会社でお歳暮にもらうシクラメンが入ってくる箱。
鉢を固定する穴の大きさが丁度よくて、毎年貰ってきます。
どーせ捨てちゃうんだから有効利用せんとね(笑)
二匹とも一番上の箱でよく寝てるんだけど、ちぃは写真の状態から飛び乗りそこねて落下すること数回。
踏み面が狭すぎるのかなぁ?
夜を越えて走り出したのはロコモライザーではなく、97年式初代最終型のTD51W。その積算走行距離、517000キロ! そうです。ご自身の休養で2013年からマラソンクラスを遠ざかっていた、あのitoさんが、現役復帰されたのです。 げげっ、以前お目にかかったとき、まだ500000キロを越えたくらいだったのに、休養とか言いながら距離が伸びてるし。BLUEらすかるだってこの間かなり頑張って走ってきたのに、ちゃっかり射程範囲にとらえられてるし・・・
そんなわけで、お互い間違いなく第3者が見たら驚くオドメーターなんですが、それでも歴代では暫定2位と3位。ここから再び熾烈な首位争いが繰り広げられるのであります。
「おかげさまで、ろくに動かしていなかったわりにはエンジンの状態はいいですよ。一度は手放そうかとも考えたけれど、励まされて維持しておいてよかった」
そうか、調子いいのか。大丈夫か?うちのTD61Wは・・・
青影さんがツーリングの折にSSレイドの086課題を攻略してくれまして、そろそろ取り下げないとだめかなと思っていた場所を埋めてもらえました。
その際、送られてきた写真を見ていて「ありゃ?」と思ったわけです。
青影さんのオートバイ、ホンダAX‐1は、ウルトラマンティガに登場するスタッグ(玩具商標ではオートスタッガー)の1号車のベースモデルです。劇中車はイエローカラーに塗装されていますが、車体色の違いはこの際たいした問題ではなく、この課題の場所に赴くにあたって、何気にスタッグを運用している特捜チームGUTSのマーキングを施してくるところが役者なのです。
聞けば撮ってきた写真にペイント加工したのではなく、現地で黒いビニールテープを調達して貼り付けたとか。きっとね、「これで投稿したら雷蔵喜ぶに違いない」と、ジェットビートルに向かってツーリングしながら考え、にやにやしていたのでしょう。
実はここの建物の中には、展示変更されていなければ、GUTSの後任部隊であるSUPERGUTSが使っていたゼレットが置いてあります。一時的に、科学特捜隊も含めたウルトラライドメカニック展示場と化していたのかと思うと、平日だったことが悔やまれます。あー、青森には今ポインターも置いてあるし、この日の東北は個人的にすごいことになっていたのかー
当時本国と日本とでは放映に一年のタイムラグがありましたが、ウルトラマンよりもマグマ大使よりも早く、脳内に飛び込んできて焼き付いてしまった近未来の世界は、巨大ヒーローの格闘と光線などではなくて、科学技術の粋を集めて構築されたメカニックと人間の手による救助作業でした。
今でも覚えていますが、第一話は、麻疹か何かで高熱にうなされながらも、布団から這い出してきて見ていました。
その頃、まだ我が家にはカラーテレビは無く、後にデジタル化されたときに総務省から「あなたの家の周囲は電波過疎地ですね」と言われちゃったくらい映りの悪い白黒テレビで観ていたため、それがスーパーマリオネーションであることが理解できなかった。演じているのが人形なのに、「腕時計を見るしぐさ」や「カードを切る手元」は人間の演技でしたから混乱。さらに映りの悪い受像機は、プロップによるサンダーバードメカニックが「本物の航空機や重機見える」十分な錯覚をもたらしていました。
次に来るのが、小松崎茂さんのボックスアートで飾られたプラモデルですが、これは親父や叔父貴たちが買ってきてくれたものの「お前にゃ作れないだろうっ」と喜々として組み立てていくのを羨ましく見ているだけのことでした。1号のノーズコーンがなぜ機体から離れてすっ飛んで行くのか、2号の着陸脚がどうして伸縮できないのか、5号が空中には浮けず床を這いまわるのが解せぬとか、プラモデルに仕込まれたギミックと映像のギャップが哀しかったものです。
そうですか。衛星放送やCSなどではなく、地上波での放送決定ですか。それは大事なことです。50年後、リメイクされる番組を、当時を知る親子三代(僕の祖父)で見ることは叶いませんでしたが、一世代交代した三代で再び見る日がやって来る。霰にも霙にも、この日があることを信じてメカニックものの刷り込みを行ってきたのです(まじかよ)
しかしこれはいろいろと散在の予感がする。
このコンセプトモデルの佇まいや大きさなどから、ジムニーシエラのあとを引き継ぐSUV・・・と初期段階では感じたものの、どうにももやもやが残ってしばらく放置していました。が、やっぱりこれが小型クロカンの後継車とは思えない。もちろんそれは、iM‐4の在り方を否定するものではありません。クロカン要素のニーズは満たせませんが、かつてのテンロクエスクードノマドに限りなく近いという部分では、決して悪くないのですから。
