モンゴル人民共和国のヘンテイ県ベルフ市の10キロほど南に、1機のホーカーシドレー・トライデントが墜落し、操縦士や搭乗者9人全てが犠牲になったという、歴史的な事件があります。1971年の、9月13日の出来事です。
この飛行機に搭乗していたのは、当時の中華人民共和国で毛沢東の後継者とまで言われながら、主席の暗殺を企てクーデターを起こしかけたものの失敗し、ソ連に逃亡しようとしていた、軍人であり政治家であった林彪。最年少で十大元帥の一人に名を連ねたほどの人物でした。
トライデントの墜落原因は諸説あるものの、確たる定説は断定されていないようです。また、搭乗者の遺体確認は、モンゴル側が中国に対してこれを認めなかったことからKGBにより行われたもので、どこかに穴があっても・・・という憶測は成り立ちます。毛沢東さん自身がこの逃亡に対して「雨は降るものだし娘は嫁に行くものだ」と告げ、ほっとけと言ったそうですから、事故後の成り行きは闇に葬られて行っても仕方のないことでしょう。
という背景から10年ほどあとに、川又千秋さんが「林彪の罠」という活劇小説を出版します。現在では「筑波・核戦略都市を奪回せよ」と改題された文庫本が手に入るかもしれません。なんだそりゃー?という小説と思われましょうが、筑波研究学園都市が、一時期、核武装のための研究基地という都市伝説で賑わっていた頃の作品です。実は、モンゴルで果てたと思われていた林彪さんは筑波に軟禁されていて、中国から謎の武装集団が奪還にやってきて、高エネルギー物理学研究所(当時)を占拠し、日本政府に脅しをかけるという展開。
この頃、僕はといえば、夜な夜な師匠と学園都市を徘徊しては変なテロリストを発見できず、そのまま北筑波稜線のまだダートであった林道まで出かけて崖から落ちかけたりしていたのですが、30年経過したら筑波どころか尖閣諸島あたりでの鍔迫り合いというずっとリアルな現実を見る時代になってしまいました。
いま、つくば、と表記する人はいても、筑波と書く人は激減しているのではないか。ましてや「学園」と言われて、そこが筑波のことを示していることを知らない世代も出てきています。それほどに筑波研究学園都市は地域に埋もれてしまったような気がします。土研の風洞実験棟の中に核ミサイルが寝そべっていても(真実は知りませんよ)、もはや誰も気がつかない以前の問題なのか。
時代は移ろいゆくもので…。
“対馬沖のソ連艦”も今やスクラップ。脅威の対象は別に在る。
その分野、すっかり大石さんの独壇場になっちゃいましたね。総統兵団とか好きだったんですけど(笑)。
秘境三部作は今でも手元にあります。あ、こんなこと言ってるとサイレント・コアに殺られちゃうかな?
この当時から筑波に入れ込んでいたため、なんだこの本? と思って読んでいた程度で、「南某の前歴」というのは知らずのこの本でした。
どちらかというと、山田正紀の方が多くて、それも70年代後半まででしか記憶にとどめられないです。
林彪の罠よりも前に書かれている、山田正紀の「謀殺のチェスゲーム」のほうが面白いでしょう?(でもその後の謀殺シリーズはどーんと面白くなかった)