誤解と混乱を恐れずに書いておきますが、僕は初代のエスクードにばかり乗り続けているけれど、このクルマのあゆみには1年だけ足りない履歴を通して、二代目を再評価し、三代目を歓迎し、しかしこうあって欲しいという思いのあまりに、なぜそのような進化なのかと酷評していることがあります。
それは今後も続くでしょう。ただし、モデルチェンジごとにこのクルマが嫌になっていったら、前回の20周年企画など手がけたりはしませんでした。あらためて宣言する必要があるなら、僕はエスクードというクルマが歴代大好きです。
「雷蔵さん、思いにブレがあってはだめだよ。5型からスペアタイヤが廃止されたからどうこうという問題は、エスクードというクルマを介してコミュニケーションしている我々が、これから先の交流の裾野を広げていく上で、どれほど重大なことなの?」
こう言われて、あっ、それは大事なことを教えられたと感じました。安全面において課題は依然として残るお話ですが、初代と最新モデルとの違いを、新しいエスクードに乗り始める人に押し付けてはいけないというロジックは、もっときちんと受け止め方を考えなくてはならないことなのです。
「ESCLEVはまさしくクロニクルであり、つくばーどに至っては、車種の隔たりすら無しでやっているわけですから、エスクードの変遷そのものは、おおらかに受け止めましょうよ。それよりもっと、おもしろいことやらかして、誰でもいい、ちくしょーやりやがったなーと思わせることのほうが、ずっと楽しい」
実は、にやにやとお説教されながら、僕もほのぼのとしているのです。こういった提案をしてくれる人がいるという、嬉しさ。だって、そろそろ、二つのサイトとも、賞味期限が切れただろうと思っていましたから。なによりも、この手の話をメールや電話のやり取りではなく、サシで対話しようと仙台までやってきて喝を入れてくれることに、ありがたさを感じました。
来年5月、エスクードは誕生25年を迎えます。三代目の5型の登場は、なんといってもこのクルマの節目にバトンをつないでいる。そのことを忘れてはいけないのです。そして、そんな時代だというのに、僕も彼も、初代に乗っていることの「それはなぜ?」というメッセージも、伝えていくべきだろうと。
それが、25年というあゆみと、ラブレターの骨格です。
どうもそれを書くのは僕にやらせようということなのですが、伝えたい言葉は、きっと、世界中に散らばっているはず。このクルマに乗っている全ての人の言葉を集めて、ラブレターは完成していくのではないかと、このへんまではまとまっていました。
誰に送るのかって?
というあたりから、対話の全体像が酔いに負け始めて、でろんでろんになってしまいました。まったくさー、なにをやっているんだってなはぐらかし方ですが、誰にって、そんなの口に出して言う必要もないくらい、わかりきったことですよね。
現在進めている25周年企画は、ようやくディティールが見えてきました。僕が面白ければそれでいい。それでいいのだけれど、これはきっと、あなたも面白いはずです。
以下次号というか、その折に触れて。
ラブレタ-楽しみにしております~
僕は元来、直接言いに行く派なんですけどねえ。
なぜかって、今もそうだけど、悪筆極まりなかったんですよ。
マイレージ同様、時間軸などえいや!とうっちゃったら?(笑)
元本は極めてアナログなところにあって、これの拡散と収束は今風な手段で。
って感じでしょうね。