Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

初めての・・・

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この一貫に6枚も使ってるとは・・・

この一貫に6枚も使ってるとは・・・

「『新子』入ったそうですよ。火曜日にでもどうです?」と知り合いのおにいさんから新月サンにメールが届きまして。4月に一度連れて行ってもらったお鮨屋さんへ。
『新子』ってなんぞ?と思ってたら、コハダの稚魚だと教えてもらいました。『新子』の初物・・・いいのかしらん、アタシなんかが食べちゃって(汗)
でも美味しっ!頭から尻尾の先までが楊枝よりちっちゃいソレを丁寧に開いて酢でしめて。もー、お仕事しまくりですわ。
連絡くれたおにいさんが、日曜日に釣ってきたイカの一夜干しをお土産にくれました。
今夜はコレで呑んだろ♥

天空の真理

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雨上がり昔ね、虹の向こうは晴れなのかしら・・・てな歌がありましたが、ほぼ間違いなく雨降ってるよなあと思うのですが・・・

インドラの矢を放つ弓であったり、天界へ上る道や橋であったり、水をもたらす神の蛇であったり、伝令の女神そのものであったり。民族によってとらえ方は様々ですが、直接太陽と雨とを結びつける神話はあまり見かけません。

むしろ理科や科学の検証で解明していった方が面白いじゃないかと、いつの頃からか思うようになっていた割には、向こう側の天気のことは最近まで気がつきませんでした。

 

 

サボテンの花。

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さて、どうしよう・・・

さて、どうしよう・・・

サボテンって毎年は咲かないの?そんな事ないよねぇ。

我が家のサボテン、3年ぶりくらいに咲きました。しかも以前咲いたのとは別の株・・・ 3鉢にも増えてしまってどうしましょ。新月サンが「・・・切つめて小さくしなさい。あと、1鉢残して処分もしなさい」って言うのー。
まぁこのまま放っておいたら、リビングの前がサボテン畑になりそうな勢いだしなー・・・

来たのは誰だ

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あしあと福島空港のロビーから階段に向けて、謎の足跡が点々と続いていました。 はてさて国際線に向かったのか国内線なのか、それともお見送りで展望台に行ったのか・・・

これはいったい何者の足跡なのだろう?(ってか、これは「初代」の足形ですね)

大きくなぁれ。

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初めの1個。

初めの1個。

今年もベランダからネット垂らしてキュウリ這わせてます。

天気が良くない日が続いたので伸び具合がいまひとつ。
次々咲く花が雄花ばっかりなんでちょっと心配だけど、まぁ2本植えたしどうにかなるさ(多分)

フォルクロリスティクスな領域

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りす霰から送られてきた写真。

ついこの間は「縄文期の葬送と埋葬の形態の資料よこせ」とか言ってきたのですが、こんどは何を始めるつもりなんだろう?

 

神々との闘いの落日

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完結「2012 009 conclusion GOD’S WAR サイボーグ009完結編」のコミカライズ版が第五巻の出版をもって完結しました。故石ノ森章太郎さんのプロットを基にしての大団円ということですから、おそらく原作者の意図と発想を忠実に描ききったのだと思われますが、まさか巨人の聖お兄さんたちとまで戦う構図が出てくるとはと、びっくり仰天のギャグ漫画テイストまではらんでしまいました(実際にはそうじゃないんだけど、そうにしか見えない)

ただただ一点、このマンガが落第しているのは、フランソワーズ・アルヌールが絵としてきれいに描かれていないことです。描画が雑、これだけで0点です。

神々との闘いこのマンガはウェブ上ではもっと以前に完結発表されているわけですが、天使編や神々との闘い編を引き継ぐプロットを随所にちりばめながら、結局は強さのインフレーションに陥っていくのを避けきれないうえに、何から何までさらけ出せばいいってもんじゃないだろうという読後感が漂い、結局のところ神々の正体はそれかいとがっかりする落としどころに収まっていました。だいたいが、肝心なところをト書きで進めるのがマンガの仕事なのか?と。

