Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

残暑見舞いっぽくない陽気ですよねえ

2 Comments »

深夜から明け方にかけては、毛布が必要なほどです。40℃に迫るあほのような暑さはどうしちゃったんだ? といった肩透かしの残暑隠れで、それどころか各地で豪雨と土砂災害が起きていますが、つくばーど®の残暑見舞い企画を昨日アップロードしました。

霙の作で、つくばーど基地前庭が池と化しているのが見られます。まあ実際には床下浸水ほどにもなっていませんけど。

さらば湾岸の熱く暑い日々 和邇さんの手記063

さらば湾岸の熱く暑い日々 和邇さんの手記063 はコメントを受け付けていません

術後の経過が順調で、予定より1週間早く退院することができました。いろいろ ご心配いただき申し訳ありません。

東京オリンピックの閉幕とともに、湾岸でヨガの眠りについていた和邇さんから、一万年の眠りから覚めた(だから番組がレインボーマンからサンダーマスクに変わってしまってるってば)連絡が届きました。

ダイバ・ダッタの秘術を念じるかのような「印を組む」ふりをした「自撮り」は、実は入院時のものですが、闘病とはこれほど過酷なものなのかと心配続きでした。これよりしばし、通院と自宅療養をしながら、再びサイドキックの運転にも慣れるようトレーニングとのこと。見舞いに訪ねていけるような情勢ではないので、せめてブログの上では「怪活ぶり」←話半分ですからね を伝えていければと思っております。

お大事に、ご帰宅おめでとうございます。

フィガロの昨今 第三楽章

4 Comments »

日産フィガロは、初代マーチをベースとして作られた日産パイクカーの集大成、という話はいまさら書き出してどうする?なほど有名なものです。

が、あらためて、その初代マーチを見比べると、こんなに違うものだった。という点が驚きです。企画力とデザインのセンスと、多少は機能性(室内空間など)をスポイルしようとも、面白楽しい方向への割り切りを感じます。

これもおそらく広く知られていることと思いますが、フィガロのネーミングは、歌劇「フィガロの結婚」が基になっているようで、1786年にモーツァルトが作曲、初演したものはどなたでも序曲の旋律くらいはわかるあれです。が、この歌劇の原作は、劇作家ボーマルシェによる戯曲で、1778年に書かれたものです。貴族階級を批判する諷刺的な内容で、要は助平な領主の伯爵と理髪師のフィガロが、フィガロの婚約者をめぐってやり合いする(おいおい、丸めすぎだろ)

ボーマルシェの作品にモーツァルトがデザインを加える。という視点で見ると、日産フィガロにおいては初代マーチの基本デザインを手がけたジウジアロー氏がボーマルシェ、これをパイクカーに仕立てた古場田良郎さんがモーツァルトのポジションと考えても良いでしょう。いやもうそのあたりは、初代マーチの設計統括を担当した伊藤修令さんもいますので、ジウジアローから古場田さんという物言いは、無理やりなこじつけですが。

そういった背景とパイクカーの時代を振り返ると、やはりバブル景気に後押しされていたのだと感じます。これ1台のために・・・というよりこれ1台で日産をアピールするために映画まで作ってしまう熱量ですから、フィガロ自体のカタログも、自動車を売るための情報は最小限で、諸元と車体色くらいは基本にあるとしても、その他はほぼ「フィガロのある風景」だけを演出したグラフ誌です。

さもしい話ですが、いま、このカタログの取引価格ってなかなか凄い値段です。買えない額ではないけれど、まあ・・・買わねーな。と思っていたら

「あ、それなら持ってますよ」

という霙のひとことで、こいつ、本気だと知らされるのでした。

・・・いつの間にどこから手に入れたんだ?

