Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

3台めの三代目

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最初にこの宿の写真を拝見したとき、そこに停められていたのはTD01W、ノマドでした。深い雪でもランクルやパジェロならどんどん走れるけれど、埋もれてしまったら1人ではどうにもならないほど大きくて重い。エスクードはどうにか単独でも掘り出すことができて、ジャッキで持ち上げ、スタックから脱出できる。それがノマドのアイデンティティーだったそうです。同じ写真に注目してマミポコさんが宿を訪ねて行った時、ノマドはTD52Wに交換されていました。

二代目への交替は2006年に行われており、二代目エスクードは10年にわたって「民宿 風蓮」のご主人、松尾さんの日常を支えてきたことになります。コンパクトで軽量な車体に、ラダーフレームを持つ頑丈さがあればこそのスイッチだったとか。実は松尾さん、ノマドでも2代目でも土手下滑落経験をお持ちで、たいした破損もせずに帰宅できたというつわもの逸話があります。この二代目が壊れたら、また二代目を探そうかなと、松尾さんは以前マミポコさんに話していましたが・・・

昨日のこと、再びマミポコさんが根室を訪れ風蓮に宿泊したところ、なんとエスクードはTDA4Wに代替わりしておりました。この秋に乗り換えたのだそうです。おお! 松尾さん素晴らしい! この際モノコックとなった車体のことは棚に上げてしまいましょう。三代目にはまだ副変速機というエスクードならではの強さがありますから。マミポコさんからの第一報には「エスクードが良くてねえ」という松尾さんのコメントが寄せられておりました。それもまた嬉しい便りです。

 

年越しからの皮算用

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月は欠け続け疲れも出てきたところに暦並みの連休を得られて、持ち主は(仕事は持ち帰りですが)いくらか休養できていますが、BLUEらすかるは23日早朝に62万キロに至りました。これで年内、あとどのくらい走るかですが、1000キロ行くか行かないかの皮算用というところでしょう。記録を見たら、2007年の同じ日、20万キロを刻んでいました。最初のエンジントラブルから復調したころです。

それから1年もたなかったのが、この61Wを買ったときに載っていたエンジンです。22万4000キロで一基目のエンジンは降ろされました。二基目は今年の夏まで、35万4500キロを走りましたが、プラグ破裂でシリンダーも破損。それを修理することは可能だったのですが、時間が無かったために載せ替えを決断したわけです。現在のエンジンはちょうど、車を買ったときのエンジンの走行距離に届いたくらいです。

ここからの走りが総決算になるでしょう。そうそう都合よくエンジンが転がり出てくるわけではないし。現状のコンディションでどこまで行けるか。あちこち壊れたところはその都度新品に入れ替えていますが、車体も大分くたびれてきてます。それでもいいのよ、直せるうちは走らせたいのです。

Team WESTWIN Warriors#105

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かつてE376と呼ばれたエスクードがレース活動に終止符を打ち、ドライバー・島雄司選手が現役を引退してから、10年。この翌年に後のエスクードドライバーとなる後藤・川添コンビネーションによる耐久レースが鮮烈なデビュー戦を飾り、島さんは監督へと移行します。現在、監督業と社長業の二足の草鞋を履く島さんがエスクードをトライアルの素材に見出していなければ、その少し前に退役した白狼が復活することもなかった。

なによりTDAを席巻する2台のエスクードが開発されることもなかったと思うと、10年前の節目も感慨ものです。

すっかり失念していましたが、この紅の武士(ちょっと危ない、一字読み違えないように)とうちのぷらすBLUEは入れ替わるように去就と登場を果していました。さすがにぷらすBLUEにはE376のような戦闘力は与えられていませんが、足回りの構造は強化されたE376も同じもの。ことリアサスに関してエスクードの特性を同じように見出してくれたウエストウインには感謝しなくてはならないと思っています。

来年こそは再びコンバーチブル系のミーティングをやりたいねえ。島さん、売り出しているレジントップでこっちに遊びに来てくれないものかと粉をかけてみますが、あれ商品だから無理だよね。

 

 

箱サイズの実現なのか?

