カプセルトイの第二弾で一個以外第一弾の色違い。ドアミラーを取りつけなくてはなりませんがピンセットと接着剤無しでは太刀打ちできない。
これは霙が帰宅するまで開封しないでおこう。と思ったんですが「邪魔」と言われて、国産名車コレクション版のケース内に押し込められました。
1912年5月11日、信越線横川~軽井沢間が日本の幹線における初の電化区間として運航開始されています。
なんだよ20年前じゃないじゃん。と言われること請け合いですが、無理くり掲載の日付をすり合わせているのでそうなります。僕の場合は2003年の話です。
碓井の旧道を登って訪ねた軽井沢での20年前は、BМW乗りをはじめユーノスロードスター乗りやエスクードノマド乗りとの出会いが沢山ありました。世間を知らないくせに「ネットを捨てて外へ出よう」と思っていた、若さととんがっていた僕に、みなさん親切に応じてくれました。軽井沢行は、その後北海道や青森へと暴走を始めますが、雷蔵北行逃亡はまあ機会があればまたいずれ。
とん汁はいろいろありながら昨日の遅い昼飯で食ってしまいまして、週末なんて開店前から行列できちゃうのでそれは遠慮して、たまに食うならクレープの甘味攻撃もなんとかなるだろうとそっちに逃げようと思います。上越市や妙高市は、地の利を知らない街(何年通ってるんだよ)故に、クルマを停められる喫茶店をなかなか引き当てられないので、ほんとうは夕方までカフェ巡りをしたいところですが毎度行き当たりばったりでうまくいくかどうか。
一方で、山向こうの糸魚川市にあるお気に入りな蕎麦屋に、昨年は時間の関係で立ち寄れなかったので、クレープ屋は明日に延ばして朝から移動しているかもしれません。5月下旬時点で笹ヶ峰から先の通行規制が解けないようなので、これも北陸道まわりということになりそうです。でも、せっかく日本海沿岸に来たんだから、どこかで魚も食って行きたい。イベントと林道が無いと、途端に食道楽しかない観光なのです。
2001年以来行っていない年がほぼ無いという「たちばなへのとん汁ツーリング」は、20年前の2003年のみ行われていませんでした。あの店も知らぬ間に創業51年だそうです。
療養中、食えもしないのにやれ肉やら刺身やら蕎麦やらが食いたいとうめいていた胃袋も復調したので、ことしも夫婦で出かけることにします。
26日に新潟入りして遅い昼飯をいただき、定宿の「空飛ブウサギ」に二泊三日のお世話になりますが、27日の土曜日にどっち方面に足を伸ばすか思案中です。林道が抜けられれば糸魚川か白馬なんですけど、だめなら北陸道まわりで糸魚川の蕎麦屋に行くくらいでしょうか。
先日のこと、山梨県甲府市の金櫻神社例祭に出かけたというクロさんから「厄難消除の御利益があるそうなので」と、御神木である鬱金桜の満開の様子が送られてきました。臥せっていたときなのでナイスタイミング。
金櫻神社は崇神天皇の世まで遡るらしい古い縁起の社。縁起そのものに土地の疫病流行があり、その対策として悪疫退散萬民息災の祈願を全国に発布し、甲府の地では金峯山頂に少彦名命を祀った伝えがあるそうです。鬱金桜は、萌黄色の花の色がウコンに似ていることから名づけられたもので、この色彩の桜自体がサクラの種類ではほぼ無いという品種です。こちらは役ノ行者の託宣によって定められた御神木で、今咲いているのは六代目とも七代目とも云われているとか。
仕切り直し撮影には17台の歴代エスクードが参加しておりましたが、実はクロさんとコムロさんがそれぞれ初代、三代目エスクードを3台ずつ持ち込んでいたのです。
なんてふざけたことを書いていたら、俳優の団時朗さんが亡くなられたそうで、古参のウルトラマンで一番早くウルトラの星に召されるとは、と驚きです。
「京都人の密かな愉しみ」におけるエドワード・ヒースロー教授の、京都になじみたい英国人ぶりも好きでした。団さん自身が京都人なんですが。やっぱり出世作は郷秀樹なんですね。今年の五山の送り火はウルトラサインに見えてしまいそうです。ご冥福をお祈りします。
我が家のエスクード2台とも仕切り直しに持ち出しているのに、弁当を回収に出かけた家内がどうしたことか霙に「フィガロのお披露目したら」などと言ったらしく、いったん山を下りた霙が家内のサニーとつるんで上がってきてしまいました。おいおい、エスクードどうやって降ろすんだよ。
「それならあたしが運転しましょ」
と手伝ってくれたのが風花さんなんですが、5速ミッションのノマドを運転していただけあって4ATだと速いはやい(減速がほんのわずか)。しかもちっこいから後ろから見ていると「無人の幌車が駈け下りていく」
そうして基地の車庫に戻すわけですが、この寄せ方はたいしたものです。こうしないと2台並べて入庫できないので、右を広く残す空間認識能力が必要です。