掘り下げるだけ掘り下げていくうちに、きっと、石ノ森さんは「絵にしたらチープだ」と感じていたのではないでしょうか。こんなもんのために悩んで休筆したの? ではなく、これを描くのが陳腐な結果になりかねないという葛藤に苛まれたのではないか?と思わされます。

神々との闘いの全ページを、石ノ森さんご自身が何処まで自分で執筆したかは定かではありませんが、両者を見比べたら、描画の出来栄えが歴然として違う。描ききれないなりに叙事詩的な展開を試み抵抗しようとした痕跡があります。未完であっても支持するならこっちです。

 

異端の本分

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ヘドラ総選挙なんてものをやらかすのは政治家とアイドルだけかと思っていたら、ゴジラ映画までもが乗ってしまう現代。ハリウッドで作らせた新作とのタイアップ企画ということですが、流星人間ゾーンへの客演や、でっかいトカゲのあれも入れれば(総選挙には入ってません)、とうに30を数えるのです。ゴジラってエンターテイメントには違いないとはいえ、本質はそれだけではなかったはずの映画だと感じていたので、この企画は意外でした。いまさら震災における原子力災害を引き合いに出すほど無粋なつもりはありませんが、あれはそういうものへの怖さを描いていたし、怪獣映画そのものが災害のメタファーを抱え込んだ作りでもあります。

よく仕掛けちゃったよなーと、内心思ったのが正直なところです。それで、今のところ順位は伏せられたまま10作品に絞られています。第1作目は当然のことながら、けっこう気に入った展開だったvsビオランテや、ちょっとだけ登場とはいえ(最初に)エスクードが出てくるvsメカゴジラがランクインしている中で、初期シリーズの中からゴジラ対ヘドラが抜け落ちてしまっていたのは残念でした。

核の脅威を人類に対して警鐘する意味合いを持つゴジラが、シリーズを追うごとにその部分を風化させてしまった凋落期に、公害の恐怖を突き付けてきたヘドラは、公開当時の世相を申し分なく抉り出していたと思います。人間の手に負えないものを人間にはどうすることのできないものと戦わせて滅するという構図はいささか身勝手な話ですが、核も公害も怖いものなのよという作り手の言い分は、あれを観た子供心にグロテスクでサイケな映像とともに焼き付けられています。

まあ核の申し子のゴジラの方はどうだったかというと、空飛んじゃったりいろいろとほほなんですが、うかつに組み付くとゴジラでさえその体躯を腐食させられてしまうというヘドラは、なかなかに冷や汗をかかされる存在でした。そしてあの頃、ニュースでも記事でも、毎日のように取りざたされていた公害というキーワードは、戦後の人間である僕にはきわめて身近な脅威に映っていたのです。

そんなわけでゴジラ対ヘドラに投票するのですが、その結果はともかく、これから作られるゴジラ映画がどこを向いて何を包み込んだエンターテイメントになっていくのかは、作り手には熟考していただきたいと願うばかりです。

 

今年の畑。

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去年はココで終わった・・・

去年はココで終わった・・・

植えつけて2週間くらい経つのかな?
買った時についてた花が落ちずに実りました。

今現在ピンポン玉よりちょっと大きいくらい。
さて、今年は無事に育つかなぁ?

来夏になると彼女たちは・・・

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海街映画化映画化だと。

吉田秋生さん原作の映像化というのはこれが初めてではないから驚くほどのことじゃありませんが、変なキャスティングとやっつけシナリオにならないことを祈るばかり。能天気なだけのラブコメオンリーな漫画でない分、料理の仕方を上手にやってほしいところです。この街、狭すぎだろうというくらい登場人物に縦横上下左右の関わり合いがあるから、誰かを疎かにしてしまったら、もうそれで失敗です。ドラマ上、役者が演じるということは血と肉が通ってくるものでもあり、そうすることで重くなりそうな経糸をどのように紡ぐかも大変でしょう。

だけどこれでしばらく鎌倉に行きにくくなるんだよなー・・・