Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

今日もいい天気~

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朝は少々粉雪舞ってましたけどね。

新月サンのゴルフ仲間のおにいさんと一緒に
週末、エーデルワイスへ。
知り合いのおにいさんずが居るかと思ったら
(スクールで手伝いしてるらしいので)
この日はたまたまハンタマで自主トレ・・・
そうか、向こうの山に居ったのか。
確か何年か前にも同じ事があったような??

 

車検で一番大変だったこと の小言

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霰のヤマタノオジロことハスラーJstyleⅡが車検を迎え、79000kmでさほどのトラブルも不調もなく検査を通ってきました。

ですが・・・

「屋根に樹液やらなんやらが付着して除去するの大変で、一部は取り除けなかったと言われた」

車庫に一台分空きあるじゃねーかよ。なんで入れねンだよ。

「お父さんがBLUEらすかるをあの位置に置いてるわけがよくわかった」

あそこにお母さんのを置いて、手前にBLUEらすかるを置いて、ヤマタノオジロを車庫に入れりゃいいんだよ。

「フィガロの右側に頭から入れると、出すとき大変なんだもん」

だったらフィガロとポジション交換しろよ!

仕事にならない・・・

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パソコンは動くのよパソコンは。

会社のネットワークが繋がらず、何も出来ない週明け。
エクセルやワードは使えるものの、インターネットが
使えないので、WEB発注はおろか銀行の払い込みも
出来ない(汗)
販売管理システムも立ち上げる時にネット接続が
必要なので、そのソフトも使えないーっ!

ほんっとに今の会社ってネット使えないと
なーんにも出来ないんだわぁ・・・

困った時にそれを使うのだ

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そうすると、フッフッフッフ。心配する事はない。

βカプセル・・・ではなく、背面に背負ったスペアタイヤのことです。「リアの最も後端に重たいスペアタイヤを装着するということは、言うまでもなく運動性能にマイナスな影響を与えてしまう」
馬鹿馬鹿しい。初代や二代目のV6エンジン搭載車なんて、それでもフロントヘビーですわ。

もちろんウエストウインのダートラマシンなどのように、車体全体を軽量化するためにまず取っ払うのがスペアタイヤという事実もありますが、そもそもSUVと呼ばれる以前の四輪駆動車の源流がAFVであるジープの機能性を流用していたのですから、コストやウエート理屈以前の問題です。背中にしょってて悪いかよ、と言いたい人は少なからずいらっしゃると思います。

スズキの四駆に関して言えば、その昔、社長兼会長様(当時)が「クルマの方をなんぼコストダウンしてもタイヤだけは買ってこなくてはならないというジレンマがあって」という冗談めいた談話に端を発したコストカットがあったりなかったりします。でもジムニーには例外のように取り付けられている(外しちゃうユーザーも多いですが)。安全・機能論として必須だとメーカーが判断しているからです。エスクードのことで言えば、追突されたら危険なのはスペアタイヤよりもほぼ後端むき出しのガソリンタンクの方です。

スペアタイヤの処遇は、昨今のSUVデザインに変遷していったら、タイヤを背負わせられる場所なんか無くなっているのは見ての通りです。しかし昔のゴルフカントリーや、ラリー仕様のランチァ・ストラトスのように、それでもテールエンドやリアゲート上にスペアタイヤを搭載する姿は、見てくれでも悪くない。

僕もなにをかいわんやなことを書いてますが、最近車雑誌も読まないので一概には言えないけれど、かのパンク修理剤がどのくらい役に立って、あれを使った後のタイヤなりホイールなりの持続使用にどの程度の弊害やコスト発生があるのかないのか、細かく解説したところってあるのでしょうか?

まずそっちじゃないの?

それは宇宙道徳に背くというものだ

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1956年1月29日に封切られた『宇宙人東京に現る』は、地球人類の核開発を警告しつつ、太陽系に接近する彗星Rによる地球の危機を「宇宙道徳」に則って知らせにやってきたパイラ人と地球人の物語でした。核抑止に出現する宇宙人や異天体の衝突危機というプロットは、この映画より5年前のアメリカ映画『地球の静止する日』『地球最後の日』が先んじていますが、この2本は今考えると、当時激化していた朝鮮戦争への反発だったようにも思えます。

