたのは2000年頃の伊豆のモビリティパークだったかもしれませんが、手持ちの写真には残っておらず、最初の撮影分はちょうど20年前の南蔵王のものでした。うちの娘らが和邇家のお嬢たちと出会ったのも、このキャンプのことでしたが、さすがの20年、この頃走っていたclubES登録のエスクードは1号の退役で、2号とV3を残して失われてしまいます。まさしく月日は百代の過客というものです。まあ昔話ですから多くは書きません。
2015年には既に2号が復活してつくばーど®の行事に参加してくれていましたが、この2号もコンプレッサーの故障でその動向が心配されています。形のあるものに対して永遠という継続性を求められるのは、若い頃の無謀な情熱なのだなとも思わされます。第一、人様の車ですもん。でも和邇さんはたぶん、その人様の部活動運営のために車を存続させようともがいてきた人なのです。1号を見送るとともに、2号の修理がうまく行くことを祈らずにはいられません。