Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

そして棲家。

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正確に言うなら、通っていたキャンパスではなく棲みついていたキャンパスだわね。

授業に向かう同級生。

構内の寮で暮してましたんで。

門限が9時で外泊するには「固定電話」がある所しか許可が出なかったという・・・(当然連絡先が保護者以外の男の名前は不許可でしたヨ)

ポケベルも携帯電話も無かった時代のお話。

銀杏並木。

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探し物をしていたら、押入れの奥から出てきた写真。

銀杏が落ちてきて臭かったもんだが

通ってたキャンパス前の通り。この通りをはさんで幼稚園から大学まであるというこの一帯の地名は文教町(笑)

二年間住み着いていたけど、静かで良いところでしたよ。買い物がちょっと不便だったけどね。20分くらい歩かないとスーパーとかが無かったので。

暫く足を踏み入れてないけど、ずいぶん変わっちゃったんだろうなー構内。

そこから富士は見えるのか

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福島県川俣町の花塚山(写真の山がそれかどうかわからないんですが)には、シミュレーション上、「富士山が見える可能性」が示唆されています。その距離は、308キロ。ここから富士山を撮影できれば、文字通り富士山遠望最北端の地点として認定されることになります。

現在の北限は、ここから10キロほど南の麓山から2009年に撮影され、北限確認されています。富士山遠望で最も遠いのは西からの景色で、和歌山県の色川富士見峠の323キロが日本一だそうで、これ以外に300キロを越えたところはまだありません。

花塚山説が浮上したのは、麓山から撮影が成功した一ヶ月後の2010年1月のこと。それ以来、麓山で撮影をした地元の山の会の人たちと、棚倉町のご老人が、競ったり共同したりしながらトライアルを続けています。

この話題を知ったのは、仙台に転勤してまもなく、こちらのテレビ局が制作したドキュメンタリー番組を録画したのがきっかけでした。インターネットで富士山遠望のことや花塚山のことを調べていくうちに、花塚山を巨石遺構のジャンルから紹介している、あるサイトにたどり着くのですが、このエピソードはちょっと後回しにして、遠望のことを。

あとになって知ったことで、この遠望最北端確認作戦は、川俣町をあげて?の活動になり、番組制作の第二回目を兼ねたミッションが、3月12日に行われる予定だったのだとか。なんという不運であることか、東日本大震災によって、川俣町もまた、それどころではなくなってしまったのです。

それから今日まで、ここから富士山が撮影されたという報はありません。川俣町にも原子力災害による風評被害が襲っており、町内の地震被害の復興も思ったほどには進まないのが現実。しかしよくよく聞いてみると、この花塚山が放射性物質を含んだプルームを遮っており、ごく僅かに計画的避難区域を発生させたものの、川俣町そのものの空間放射線量は驚く程に低く済んでいました。

それでは、花塚山山頂はどうなのか? この件について尋ねてみると、環境安全面では「川俣町側から登り降りする分には問題ない」ということで、富士山遠望のトラアイルは、まだまだ閉ざされてはいないのだそうです。

うーん・・・900メートルとちょっとの登山。これにびびって、ものぐさな僕は、それだけの撮影機材も持ち合わせていないからと言い訳しちゃうのですが、見られるものなら見てみたい、300キロ先の景色には羨望の思いがあります。

ところで、その花塚山の巨石を紹介していたサイトですが、東北各地の巨石を探訪していて、これもまた面白い。どちらかというとこの巨石遺構の方が、趣味的には興味をそそるジャンルなのです。しかし当時は、「こっちに来たばかりだしなー。このサイトにあるどれだけを見に行けるかなあ。しかも山登りはいやだしな・・・」などと、そのサイトを眺めているだけでした。

それが、なにがどういう巡りあわせなのか、ことしの4月になって、一本の電話がかかってきたのです。

「はじめまして、雷蔵さん。私は同じTD61Wに乗っていまして、サスペンションのことで教えていただきたいことがあり、フジ・オートさんから紹介していただきました」

この時点で既に「ふじ」つながりなのですが、足回りのことやエスクードの運用のことを対話をしているうちに、あれ?という部分に気がつきました。

「あのですね、ひょっとして、あなたの作っているサイトのコンテンツに、巨石遺構のページはありませんか?」

「よくご存知ですね。それは私のサイトです」

こういうことがあるのか! な、ファーストコンタクト。それから半年が過ぎて、僕自身は現在、自分の仕事に関連して、川俣町の役場に時折出向くという日々を過ごしているのです。

鉄の人々へ シリーズ007

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ここで走ってくる車両を見たのは初めてです。

例によって次の停車駅はどこだ?

黎明編の記憶

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僕は手塚治虫さんの漫画をそれほど好きではなく、「ジャングル大帝」と「青いトリトン」を除くと、作品をしみじみと読んだことはありません。

だから「火の鳥」に至っては、何がどうなっているのかほとんど知らないのですが、1978年に公開された東宝映画の「黎明編」だけは、学校行事の映画鑑賞会で強制的に連れて行かれて、観ていました。

そこでも、火の鳥の物語としてではなく、邪馬台国の騒動(と、同国九州説をバックボーンとするフィクションの構成)に面白さを見出して観ていたのです。

映画は日本各地の様々な場所でロケ撮影されたと思われますが、その多くは、阿蘇において撮られていたはずです。その雄大な風景を、いつか眺めてみたいと思いながら、その後他力本願していた修学旅行に肩すかしを食わされ北海道に飛ばされ、なにしろめんどくさがりがたたって自走では行こうとしない(他の手段を考えろよ)