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あらためまして17日にリリースされた四代目エスクードのトミカを眺めてみると、そのフォルムはSUVというジャンルが定着したからこその形を成しており、最も近しい三代目の姿と比べても乗用車とのクロスオーバーが進んだことを感じさせられます。

そこでなんとなく思ったのですが、なぜ今までトミカシリーズにはエスクードがラインナップされなかったのかは、この車高にワケがあったのではないかという憶測。

確たることは何もわかりませんから、あくまでも憶測です。

トミカシリーズすべてを確認していませんから断言しませんが、このパッケージに収まる縦横高さの寸法が、特にトールボーイスタイルであった初代では無理だったのかなという憶測です。当時のエスクードのブランドバリューと突き合わせても、エスクード用に箱のサイズを調整してまでラインナップするだけの商品企画には至らなかった・・・

重ねて言いますけど憶測です。今はこうして手元にあるのですから喜ばしい話なのです。そしてギミックとして盛り込まれたバックドアの開閉は、このモデルから採用された跳ね上げ式を再現したという点も、象徴的です。このヒンジの巨大さを見ると、横開きだったら興ざめするもの。

ともかく四代目のユーザーさんにとってはうれしいリリース。cyber‐Kさんから早速写真が送られてきました。実際にはこういう構図ではなかったのですが、実車の方をいじってみました。どういじったのかはわかるように加工のあとは残しております。

この写真が発売日の翌朝送られてきたことを思うと、ほんとにうれしかったんだろうなあ。

 

出世したもんだ

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1217本日、タカラトミーのトミカシリーズに四代目エスクードがラインナップされますが、国内メーカー産ミニカーでスズキエスクードがリリースされるのは実はこれが初めて。一昨年の初代モデルの突然のあちこち製品化(ほぼすべて海外)を別にすると、初代はイタリアのブラーゴ、二代目には商品自体がなく、三代目をドイツのリーツェが扱って以来ですから、快挙でしょう。はてさて「国産名車コレクション」はあっという間に書店から消えましたが、今度はどうなることやら。

あっ、今日ってつくばーどの忘年会だよ。買い出しとか設営とかやってたらおもちゃ屋に行ってる時間ないじゃん(馬鹿)

とか言って「ある」んですけどね

ESPRIT RUNABOUTの源流

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%ef%bc%91%e5%9e%8b初代エスクードのスタイルや雰囲気は、デビュー当時に「プジョー205っぽい」とよく言われました。偶然にも88年頃、スズキはプジョーも一部で代理販売していたから、新車登場したエスクードが「似ている」と語られるのは無理もありません。まあ実際似ていたし、205のバンパービルトイン角型フォグランプユニットは、エスクードが後にオプションとしてラインナップさせたスーパーデザインコレクションのフロントガードビルトインランプと共通部品でした(汎用品だしね)

ctiy-cbしかしエスクードの開発がスタートした84年に遡ると、83年にフランスデビューしたばかりの205をモチーフにする話は少なくとも「その時点では」無かったらしく、全く別のクルマがデザイン検討の対象に上がっていました。

「ホンダシディ。ブリスターフェンダーが同じでしょ? 特にあの年の夏に出たカブリオレが風変わりでね。あれを真似たんですよ」

s-dscf00160人呼んでエスクードの父、二階堂裕さんが言うのだから、この逸話は間違いないでしょう。言われてみればなるほどなのですが、言いきられちゃうとヘナヘナと来るものがあります。しかし、すると、初代の3型あたりまでのプジョー似な顔立ちは、「丸目顔だとジムニー/サムライと変わらないよ」というのが正当な理屈なのでしょう。結果、丸いヘッドライトを採用しなかったことで、ジムニーとの差別化が実現し、どこかプジョーに似てしまったのはご愛嬌な昔話です。

4ドアの小型車四駆

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ssc%e3%81%ab%e3%81%a6SSC出版のオフィスに、4ドアの四輪駆動車を描いたデザイン画がボードに「しれっと」貼りつけてあります。誰がどう見てもそれはジムニーの姿なのですが、もちろん来年早々に出てくるという新型ジムニーのスケッチではなく、巷のニーズに基づくイメージデザインです。しかし新型ジムニーで検索している人には申し訳ないですがこれ以上のお話は何もありません。

二階堂裕さんの説明によると、現在生産されているジムニーの軽自動車版は、世界規模の出荷数で見たら1割程度。海外に出されていく大半はエンジンが小型車枠なのだそうです。だからこそ軽自動車のジムニー@Japanは唯一無二の希少性を有するのですが、ここにディメンションの枠規制もかかわり、4ドア版は実現困難。やってもいいけどハスラーならともかく、ある程度のペイロードを求められるジムニーだったら小型車サイズに車体をストレッチしなくては商品価値が薄いと感じます。

