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  ~懲りない傾向~

満開を集めて白き最上川

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最上川左岸とりあえず最上川左岸の堤防の上なんですが、川面と桜を同時には写せないほど河川敷が広くて、この場所からは川そのものすら目視できません。でもこの桜並木の花の密度は惚れ惚れするほど見事です。にもかかわらず車にピンを寄せてしまったため、背景ぼけぼけです。もっと絞らなくちゃだめですね。

遅まきな花見

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蔵王と桜仙台では忙しさにかまけてまともに桜を眺めることができませんでしたが、隣町の川崎町へ出かけるとまだまだ満開の名残に間に合いました。

という割には桜を撮っていませんが。これは陣取った場所のミスで、山陰になっていていつまでたっても朝日が差し込んでこないのです。ここより500m左に移動すると、午前8時の時点で桜の木々に光が当たっていました。

そういう場所は当然、地元ナンバーの人々が三脚と望遠レンズで砲台を築き、蔵王の山々をねらっています。が、この人たちがまたいい歳して素行が悪い。平気で安全柵を乗り越えていくしくわえたばこを捨てるし冷えたからってその場で〇〇しちゃうし。高級車で乗り付けて高級カメラ並べてそれかよ。

こいのぼりこちらはどうにかこうにか光がさしてきたところで撮るものを撮って撤収。釜房ダム管理所の近くに戻ると、こいのぼりが掲揚されておりましたよ。

我が家では縁のない風物になりましたが、これを見ると桜餅から柏餅に季節が変わるなあと感じます(いや食い物はもののたとえね)

封印の足跡

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石巻にて

なんか封印されてる・・・

手触り

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sgm公然と触れるおしり。

まあそれはそれで怪しい行動に見えるんでしょうけどね。

巣鴨の町をそぞろ歩いていたころ、入った喫茶店や定食屋で少年チャンピオンに連載されていた「すくらっぷ・ブック」を読みふけっていました。「ウッド・ノート」が描かれたころまで、ここの商店街には『うっど(WOOD)』という名のレストランがあって、ハンバーグのデミグラソースが日本一と思えるほどうまかった。小山田いくさんとは何の関連もありませんが、お互いに若かったのだなあ。

彼ら兄弟の漫画のデビューと駆け出し作品というのは、僕の東京下宿時代の記憶に焼き付いていて、そういうのを懐かしく回顧しちゃうとろくなことがないと言い聞かせたほうがいいのかもしれないほど、いつの間にか自分も歳くっちゃったのかと思わされます。

すがもんのおしりなんかは、僕にとっては「土ころび」っぽく見えましたが、今もあるのかどうかは知りませんし、そんなものができていたことを知ったのも、町を離れてから何十年も経っていて、同時に今日からは随分前のことです(写真は2009年ごろのもの)

いずれにしても、小山田さんに合掌。享年五十九は若すぎだなあ。

 

 

 

陸(おか)に上がってるけど三倍速い?河童(後篇)

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kappa5午前中は暖かだったものの、昼過ぎからしぐれそうな雲行きと肌寒い風が吹いてきたので、コーヒーでも飲んで暖をとろうと、駅前に出ていた喫茶店の看板を思い出し、移動するとこんな品書きが。

・・・おい、要するにどうちがうんだこれ

(どうもそれぞれ異なるラテアートになっているらしい)

kappa0ジョッキパフェというのは、たぶん我々みたいなおっさんには手に負えない体に悪いやつなんだろうなあ(あとで写真を見て、手を出してはならんと確信)。しかしそのわりには鍋焼きうどんだけそのまんま直球勝負しています。この肌寒さなら鍋焼きかなと店内に入ろうとした

そのとき!

kappa2なんとも怪しい河童が現れ店じまいを始めるではありませんか!

