日本での初上映だって戦後とはいえ僕が生まれる前ですから、1939年の映画がどれほどの手間暇をかけて作られたのかなんて、映像でしか知りえません。その、ちょうど80年前の12月15日に「風と共に去りぬ」は封切られ、映画史に名を残すこととなりました。これをいつ観に行ったかはもう忘れてますが、当然、テレビ枠で2週にわたって放送した吹替ものと、リバイバルものとしての上映です。インターバルが入るほど長い、という映画は、昔はざらにあったようにも思います。
アメリカ・南北戦争末期のアトランタで繰り広げられたスカーレット・オハラの物語は、過ぎたるは及ばざるが如しの連続にして、なんだってそんなに素直になれないのさ? と思いながら、自分に素直であるが故そうなってしまうすれ違いの恋の物語。
そうなんです。スカーレットとレット・バトラーとあと何人かの恋の紆余曲折が本筋でありながら、えっそうなの? と驚かされる南部の貴族文化の崩壊と奴隷解放と、つまりアメリカの内戦の描き方の力の入れようにしか、あの頃は目が行きませんでした。なんといってもレット役のクラーク・ゲーブル(の顔)が気に入らなかったし。
けれども、北軍に攻め込まれたタラの市街地が炎上するシーンを、30年代の映画が特撮で撮れるはずもない。燃え上がり崩れ落ちる建物の前で脱出非難する馬車と馬のシルエットは、そのままそういうセット撮影をしている。後になって知るのは、ハリウッドすごいわと驚愕するそのシーンの撮影時点で、実はまだスカーレット役の女優が決まっていなくて、撮影を見に来ていたまだ無名の女優が現場で抜擢されたという、ヴィヴィアン・リーの逸話。そしてちゃっかりと原作の和訳本が僕のお袋の本棚にあって、「50年代のロードショー観たことある」と言われたびっくりと、あちこち本筋と異なるところで記憶に刻まれています。
原作者のマーガレット・ミッチェルは南北戦争時代の人ではなく、母親から聞いた戦争と自身の体験を組み合わせ、書き上げた物語。彼女が母親と死別し大学からアトランタへ帰省したのが、偶然にもいまから100年前のことだそうです。ところでいろんな人が日本語版を当てている中で、機内版のスカーレットが鈴木弘子さんだと。それは観たことないけど、あのフランソワーズ・アルヌール(003)の鈴木弘子の声なら、観たいなあ。どこ路線でかかってたんだろう・・・