® ←環境依存文字なので読めない人がいるかも

® ←環境依存文字なので読めない人がいるかも はコメントを受け付けていません

「つくばーど」という名詞をいつごろから僕が使っていたのか掘り起こしてみると、平成8年に発行したクラブ会報が発見されました。

僕の妹の吹雪の友人が結婚することとなり、その披露宴用に新郎新婦のあることないこと(おい)書き出して、宴席で配布したものです。会報、これ以外に残っていなくて、何号作ったか覚えていません。

そんなわけでですね、いろいろ熟慮の末「つくばーど」には®(すいません、環境依存文字です)が付くこととなりました。

いやそんなもの誰も使わねーよ、と言われればそれまでですが、異議申し立ても無かったので、向こう10年、この表記は僕以外が使うことは認められませんのであしからず。

うわなにをするくぁwせdrftgyふじこlp

4 Comments »

先日、狼駄さんが天狗の森に来ていたらしく、しかしこちらは仕事で浪江町まで出ていてすれ違ってしまったのですが、いわきまで戻ってきたところへ着信。

「北茨城の方まで出かけて、帰る途中寄らせてもらおうかなと。ああ、いま天狗の森です」

おいおいっ、なぜそれを「出かけるときに」連絡してくれねンだっ

セルボの足回りにKeiだったかのロングサスペンションキットを組み込んだオフロード仕様にしたそうで、乗り心地はごつごつ感が出たものの、純正の足回りより安定感が増したようです。

これ、ここまでやったら下回りのガード類やフロントのランプステーと大型補助灯も付けたくな・・・いやなんでもな・・・

つくばーどinらいとにんぐ つくばーど基地15

2 Comments »

草刈りです。

久々に遭うと労働なアウトドア活動ですが、よりによって新車で走り出したばかりの四代目エスクードに草刈り道具を満載して手伝いに来てくれた新月さんと風花さんに、頭も上がりませんし言葉も無くなってます。

 

しかも、こんな展開だったら、書きかけていたスーパースージーの原稿を放棄して、のまちゃんから四代目へのスイッチを書かねばならないじゃないですか。だから草刈りやって風呂入って昼飯食ったら撮影のために裏山に駆り出すという暴挙も加わってます。

そのくせ、飯のあと寝落ちしてしまい、出かけるのが遅れて林道での撮影は光量不足で使い物にならないという・・・

四代目の命名や性能リポートは(書けるのか?)、追々風花さんが紹介してくれるでしょう。

ここには書けませんが、四代目のナンバーを見たら、のまちゃんで使っていた数字を希望ナンバーとして引き継いでおりました。クロさん曰く「のまがみ様の加護」として、付喪神となったのまちゃんが寄り添っているのだそうです。

フィガロの昨今 第二楽章

2 Comments »

ひとくちに三十年前と言いますが、三十年も経っているんですよ、日産フィガロというクルマは。そりゃね、同じ三十年前のエスクードコンバーチブルを平気な顔で乗り回している奴もいますけど、このコンバーチブルだってエンジンを復調させるまでに二年はかかっています。

案の定、ウエストウインに入庫した個体は、エンジンがかかったりかからなかったりだったそうです。

「基盤が浮いていました。これを直してイグニッションすると、圧縮はきちんと出ているしタービンも健在で、ほっとしましたよ」

島雄司社長にしてみれば、なんてものを引き受けてしまったんだ! という強敵だったようですが、島さんの見立ては確かなもので、塗装の状態ひとつとっても、「この年式でこんなに良いのはなかなか出てこないよ」(専門業者)とのこと。

「床が腐っていたり、メーターが割れているなんていうのは常識らしいです。日産の人間に『よくエンジン直ったねえ』と言われたのにはカチンと来ましたが、まだまだやることは沢山あります」

というわけで、個体を動かすことができるようになったので、幌とシートの張り替えに持ち出せるようになりました。が、今度はその「フィガロの幌修理」が順番待ちで、月末まで待機というから、島さんもなかなか気が休まらないでしょう。

阿耨多羅三藐三菩提 和邇さんの手記062

阿耨多羅三藐三菩提 和邇さんの手記062 はコメントを受け付けていません

そんなわけで明日から麻酔でヨガの眠り状態にされちゃうみたいなんですけど、ひとつ気がかりなのは やっぱり のまちゃんの後継車問題。風花新月ご夫妻が次に撰んだ機体のことで、新帝国はザワついております(笑)

情報解禁いつ頃ですか?

