メーカーが潰れて二度と手に入らないと先日書いた
トコのバッグ。
某通販サイトに在庫があったのを見て、つい買ってしまいました。
売り切りゴメンの30%OFF。
革だから丈夫だよね多分。大事に使おうっと。
食わしてなぞやらんっ!
昨日付け「光の三原色」の続編です。光の三原色なら赤と青と、緑はどうしたのかという話ですが、赤いのと青いのがしばらくぶりの再会をしていた週末、その数時間後に舞台は移ります。
午後から和邇娘1号が使う和装品を買いに家族で出かけてきました。なんやかやで夕方になってしまい、これから帰って夕食の支度するのも面倒だからと寄り道したところ、駐車場の片隅にうずくまる異形の影が!
なんとまぁ先日レストアを完了したという話を聞いたばかりのエスクードピックアップが、コンテナを搭載する前のサンダーバード2号のように停まっているではあ~りませんか。
急いでクルマを降り近寄っていくと、ちょうど戻ってこられたオーナー氏とお会いすることができ、しばしのエスクード談義のあと秋の津久井浜には是非ご参加くださいとお願いしてお別れいたしました。
偶然てあるものなんですね。普段まったく立ち寄ることのない場所で出くわすことになろうとは。
これはびっくりです。緑というのは何を隠そうこのピックアップトラック化されたエスクード(これ黒く塗り替えられてる?)。アピオの尾上茂さんがショーモデルとして制作したこれのことです。おそらく世界に1台しかないコーチビルダーなエスクードであるばかりか、尾上さんの談によればこの姿になる以前はダカールラリーを実際に走った個体なのです。
和邇さん、持ってるなあ。
とまあこんな遭遇劇は何度目になるのかの、とにぃさんのTL52Wが背後にいるではありませんか。こんなだったりあんなだったり、不思議なタイミングで出会うのです。
といっても僕は3台後ろにいたという彼のエスクードには気づけず、途中で立ち寄ったコンビニに追いついて来てくれたのが本当のところです。しばし立ち話の後、途中までこんな感じでそれぞれの目的地まで一緒に移動しておりました。彼が管理していたTA01Vも、我々の同県内で車検が取り直され、新しいユーザーさんが乗り始めたそうです。
よかったよかった・・・
あれ? 光の三原色だから、01Vのスペリアホワイトは除外だよ。緑じゃなくちゃだめじゃん。
というわけで、この話は偶然にもこの数時間後に起きるエピソードとして明日に続く。
答えは二つあるけれど
ラジエターグリルのエンブレムかリアゲートのネームラベル、ホイールのセンターキャップを確認できなければ識別困難ですが、マツダプロシードレバンテ。この個体はスズキのV6ではなく、本家のRF型ディーゼルエンジンを搭載したTJ31Wです。
初代エスクードのビッグマイナーチェンジが行われたのは1994年のことですが、ディーゼルエンジンの供給元であるマツダに対してOEMモデルの提供を図ったのは95年、レバンテは2月20日にデビューを果たしました。
このモデルも本日、誕生20年を迎えます。ESCLEV的にはSX4‐SCROSSの発売などどうでもよい。レバンテの方が大事です。
ポピュラーなところでは、「地中海西部に吹きつける東風」というスペイン語から名付けられたものですが、言語はフランスの言葉でLevant(ルヴァン)で、レヴァントという発音は英語読みです。元の綴りには末尾のeは存在せず、さらにその語源の意味するところは仏語のlever「昇る」。Levantの場合は「太陽が昇る」と訳して差支えが無く、日本的に言えば「東方・日出る処」となるのです。
レバンテにはスペイン東部の地中海沿岸地域を示す意味もあります。これもレヴァントから始まった呼称で・・・というより、もうどちらも統一してレバンテで話を進めますが、東方貿易の繰り返された海洋都市圏であり、この東方貿易そのものがレバンテの由来に当ります。
世界史の中で「肥沃な三日月地帯」という言葉を習ったことがあると思いますが、古代オリエントの歴史的な地域名称。農耕の発祥の地でもあり、このエリアの西側がレバンテ地方です。