結果、ここまでやってくるのにン十年もかかってしまいました。しかも弾丸のタッチアンドゴーという、えらくもったいない立ち寄り。まあそれでも、その場所を走ってこられただけでも良かったことは大いによかったのですが。

翻って記憶を搾り出す「火の鳥 黎明編」。なんと、今では映像ソフトが無いらしく、リピートしたくてもできないらしい。その上、調べてみると、この映画に対する評は極めて低く、なんであんなもん作ったか理解できないというコメントが大半。良かったのはミシェル・ルグランのメインテーマと、コシノ・ジュンコの衣装くらいだと・・・

確かに記憶をたどれば、原作を知らないにせよ構成がちぐはぐだったり怒鳴り散らすようなオーバーアクションが鼻についたり、虫プロ側が担当した無理やりなアニメーションシーンの意味もない・・・としか思えないインサートなど、あんなのをよくもまあ谷川俊太郎さんは脚本に起こし、メガホンを執った市川崑さんに納得させたもんだわ。とは感じるものがあります。

ところが、原作を読んじゃいないけれども、失礼ながら当時のセンスで漫画を映画にすると、あんなもんじゃなかろうかと思うのです。そこは目をつむって(つむったら見えないからダメじゃないか?)、当時のあのキャストを思い返すと、とんでもなく豪華で、現在の俳優陣であれに匹敵することができるだろうかと考え込んでしまいます。今やったら女性陣の大半になんとかなんたらのアイドル軍勢がぞーろぞろと・・・それじゃだめだよなあ。

いやしかし、この素材は、もう一回取り上げてもいいじゃねーかと、僕は支持したい。役者の選定は好みによるのでほっときますが、あっちの国で「ロード・オブ・ザ・リング」(注意 音声がやかましいぞ)だの「太王四神記」(注意 音声がうるさいぞ)だの「レッドクリフ」だのを作られて、こっちじゃあんなのやそんなのしか作れないようでは、邦画の名折れじゃありませんか。

本音を言えば、別に「火の鳥」である必要はなくて、邪馬台国であるとか日本神話であるとかのジャンルで、物語を見たいだけなのかもしれませんが、「ヤマトタケルの冒険」を実写でやれちゃうとちょっとインモラルすぎなので、あれは長編漫画にリメイクしてもらうのが一番いいし、第一、アニメーションで見たいとは思わないのが、実際の阿蘇の火の国の風景です。

 

夏の風物

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7号線を南下していると、もしもしピットなどの駐車スペースに必ずいらっしゃる。ベテランの販売員にめぐり合うと、バラの花のような盛りつけをしてくれるそうですが、残念ながらこのときは、同じ7号線沿いにある、非常にネタの良い寿司屋を目指していたため、ここで水分は補給できぬと全てスルーしてしまいました。

あー、これってバラの盛り付けを巡って買い出しトライアルの素材にできるなあ。

 

青と碧と

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木曜日の午後から五月並みの陽気に入れ替わってしまった東日本。金曜日の北秋田市は21℃でした。仕事先までの移動は例によって明け方のため、14℃くらい。熱だれしやすいV6にとってはありがたい、季節の戻りです。

しかし夕方、秋田市までたどり着くと、真夏日というほどではなかったけれど、けっこう汗ばんでしまい、結局宿に入った途端に風呂を浴びて、もう動くのいやだ状態でした。作戦室を出てから仕事の立ち寄り三箇所で、秋田市までの走行距離が420キロ。本日は仙台まで300キロ弱の移動です。

転勤してから初めて、自らやってくるのも十数年ぶりの田沢湖は、見た目ほどには綺麗ではありません。湖畔の波打ち際に打ち寄せられている白い泡状の塊は、生活排水なのか何かの老廃物なのか。田沢湖が強酸性の湖になってしまった歴史的背景は、人為的な排水によるものでしたが、70年代から石灰による中和対策や、90年代からの酸性水中和処理プラントなどの可動で、水質の改善は進んだそうです。その分、富栄養化が進んでいるのかもしれません。

それでも日本一深く、世界で17番目の水深を誇る田沢湖は、湿度の低い晴天の日にやってくると、えも言われぬBLUEの水面を湛えています。街や林道では青々としているはずのBLUEらすかるのマイアミブルーメタリックⅡという車体色も、こうして比べてみると、けっこう赤系の色素が入っていますね。

天駆ける姿

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携帯電話のカメラで撮っているので、見たときほどのディティールが写りません。いやそもそも思い込みのほうが強かっただろうから、本当にそんな形をしていたのかと言われれば、どうなんでしょね? と言ってしまうかもしれない。

午前4時20分頃の二本松市の上空。鳳凰というか、グリフォンというか。

鉄の人々へ シリーズ006

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前回の盛り上がりをひっぱれるか?

でもこれはちょっと難易度を下げ過ぎました。まさに次の駅にさしかかっていますが、それってどこの駅だ?

卵は世界だ

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と綴ったヘルマン・ヘッセによれば、生まれ出るためにはひとつの世界が壊されるらしいのですが、これだけでかい卵だと、もしも孵化が始まったら、なんかもう世界がひっくり返るんじゃないか。以前、須賀川にあった「ゴジラの卵」に比べればずっと小ぶりではありますが、いったい何の卵なんだろう・・・

事の起こりは、1992年まで遡るそうです。久慈市(旧山形村)にて。