それなら既にSJ410のような先駆例があります。あれだったらそこそこの積載量を得られます。ピックアップタイプだって非現実的ではない。

「いやしかし、そうなったらいよいよエスクードなんかいらなくなっちゃうからそれは困りますねえ」

「エスクードはそれ自体がユーザーニーズの変化で今のモデルになってしまったけれど、メーカーの人たちは今でも、初代からのつながりを強くアピールしてくるんだよ」

「それはどこか詭弁だと思うんです。それを鵜呑みにして無茶な使い方で車を壊すような事例が出てきたら、結果的にダメなSUVの烙印を押されかねない」

「確かに、初代モデルのデザインもそうだけれど、取り回しの容易なコンパクトさと、現実的な積載量は皆さんが乗り続けているように絶妙なものになっているね」

「そこでこの4ドア版ジムニーのデザイン画ですけど、つまるところこれはSJ410というよりも、ノマドっぽいジムニーだと感じるのです。もともとジムニーから乗り換える次の四駆は何? というコンセプトからエスクードがショートボディーで生まれて、ノマドのロングボディーで完成形に至った。だから生存個体の大半がロング版。エスクードだからいいんだよねという声は、今でもあるわけです」

「ニーズの変化というより、市場の流れで四代目エスクードは今の形になってしまったことは否めないねえ。でも初代をデザインするとき、真似たのは良く言われるプジョーではなくて、実はホンダシティのカブリオレだったんだよ」

「ヘッドライトひとつでプジョー似に(笑)。それこそ絶妙。ところでこの流れで、新型ジムニーがショートとロングの双方で出てくるとは思えない。ならばいっそのこと、『五代目エスクード』とは言わないから、現在のジムニーとエスクードの隙間になるところへ、4ドア版の小型車四駆を持って行ってほしいですね」

 

てなことが、先だってのらいとにんぐなミーティングが始まる前に対話されていました。いやもうなんというか、こういうのは蚊帳の外でわいわいやってるだけなんですが、メーカーの人にも立ち会って聞いてほしい対話ではあったのです。

コートでキャンプ

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%e6%a1%821テニスコートとかサッカーコートとかじゃなくて、通勤用のコートです。しかもことし初めて袖を通したのだけれど、仕事に出かけた後の帰り際に合流したキャンプ場で。例によって背広にネクタイでキャンプ参加です。その日の朝や日中には、仙台でも福島でもコートは必要ありませんでしたが、那珂川沿いのあのキャンプ場にたどり着いたのは日が暮れてからで、外気温度が5℃まで下がっていました。河川敷なので風も冷たいのです。ある御夫人には「こんな時期に河原泊まりなんて馬鹿じゃないの?」と言われてしまってます。

%e6%a1%825コムロさんの三代目エスクードと、あおいろさんが新たに手に入れたディスカバリーⅡに挟まれると、初代エスクードがどれだけ小型車枠かがわかります(BLUEらすかるは排気量の関係で小型車じゃありませんが)。そうかー、あおいろさん、リアサスにリジッドという路線を貫いたのねー。しかしこれに乗ってしまったら、もうエスクード要らないだろうと思えば、

「沖縄に持っていったあれはあれで、高級車仕様に仕上げてるもん」

%e6%a1%823最近、三代目エスクードから別の四駆に乗り換えた人たちに、その人たちの乗り換え方について「答え合わせ」を求められるのだそうです。そこはそれぞれの答えがあるだろうと。スタートラインが初代か三代目かで、オフロードコースで何が物足りなかったかの感じ方も違うわけです。初代を3台乗り継いでいるあおいろさんは、現在のTD61Wは壊したくないけれど、オフロードを走りに行く趣向は残したいのでローバーを身代わりにした、と(それはそれでかなりユニークな判断)

%e6%a1%824次の車を何にしようかな。という思いを逡巡させる時間は楽しいものです。乗り換えの理屈を求める必要は、他者に対してアピールを迫られるものでもないし、あなたそれに決めたのならそれでいいじゃないのよ。と考えます。が、そういう人たちばかりではないのも事実。乗り換えたくねーんだよと抗う人もまた存在するのです。そんな対話なんかわかるはずもない河原の巡回猫は、やたらとコムロさんの膝の上に乗り続けたがっておりました。

