玄鳥去と綴り「燕が南へ去る」と意味する、白露の末候。稲刈りも大分進んで籾殻焼の香りがそこかしこで漂っています。この焦げた香りは鼻に心地よいんですがうちのクルマ、どうもエンジンルームで何かのフルードが焼けているような臭いが時々するので、自然だと香り、化学混じりだと臭いとニュアンスが変わるのです。今年は車検が控えているのでまとめて整備のつもりですが、それまで何事も起きませんようにと願うばかりです。
それ以上に残念な話が入ってきて、三高伝治さんから「新米の収穫ができたけれど、田んぼは今年限りで仕舞いにしようか迷っています」とのこと。伝治さんの田んぼは六反歩半ほど。聞けば田植えや稲刈りは機械化しているけれど、脱穀後の籾殻運びが力仕事で手間がかかるそうです。春先に奥方が逝去して人手が得られなくなったのと、気力も萎えたと。新盆でお邪魔した折にもそのような話は出ていたのですが、米づくりが云々というよりも気力が萎えたの言葉がやっぱり哀しい。