『宇宙人東京に現る』は、世界的な核の危機に対して、当時唯一の被爆国である日本に理解を期待しパイラ人がやってくるお話でした。まあこんな異形ですから東京はパニックに陥るのですが、パイラ人にしてみれば地球人の容姿こそ醜いという文明感覚の違いも真新しかったのです。

設定の話はさておき、絵空事とはいえ友好的宇宙人の力を借りた核抑止や平和維持のメッセージが込められているのなら、今、こういう映画を大陸の方でドンパチやってる政治家に、息抜き半分で鑑賞していただきたい。あんたらのところにそんな親切な宇宙人は来てくれるのか?とも問いたいです。

最初の『ゴジラ』の2年後という封切りでしたから、比較されたらトンでも部類の映画かもしれませんが、作った大映にしてみればそこそこ真面目に取り組んだ作品だったと感じます。意外にも当時、空想科学映画を片っ端から観ていたというスタンリー・キューブリック監督が、「俺もこんなの作るぜ」と触発された映画の一つが『宇宙人東京に現る』であったことは有名なエピソードですが、そこから『2001年宇宙の旅』ができちゃうのも凄い話です。

ここからは蛇足ですがパイラ人。四十代半ばの岡本太郎氏がデザインしたもの。有効かつ極めて知的な宇宙人ながら、体内のほとんどが眼球じゃねーか。この11年後に成田亨氏のウルトラマンが登場してくるわけですが、同じ宇宙道徳観念を持ちながらも、世代が交代するとかくも宇宙人の容姿が変わるものかと驚きです。成田氏の造形に忠実なウルトラマンはさらに55年を待たねば実現しませんでしたが、その間、βカプセルひとつとってもデザインセンスは進化しています。

計算はしていない。

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まったくの偶然。

少し前の話ですが。
近所のコープに買い物に行って、
電子マネーの残高を確認せずに
1万円チャージしました。

そしてお会計時。

ジャスト6,000円のお支払い。
そして残金を見たら10,000円。
支払額にも驚いたけど、
そもそもの残金が6,000円丁度だったとは・・・

二級天使の前の年

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石ノ森章太郎さんの命日です。もう25年になります。同日ではありませんが70年前、高校一年生だった彼は作品投稿を行っていた『漫画少年』を通し仲間を集めて、東日本漫画研究会を設立、回覧誌「墨汁一滴」を創刊しました。翌年、「二級天使」で漫画家デビューします。当時はまだ宮城県の実家暮らし。石ノ森章太郎ふるさと記念館前にあるこのポストが当時からここにあったかどうかはわかりませんが、実家近くのポストから東京への投函をしていたのでしょう。

備えあればって・・・

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雪ではない。

どう見ても、撒きすぎでしょ。
某銀行の建物横。
確かに西日しか当たらない場所ではあるが・・・
あ、でも数日前の強風で吹き溜まったのかしら?

 

零下五度の日常

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24日の夕方から夜に、短時間降った雪で庭への積雪はありませんでしたが、上空の寒気は居座っているらしく26日朝になっても軒のつららは健在でした。雪国北国に比べたら笑われるレベルのかぼそさですが。

積もるほどの雪でもつららになる前に落雪してしまうのがここ数十年の景色だったのです。

しかし子供の頃にはこんな景色は毎冬見ていた記憶があります。観測史上最強の寒波とはまた別の話で、半世紀前だとこれくらい寒かったんじゃないかなあと思い至るわけです。なんせ雪が降ったら基地の前面の坂道でスキーやってましたし、坂の下からはクルマは絶対に上がってこられなかった。

さすがに半世紀前の写真は残っていませんので、1998年2001年の我が家の風景を貼り付けてみます。この頃すでに温暖化の影響が出ていて、たいした積雪になっていません。2006年の記録以降は新年会の裏山しかありませんから標高差で積雪量の比較にならない。するとやはり、昔の大寒の頃って零下五度くらいは日常だったのではないかと考えてしまいます。

アミノ酸どこいった?

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ま、少々のたんぱく質は摂取した(笑)

例によって、運動で疲労した身体の為に
「アミノ酸を摂るのだ!」と
前に行ったのとは違う系列の味噌ラーメン屋に
・・・行こうとしたんだけど、店の外まで
待ちの列が続いていて、駐車場にも入らず通過。
悩んだ結果、新月サンが外回りの途中に店の前は
通ったけど一度も入った事が無いという蕎麦屋へ
向かう事に。
つゆもお蕎麦も好みの味で、大変満足♪