と粋がっても内視鏡とポリープ取りのあとの体内の違和感というか不快感がもうたまらんと、土曜日の未明に駆け出し、夫婦して「ひとっ走り付き合えよ」などと能天気なことを言って、あの「銀河鉄道の夜」を食いに・・・いいのか今こんなもん食っちゃっての日帰り弾丸をしでかしました。だって術後に処方された薬がただの胃薬なんだもん。銀河鉄道の夜は、叉焼とメンマがグレードアップしました。もちろん胃薬はちゃんと服用しましたです。
「体調がいいならあと一か所どこかに立ち寄って、ゆっくり帰った方がいいよ」
と言われて、薄い記憶を絞り出したのが石ノ森萬画館の開館十九年祭・・・ではなく! 石ノ森章太郎ふるさと記念館の開館二十周年企画展。てことで種山高原から沿岸を回って登米市へ。
衝撃の事実が発覚し、うちの奥さん、ゼロゼロナンバーサイボーグ九人のうち、顔と名前が三人しか一致しなかったと!。どよーんとしょげられてしまったので、これは元気づけねばなるまいと、登米市から仙台市を飛び越して山形市の「グランロック」に連れて行き、晩御飯(僕はさすがにサラダとお茶)とパイアラモードをごちそうしてゲージ回復へ。
「そう言えば、ピグモンどうしているかなあ」
などと唐突なことを言い出すので、山形市から米沢経由で栗子トンネルを越えて東北道に乗り換え、磐越には回らずそのまま須賀川の松明通りを目指すわけですが、夜にあれを見たら怖いだろうなあと思っていたのが、背中から眺めるとなんとも哀愁が漂っています。
普通、ここでタイムアップしてどこかに泊まるものなんでしょうけれど、うちは普通じゃないのでそのまま南下へ。
途中でコンビニにてお茶を買い駐車場の隅っこで仮眠し、国道で水戸を目指し、測ってみたら全行程約1200キロ、22時間で戻ってきました。青森と秋田に足を伸ばせなかったのは無念でした。胃の辺りがすっきりしたのは、たぶん胃薬の効果ですよね。
帰宅し車を降りようとしたら、オドメータが面白い数字になっていましたよ。
1200km…うちんくから以前の作戦室とほぼ同じ距離(笑)
その当時でも「ひとっ走り」なんて、そんな軽いノリで思ったことないです。
まぁ、関西くらいの距離ならひとっ走りでしたけど(笑)
回復?快復?…とにかく元気そうで本当に良かったです。
免許を取った頃って、日の出を太平洋で眺めて走り出して日没を日本海で見るというのが流行ったんですが、ビンボーなんで車中泊。
東北弾丸はSIDEKICKさんに先鞭をつけられているので「だから日帰りにして対抗」←馬鹿
以前は津軽半島一周から八戸・盛岡経由をそれでやりましたが、北緯40度を越えなければかなり楽なんです。
ここで会っておかなければ次にはもう会えないかもしれない人や、まあまた会えるだろうけれど会えなかった人もいて、それを考えると種山とか山形はいてもたってもいられませんでした。
歳はとりたくないねえ。
心配しておりましたが、無事ご回復されたようで何よりです。
それにしても恐るべき距離…わたしの最高記録は20時間1100㎞なので、更新しなくては。(いや勝負じゃないし)
反動が出て日曜日は寝込むかなと思っていたんですが、帰宅してから日曜の朝まで泥のように眠ったらしく、やー面白かったと起き出せました。
で、昨日は仕事で日光市へ・・・ 机なくなりそう・・・