Team WESTWIN Warriors#104

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%e5%be%8c%e8%97%a4%e3%83%bb%e5%b7%9d%e6%b7%bb27日の日曜日、TDA本年度の最終戦が開催されました。主催者でもあるウエストウインの島雄司さんから、ルール変更の説明を受けましたが、けっこう複雑でここに書き出せなかった。要は

「速いだけが全てではなく、対戦カードの引き当て方と年間のポイントの獲得によって、誰が勝つかわからないよという要素を盛り込んだのです」

ひとつの要素をあげると、あえて敗者復活戦に回るために初戦のカードで負けに出て、そこから周囲を撃破するためにどこを突き崩すかというかけ引き。こつこつと参戦して上位のポイントを蓄積していく堅実派。そういった見えないハードルを仕掛け、後藤・川添両選手も思わぬ伏兵に立ちはだかられるという奥行きがもたらされました。

驚いたことに、このポイント争いで、川添選手は無敗でありながら1戦欠席したために後藤選手にはポイントで負けたままの最終戦。これを覆すために、後藤選手が引き当てる初戦のカードを予測する必要がありました。後藤選手もまた、裏の裏をかかなくてはならない頭脳戦が、もう何日も前から繰り広げられていたのです。

そして最終戦はコースが川と化すような土砂降りコンディション。変化するコース状況を、実は後藤選手はこれまでのレースでもチェックしていないのです。つまり彼の場合、全タクティクスをぶっつけ本番で走ってきたようなものでした。いや、ふつう他者の走ったあとは轍から何から変わっちゃうだろう? しかし後藤選手は夏の間も、日陰に車を非難させていたのでコースチェックをしてきませんでした。対する川添選手は、もうお判りでしょうけれど逆。ここに勝機を見出す作戦がありました。

しかし後藤51Wにオルタネータ故障が発生していることに重ねて、なんと川添52Wにクラッチが切れなくなるというトラブルが発生。両者手負いでそれぞれ応急修理のまま当日を迎えています。

こうなると勝敗はこのマッドコンディションにMTを使うかATで臨むかにかかっていきます。前者がドリフトの後藤、後者がグリップの川添でしたが、さすがにオールテレーンにはハンデが大きすぎました。後藤選手は例によって振り回しすぎのミスもいくつか起こしながらも川添選手にプレッシャーをかけつづけ、川添選手はついに土手乗り上げで後退、不敗神話がここで止まりました。

ww1127「ただ、コンセントレーションが途切れる直前までの川添くんの追い込みもやはり神業でしたよ。ドライコンディションだったら後藤くんには勝ち目はなかったかもしれない」

島監督はこう分析しました。後藤選手はスーパーゼッケン1を獲得。ここしばらく続いたフラストレーションを払しょくしてシーズン終了となりました。川添選手にとってこの雪辱戦は来期の開幕戦。来春の第一戦はいやが上にも白熱します。

 

ノウハウ活かせても時代に沿うのか

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book技術やノウハウは何年経っても役に立たないということはない。だから今、オフローディングハウツームックが出てきても邪魔にはならないでしょう。

ただ、今回僕のところに送られてきたこのハンドブックは、時代の趨勢に沿ったものと言えるかどうか悩むところです。ここに書かれているノウハウは、オフロードコースにおいて駆使する分には何も問題ないけれど、そのまま野外に持ち出してということなら、「これをやってはいけない」ページを割くべきです。

かつて4×4マガジン誌などは、四駆がフィールドを走ることについての社会的責任について、丹念に警鐘を鳴らし助言を怠らなかった。だからといって、四駆は危険な乗り物だ、などという物言いは僕自身「自動車全般そうだろう」と否定しますが、フィールドから締め出しを食らうようなことはしてはならないという4×4マガジンのスタンスには共感があります。

この手のハンドブックは、今だったらそこにポイントを置かなくてはならない。もちろん日本ジムニークラブや有志は相模川などのゴミ拾いボランティア活動も展開し、四駆が走れる場所の社会的責任に基づく環境維持を行っていますが、ならばこそなぜ、そういった助言をノウハウの中に盛り込まなかったのかが残念です。