 

和邇さんの治療は、一時はどうなるかとも云われていたのですが、実際に自撮りしてきた姿は和邇さんの面影どの辺? くらいに変っているのですが。

なに言ってやんでー。この期に及んで自分じゃなくてひとんちの新しいクルマのこと気にかけててどーすんだ! と、コロナ禍でなかったら病室に襲撃かけてやったのにと思うほどの元気を絞り出しています。

はっはっは・・・新しいクルマの情報解禁は、あーたがまだヨガの眠りのさなかになりますぜ。ヨガの眠りだったら5時間ですが、和邇さんの場合は手術の後72時間くらいとのことなので、ちょうど覚醒したところで風花さんのブログを最初に読むことができるでしょう。

なにはともあれ和邇さんもここまで頑張りました。あとはダイバ・ダッタの魂を宿すばかりです。修行しているのはインドの山奥でも港区台場でもないんですけど。

 

フィガロの昨今 第一楽章

フィガロの昨今 第一楽章 はコメントを受け付けていません

日産によるパイクカーとして1991年に登場したフィガロは、その素体が初代マーチの後期型を使っていながらまるで別の車に仕立てられ、8000台の予定がなんやかやで20000台のオーダーを実現させたとか。プロモーションの域を超えた映画まで作られちゃったという、当然映画館で上映に至ったという、大掛かりな企画だったようです。

知らないですよ、当時のことは。89年からエスクードに乗っているんですから。

そのフィガロを最初に目にしたのは、実車でも映画でもなく、どういうわけかNHKが放送した「アインシュタインロマン」。かの天才科学者の生い立ちから相対性理論に展開する、ドキュメンタリーでした。フィガロはなんと、この理論の仮説媒体として、光の速度を超えたり時空の歪みを垣間見せたりしていました。

この放送がやはり91年4月から。フィガロの販売開始後わずか2か月のことでした。これは覚えていた。

今、国内でどれくらいの個体が現存するのか聞いたことはありませんが、イギリスじゃ3000台は現役だそうで、それらがまた国外販売されてもいなかったのに、そんなにたくさんの愛好家がいる。うーん、わからんでもないです。いま、あっちでだってこういう車は見当たらない。

イギリス産じゃないけど、巨大ロボット映画にまでエキストラ設置されるのは、定着した人気ならではだろうと感じます。

ところで、うちの霙さんがフィガロとの初遭遇をしたのは、彼女が中学生のときだそうで、ざっと10年前。下校途中の街角で見かけて「へー・・・・っ」と目を奪われたと言っています。彼女曰く「叩いたらブリキの音がしそうな古めかしさがすごくよかった」との印象。

そのときから、あの車に乗りたいと思い始めたようですが、なにしろ家庭環境がね、ばかの代名詞のようにエスクード好きな父親に、それは言えないですよねー。

そのような通りそうもない希望を抱きつつ、高校を卒業して大学生になり、運転免許を取るために入校した教習所の社員の一人が、よりにもよってベージュ色のフィガロで通勤していたらしく、教習所の駐車場にぽつんと置いてある個体に、たぶん彼女は天啓を受けたのだと思われます。

通販でミニカー買ってしまうくらいに、微熱は続いていたのですが、とーちゃんは見てみぬふりをしておりました。

 

 

暑中見舞いの候 絵葉書展掲載しました

2 Comments »

おかげさまで不発にならずに済みました。

暑中見舞い葉書展

あれっ? 企画展の方よりこっちの画の方が富士山でてるなあ・・・