しまった! こっちの動きに感づかれたぞと駆け寄ると、向こうは僕のことなんか覚えちゃいないでしょうけど、ずーっと昔、駅前通りのとあるビルの二階で喫茶店を開いていたあの人によく似ているではありませんか。実に三十年前、何度かコーヒーを飲み、軽食を食いに入った店でしたが、現在はその建物には店の看板がなくなっていました。

kappaつい捕獲のことを忘れて昔の店のことを尋ねたら、河童おやじの方も意表を突かれたのか素に戻って「いまこっちでやってるんですよー」と普通の日本語で対話できてしまいました。

が、河童おやじはすぐに我に返り、午後三時で閉店の旨を告げするっと消えてしまったのです。追いかけて店に飛び込んだものの店内はもぬけの殻。むむっ、速い! そういえば緑でなくピンクの体をしていたし・・・

柳田國男さんが遠野物語に様々な怪異をまとめた遠野にはいまでも、得体の知れない物の怪がいるのかもしれませんが、いやいやいや・・・これってそういうのじゃないだろー、こんなんでいいのか遠野の怪異!

と、あっけにとられはしたのですが、久々に立ち寄った遠野は期待を裏切りません。

陸(おか)に上がってるけど三倍速い?河童(前篇)

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kappa3岩手県遠野市のダウンタウンのある一角に、河童の手配書が出回っているのを見ました。その手配書についてはまあいろいろあるので写真を撮ったけれどここにあげるわけにはいきませんが、だいたいこんな感じで、面白おかしく客をかどわかすらしい。飲食代金のつり銭が三百円だった場合「三百万円」と言って手渡す古典的手法から、「かっぱにちわ」「さよならっぱ」などと岩手県では聞いたこともない方言でコミュニケーションをとっています。

kappa4手配書曰く『遠野駅周辺に出没し目障りである』『ときにはトピア(市役所が臨時入居しているショッピングセンター)や銀行、ホームセンターにも現れる』『訳の解らない河童語(あれか)で巧みに挨拶してくる』『釣銭の金額の最後に≪万円≫をつけて喜ぶ(あれだな)』『≪メタボ≫なので汗をかきやすい。ラーメン好きで有る』

早速、正規の規定にのっとって捕獲せねばなるまいと思い許可証を・・・

ああっ、これ今月末で期限切れるじゃん!

kappa1ただこの許可証は更新が可能らしく、五年にわたって更新するとゴールドカードに格上げされるようです。駅前の物産センターで買い物をする際、割引も利くようになるとか(五年も先の話かい)

などと駅前で張り込んでいると、まさしく目つきの悪い河童がいらっしゃるのですが、全然人相が違う。そうこうしているうちに昼時が過ぎ、おやつの時間が近づいてくるのでした・・・

 

なんかいいのかなあ、こんなんで「つづく」にしちゃって・・・

刻まれた時刻

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南三陸の時計南三陸町の病院に掲げられている時計の、5年前に刻まれたその日の運命の時刻。もはやあの日を現地で過ごした人でなければ、実感など伴わないほど震災記憶の風化は進んでいます。僕自身、2011年3月、ちょっとタイミングがずれていたら仙台空港の近くで津波にさらわれていたかと思うと、ぞっとする記憶は褪せていないものの、ぼろぼろの1か月を鮮明に思い出せなくなっています。

その日のわずか6日前に仲間たちと仙台や栗原に出かける直前、釜石市で仕事をしていたのも運命的な出来事でした。それから5年、帰還困難区域の時計は止まったままだし、集中復興政策を受けた各被災地も、インフラレベルの工事は目覚ましく進んだけれど、すべての生活再建に及んだかと言えば、疑問を拭い去れません。

何度も視察にやって来る総理大臣や国土交通大臣は、なぜ「復興の進んでいない地域」に足を向けないのか。その映像をニュース化しながら、マスメディアはどうしてそこに突込みを入れないのか。被災地をプロパガンダの材料にされる地元の人々のは、声を荒げなくてよいのか。

いずれにしてもターニングポイントを通過する日。あの津波が幻だったかのように、三陸沿岸の海原は美しく穏やかな風景が広がっています。

何奴か⁉

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宮古の港にある道の駅に昼飯を食いに立ち寄ったところ、妙な存在感のボードが。

これ見た瞬間、ものすごく「いやそんな、まさかそんな方向性?」という、それはさすがにアレすぎてて無いでしょー?というネーミングが浮かんでしまったわけです。

 

 

宮古港しかしここで夜明かし待機していると、漁船が出ていくときなんかもう「ミャーミャー」「ニャーニャー」おびただしい数の鳴き声と羽ばたきが乱舞するのを見かけています。

