今のラパ・ヌイには森はほとんどないとも言われているし、凝灰岩にしては白っぽすぎる。しかも、西洋人が上陸した頃にはすべて倒されていたはずの像が立派に佇んでいる。
ということは・・・
霰は、テ・ピト・オ・ヘヌアと呼ばれていた頃のこの島に漂着したのか?
福島市に出張した折、福島県内で生産されている「再生可能エネルギー源による発電」の比率が、震災以前でも20%を超えていたことを伺いました。
震災後の集中豪雨で発電所や送電網が大打撃を受けていますが、福島県内における水力発電は、かなり大きな再生可能エネルギー源。それに続いて柳津の地熱発電も、全国的に見ると二番手くらいの規模なのだそうです。さらにバイオマスや風力発電の立地と、メガソーラーの急速な普及が起きていて、先行きのことは皮算用とはいえ、2040年くらいになると、県内電力消費をほぼ再生可能エネルギーによって賄える見通しだと。
いやそりゃ先が長いよと思ったら、2030年あたりで60%だというので、自給率5割の達成を第一目標に考えたら、決して長すぎでもないなあと感じました。
政治とエネルギー政策については素人なので余計なことは言えませんし、いまさらぼやいても過去は変えられませんが、これだけの素地がありながら、合理性と効率優先で火力や原子力に以降せざるを得なかった高度成長期以降の歩みは、やはり無念なことでしょう。水力、と一口に言えても、ダム一個を作る手間ひまは馬鹿にならないですから。
しかし、今でも原子力災害の風評が流れているのだとしたら、このような研究数値は、皮算用であっても(いやいや、皮算用なんて失礼な物言いですが)、どんどん主張すべき、地域の資源だと感じます。極端なことをイメージすれば、福島県内は、さらに東北一円は、再生可能エネルギー源を地産地消しやすい環境を有しているということで、これを裏返して乱暴に言えば、実は首都圏の方がエネルギー源の過疎地なのです。
そういうイニシアティブを獲得していくことって、福島にとって大事だろうなあと、話を伺っていて感じることて゜した。
出先で見た土曜日の読売新聞。1面トップ記事で扱うほどのニュースなのか?と思うのですが、少なくとも国内でこれに匹敵する大事件はなかったということでしょう。記事の解説欄によれば、地球に落ちてくる隕石の数は年間42000個にものぼるそうで、それで言ったら1日あたり115個も降っているわけですから、どれほどニュースバリューがあるのよ?と思ってしまうのです。同記事が示すように、爆風や衝撃波などで割れた窓ガラスによる二次被害が725人の負傷。地方紙記事では985人に増え、土曜日正午のテレビニュースの頃には1200人に変わっています。
この辺、読売配信が早かったという時系列の現れで、ひとつのニュースバリューか? ともとれますから、トップニュースで扱いたくなるのも、理屈かもしれません。
ロシアにおいてこれほどの規模の隕石被害といえば、105年ぶりだそうです。それは1908年のツングースカ大爆発のことで、数十キロ四方の森林がなぎ倒されたというから、被害規模は比較にならないでしょう。それでも時間を追うごとに入ってくる地上の被害映像を見ていると、やっぱり大事件か。湖の氷を割った直径8mの穴が発見されているようですが、死者なども出ていないというのが不幸中の幸いです。
といったところで訂正と追加を記すと、ツングースカ大爆発に関しては、隕石かもしれないという推定の下、確たる原因が解明されていないようで、山田正紀さんだったら宇宙船の墜落。小松左京さんだったらマイクロブラックホールの衝突・・・と諸説紛々ではあります。でもって、105年前どころか、シベリアでは2003年にも同様で規模の小さな謎の森林崩壊爆発が起きていました。
30年前の今日、津軽海峡を渡る青函トンネル工事現場で、その先進導坑が貫通しました。53・85キロのトンネルは1988年3月に開業し、現在のところ、世界一の長さを誇るつ交通機関用トンネルです。
あと5年もすると、スイスに建設中の約57キロというゴッダルトベーストンネルにその座を譲ることになりますが、アルプス山脈を超えるとはいえあちらは内陸の地下を掘削。青函トンネルはご存知のように、海底下約100メートルを掘り抜いたという技術的な誇りもあります。
ただし、このトンネルは本坑も先進導坑も北海道側から掘削を開始していますので、この記事はともかく、挿絵が適当と言えるかどうかはちょっと怪しい(だって吉岡側の写真持っていないんだもん)
青函トンネルでは液状セメントを岩盤に注入してあらかじめ補強硬化させた岩盤を掘削するなどの技術を実用化しました。先進導坑は、試掘調査をしながら本坑掘削のルートを確定していく重要な工事と言えます。それ故、先進導坑自体も「ここはだめだわ」と掘削を断念して穴を塞いだという箇所がいくつかあるわけです。そうした工事の成果として、貨物の運用においては物流速度と量の確保として、大きな貢献を果たし、一時は凍結されていた北海道新幹線も2005年に建設着手されて、新青森と新函館間があと2年で開業となります。
どうせなら、郡山か仙台あたりから、貨物に車を乗っけるカートレインなんてものも再考して欲しいところです。構想自体はあるのだけれど、実現の話はまだ聞けていません。