エスクード、という貨幣単位やヨーロッパ貴族の紋章を描く『楯』などに比べて、レバンテとは実にスケール感の大きなネーミングでした。97年後半から2001年までは2代目が流通しました。
当時、OEMに対する抵抗感はあまりなかったらしく、プロシードレバンテは巷ではけっこうな台数が走り回っていました。聞くところによると、エスクードよりも乗り出し価格が低かったとか。それでも中味はエスクードそのままですから、V6シリーズは高回転型でトルクバンドの狭い、回して面白いモデル(2500はトルクが大きくなりゆったりと走れる)、直4ガソリンはスズキの傑作機と言っても良いJ20Aでトルクこそ細いものの直4らしい機敏さがあり、ディーゼルは不評ではありましたが日常利用では過不足のない走らせ方ができました。
広島のマツダにとってスズキのある浜松はある意味東方。プロシードというブランドネームは、ラテン語の「~に由来する」とか「もたらす」「前進する」「継続する」などの意味を持ちますが、「東方からもたらされたもの」という意味合いこそが、プロシードレバンテの素顔だったのかもしれません。
あっ、二十年めと言えば、Xー90もそうなんですが、それはまたいずれ。
飯が食えんでわないかっ
ワイパーアーム、転勤以前はこれほどには錆びていませんでした。車体の塗装膜の下があんなになっちゃうのですから、むき出しの鉄部品も同様でした。まだ折れたりもげたりはなさそうなので交換には至っていませんが、これが目の前を右に左に動くのは、かなりいたたまれない光景だということも痛感しました。
ひとまず錆の進行を止める処置を施し、その上から黒塗りしようと、仕事に出ている間、屋内の時間貸し駐車場にらすかるを持って行き、1日、風雪にさらされない作業場を確保。錆取りと錆止めを行いまして次の行程。
業務用ゆえになかなか高価でしたが樹脂配合のリペアペイント。太書きのマジックインクペンみたいなもので、ワイパー周りにマスキングをしなくて済むのが便利だと、いきなり行程が雑になってます。
仕上がりは見せるほどの上手なもんじゃありません。塗膜が艶消しの黒というのは変な反射を起こさないので結果オーライです。でもいずれアーム自体を交換したい・・・
などとやっている間にSX4S‐CROSSが発売となりました。CVTとAllGRIPを新機軸とする点では、MT指向の人々には物足りないかもしれませんが、むしろこの車こそ1400ccへの移行が望ましいクラス分けでしょうし、一方ではそれまでの応急処置とも言えるM16A型搭載車というのは初期型ならではの希少性も内包しています。
フォルクスワーゲンとの包括提携とその解消というごたごたが無ければ、この2代目SX4はもっと早く誕生できたはずです。それならばグランドビターラとはっきりとしたクラス分けを販売戦略にできたけれど、いざ出してみると欧州ではぱっとしない市況です。
そのうえ、プラットホーム自体を共有する派生型という計画が同じ年回りに追いついてしまったことも、この車にとっては不利なデビュー。追い打ちをかけてくるのが他社のSUVではなく、この車から派生するビターラであることが何より皮肉です。
というわけで、主要諸元がビターラを占うものとなりそうですが、どこにどう差別化を図っていくのか。ビターラではAllGRIPがオプション化されるという話もありますが、それはなんだか眉唾。やるなら逆でしょうから。といって、この手のシステムとマニュアルミッションの組み合わせが可能だとなれば、ビターラ側に2WD(素直にFFと言わないところがあざとい)が必要なのか。CVTは無しとして、四駆と二駆、MTとATがラインナップに含まれるとすれば車種体系が拡大されて大変・・・
なによりこういう顔つきとスタイルが、ビターラと比較されて受け入れられるかどうかが心配です。でもそこは個人の主観と価格に委ねられるだろうから、この場で議論する意味はなさそうです。しかしそんなときに来月の海外モーターショーでは早くも次のコンセプトが出ちゃうという、なんともタイミングの悪い話ではあります。