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  ~懲りない傾向~

齢五十五のとかいなか

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都心の一極集中がその頃から懸念されていたのかどうか今となっては知る由もありませんが、1963年9月10日、国において筑波研究学園都市建設が閣議了解され、55年が経ちました。東京教育大学をはじめ都内にあった各省庁の研究機関をごっそり、筑波・・・といっても現在のつくば市合併の構成町村に旧筑波町が入っていただけで、あんなところ筑波山麓とは言えない距離・・・だったものが、今や筑波山頂域の半分くらいはつくば市・・・に移転させ、研究員たちも職住近接させてしまうという国策でした。

なんかこう、東京オリンピックによる近代化効果と高度経済成長の尻馬に乗っけたんじゃないかとも思えますが、どかした研究所施設の跡地にまた街を作ってきたから、この半世紀で23区の過密化が是正されたとは全然言えない年月が過ぎ、結局は一極集中には歯止めがかかっていない責任を誰もとる必要が無い。

都心と研究学園都市を結ぶつくばエクスプレスも、当初は常磐線の通勤時におけるすし詰め超混雑を解消するための通勤新線として、このあとの運輸政策審議会が了承したものなのですが、その是正区間は上野と取手のラッシュ対策として、秋葉原と守谷間で始動した事業でしたが、鉄道建設費を捻出したり需要を作らねばということで、ただでさえ広大な田畑と雑木林と湿原を開拓した研究学園都市を取り巻くように新たな宅地開発をやってしまうというプロジェクトに変貌していきました。

でも、住んでるところ、働くところをどんなふうに使いこなすかの方がずっと大事なことで、つくばの人々はこの半世紀、健気にそれを押し進めてきたといえるでしょう。でもでも、55年です。東京郊外にかつて造られたニュータウンがことごとくオールド化し高齢社会の波にのまれていくのと同じことが、避けられない時代。つくばにおいては当初から多世代居住というコントロールを施してはいるものの、あそこで遊んでいた僕の後輩たちさえもう五十路に突入しているのだから、安穏ともしていられないでしょう。

それにしても80年代、バイオテクノロジーとか超伝導とかロボットとかで第一線の街だったとはいえ、それらの研究機関だっていいかげんボロになっているんだろうし、次世代へのブレイクスルーに対応できるのかなあ。水素燃料や水素ベースの電力生成に主眼を置く産総研などは橋頭堡を福島県に持ってきているし、岩手県には新規の粒子加速器を誘致する運動が(あまり盛んではないけど)あるし、小惑星探査はもっぱら相模原だし。そのうちつくばの研究機関の民間卸しなんてことが始まらなければいいのだけれど。

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