んー・・・だからといって・・・ねえ

 

いやいやまさかと施設内に入って、表側から見てみました。

ほーら、やっぱり・・・

ねうこに ってなに?←馬鹿

 

 

 

 

路地裏の灯り

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釜石市の夕暮れ時をそぞろ歩くと、街なかはかなり新しい建物が建て直されましたが、まだ更地のまま残された区画も点在します。

震災前にはここに何が建っていたのか、土地の人々でなければわからなくなってしまいました。5年前には路地裏の景色などは見ることができなかった・・・

暖冬の景色

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津軽富士

何を好き好んで雪深いところに行くのかと言えば、もちろん仕事だからなんですが、

「雷蔵さん、まだ冬限定の津軽ダムカレー食ったことないでしょう。ホワイトカレー食いに来なさいよ」

と言われたのが昨年。しかし現地では大雪警戒警報が発令されていました。

垂れるじょーだんじゃありません。

積極的に東北道が通行止めにされるんです。帰って来られなくなったらどーすんですか。

と、恐れをなして厳冬の津軽の地には足を向けられず、津軽ダムカレーそのものを食いに行ったのは4月になってからのことでした。

みほんでもって今年。念のため言っておきますが、仕事です。カレーを食いに行ける余裕があるかどうか。なにしろ食堂は11時に開店して14時に閉店。朝、一度事務所に出て指示出しをしてから出発しなくてはならないので、どうしても仙台発10時。かなりきわどい。しかも右足骨折中です。

しかし間に合えば(もう仕事を後回しにする意志確定している)、という望みもまだある。

ダムサイトとにかく行くだけ行ってみよう。それで間に合わなければ土曜日の帰り際に出直せばいいのだし。←すっかりその気

人車ともに足回りをいたわりながら、こういうアクセルワークが常時できたらいつでもカタログ燃費超えてるぞと自慢できそうなマニュアルクルーズコントロールで「早まりはしないけど絶対に遅延しない」東北道の北上です。

幸いにも寒気が緩んで晴天の北東北。雪による速度規制表示は黒石から先なので、盛岡以北もがらがらの高速道路を安心の定速走行。食いたい一心だといろんなことができるようになるものです。

大鰐弘前インターで東北道を降りて県道ルートで西目屋村を目指すと、さらに広域農道による近道ができるのですが、これがVICS情報では積雪で通行止め。ここまで来て慌てても仕方がないので可能な限り短距離で進める街なかルートを選んでいざ、西目屋村!

に、入ったところで14時の時報・・・

いやいやいや・・・食堂目の前なんです。これはあきらめきれません。

「あのー・・・終わっちゃいましたか?」

だめもとで聞いてみると、足を引きずっている必死の人相風体に恐れを抱かれたか憐れみをもらったか、蕎麦(これも特産品)でなければオーケーだと受け入れてもらえて、

「だ、ダムカレーは?」

と念を押したら「大丈夫」だと。

よかったー・・・ で食券を買おうとしたら、冬季限定の見本写真がない。

あれ? と一抹の不安がよぎったものの食券を渡して待つこと数分。

「お待たせしましたー!」

元気な声とともに出てきたのは、ノーマルバージョンでした。

ええっ? 冬季限定のは??? と聞いてみたけれど、厨房はすでに誰もおらず、配膳してくれたおねいさんは先月入ったばかりで去年のことを知らないとか。

だだだ・・・暖冬の影響ですか?

どどっと失意しながら弘前へ戻って宿に入ると、

「雷蔵様、今日は眺望の良いお部屋をお取りしましたので、ぜひ午後8時前に明かりを消して夜景を眺めていてください」

「はあ。なにかあるんですか?」

「城址公園から花火があがります!」

それはあらうれしやです。

宿と弘前城址公園は直線距離で2キロくらい離れていますが、遮蔽物もなく夕方まで岩木山が真正面に見えていました。てことは公園も真正面じゃん。

ところが松葉杖持ちなので荷物は軽量化したく、カメラを入れたサブバッグは車内に隠してきてしまった。約10分も打ちあがらなかったとはいえ、ちびっちゃくも華やかな花火は、肉眼では楽しめましたがケータイ搭載のカメラで撮影しても、何が何だかわからんですな。