ではどこにもやもやするのかと言えば、新型アルトで打ち出してきたこのシルエットです。ジムニーシエラではありえないと同時に、エスクードの系譜でもない。累計で言えば、これって初代スイフトに最も近いのではないかと考えたら、ちょっと落ち着くのです。
いやいや、スイフトは現在の形があるから、それを先祖がえりさせることはないだろう。と言い聞かせ、あくまで2000年にデビューした当時の初代に限定して考えます。つまり、それをスイフトと呼ばずに済む方法論があるわけです。スイフトと言えば、ネーミングにおいては日本のそれと海外のモデルとは車種が異なり、海外版の2代目カルタスベースモデルで使っていた名前を、日本のニューモデルに持ってきたのが始まり。だから日本で言う初代スイフトは、海外ではIGNISと呼ばれました。
これじゃないか? 量販されるiM‐4の素顔は。
焔とか炎とか篝火という意味合いを持つネーミングは、日本人受けするかもしれません(まあ「イグアナみたいでいやだ」という人も絶対にいると思うけど)。超飛躍すれば、篝火と言ったら玉鬘。美貌と数奇な運命に翻弄された彼女が描かれる源氏物語の世界です。
さすがに妄想するにしても飛躍しすぎ。名前の付け方は人でもクルマでも難しいですから、あてにしないでください。
「出かけるぞっ!」という新月サンの一言で
気仙沼往復してきました。
行きは常磐道を通って仙台経由。
通り過ぎる時、帰宅困難地域の光景が
異様で悲しかったです。
ひと気のない庭先に、屋根より高く育った
満開のモッコウバラや、色とりどりの草花。
SFの世界の様でした。
南三陸町の防災庁舎跡にも寄りました。
周りは震災復興工事の真っ最中。
4年も経ったのか、4年しか経っていないのか。
多分どっちも、なんだろうな。
たどり着いた気仙沼は観光もしないで、
ご飯食べて帰りました。
(シャークミュージアムだけ寄ったけど)
何食べようか悩んで、新月サンがウニの入った三色丼。
私は日替わり丼をチョイス。
連休後の日曜日だからね。道路空いてたし、行った先も
そんなに人ゴミという程ではなかったけれど。
防災庁舎跡には途切れることなく訪れる人がいて、
気仙沼でも、かなり遠方のナンバーの車が停まってたりして。
また、行こうと思います。
昨日の二代目エスクードの記事は、今号のスーパースージー誌上連載の原稿を書くきっかけとなった話のまとめでした。これを言っちゃうと自分に跳ね返ってくるのですが、要は雑誌のインプレッションをどこまで本気にとらえるかということでした。
極論を言えば、日常で実際に乗っている人の言葉には、かなわないよという論理です。それを棚上げして原稿を書いているので、まあ呉越同舟ではあります。
などと思っていたら、今号のジムニーロードのページにて、二階堂裕さん自身が珍しくもエスクードについて書いている。なんだこりゃー(おいおい)と一読してみると、初代のフロント、リアサスの設計について工夫を凝らしたのがエスクードだったけれど、これがドイツで「高速道路の印象が悪い」とクレームをつけられ、二代目ではセンターアームを廃止した3リンクになってしまった。ということが、エスクードの個性を剥奪される出来事だったと紹介しています。
初代の開発史についてはこれまで何度も書かれているなかで、このドイツからのリアサス不評という部分は初出しのエピソードでした。いやはや車に関してはハードルの高いお国柄のクレームですし、初代は北米以上にヨーロッパねらいのモデルでしたから、メーカーも慌てたのでしょう。しかしそれを北米ターゲットの2代目においてやっちゃったところもちぐはぐ感のある話です。
しかしさー、こちらの連載記事でそのリアサスの設計変更をあえてクロカンに見切りをつけて万人向けに転じたと論じているところに、同じ号で痛烈にカウンター当てられちゃったよ。
「あれはね、今はなぜあの記事かを明かすことができないけれど、思うところあって特定の人たちに読ませたくて書いたの」
二階堂さんに尋ねたものの、そこははぐらかされました。でも2代目に続いて現行モデルのモノコック化や没個性化に触れて、そういった変革を極力回避しながらジムニーが個性を維持し続けていると結んでいるから、記事が誰に対して何を言わんとしているのかはおおよそ想像がつきます。
まーそれにしてもドイツの人々、大きなお世話を言ってくれたものだったのだわ。そりゃセンターアームはばたつきますわよ。でもショックやコイルやタイヤの選択で乗り味はいじれるのよ。でなけりゃ24年も前の幌車や17年前の5ドアを面白がって乗り続けないよ。