かつてE376と呼ばれたエスクードがレース活動に終止符を打ち、ドライバー・島雄司選手が現役を引退してから、10年。この翌年に後のエスクードドライバーとなる後藤・川添コンビネーションによる耐久レースが鮮烈なデビュー戦を飾り、島さんは監督へと移行します。現在、監督業と社長業の二足の草鞋を履く島さんがエスクードをトライアルの素材に見出していなければ、その少し前に退役した白狼が復活することもなかった。
なによりTDAを席巻する2台のエスクードが開発されることもなかったと思うと、10年前の節目も感慨ものです。
すっかり失念していましたが、この紅の武士(ちょっと危ない、一字読み違えないように)とうちのぷらすBLUEは入れ替わるように去就と登場を果していました。さすがにぷらすBLUEにはE376のような戦闘力は与えられていませんが、足回りの構造は強化されたE376も同じもの。ことリアサスに関してエスクードの特性を同じように見出してくれたウエストウインには感謝しなくてはならないと思っています。
来年こそは再びコンバーチブル系のミーティングをやりたいねえ。島さん、売り出しているレジントップでこっちに遊びに来てくれないものかと粉をかけてみますが、あれ商品だから無理だよね。
10年ですか・・・感慨深いものです。
この10年の間に九州福岡でTDAなる新しいスタイルのダ-ト競技を立ち上げ
誠司や哲朗は結婚し父となり、そして僕は社長となった。
ここでの沢山の出会いがなければ誠司がJ20を搭載したマシンをパイロット、あとを追うように
哲朗が同じマシンを浜松の友人より分けていただき、後に最強の相棒となる52を手中
現在九州のクロカンダ-ト世界において、お蔭様で彼ら少しは憧れの男達となってきました(笑)
もちろん全日本戦と称されるJXCDに川添が参戦する際にも、ここでの知り合った仲間等の
サポ-トなくしては、あの成績はなかったと思います。
何よりそのフロンティア精神を引き継いだ、川添の最大のライバルは豪快なドリフト、カウンタ-
を武器に新風を起こし51を初めてJXCDの頂点に立たせました。
物語はまだ道の途中、来年はいよいよ海外への進出第1段が4月に迫ってきています
今後もさりげなく、我々をいじって頂ければ幸いです。
この出会いに「つくば-ど」に感謝・・・。
我々にこういった縁をもたらしてくれた狼駄さんの功績が何しろ大きいです。
白狼の退役の時は、なにそれ中核の人間が一番早く降りちゃうのかよ! と彼は言われたものですが、足し算と引き算で掛け算の答えを出していくわけですから。
何もかも僕的にはたまたまの巡り合わせなのですよ。
まさかヤフオクに出した車を福岡の方が落札するとは。関東じゃやってらんねえよって白狼の声が聞こえたようでした。
そして売った相手と友人になれるなんて。感謝の言葉しかありません。
たぶんね、巷の人々には「だからなんなのよ」という話でしかない。
ところが、マイノリティであろうともこのお話にはドラマがあって、しかも続編が独り歩きして生まれている。
そこが楽しくもあり痛快なんです。
だから「白狼伝」も続きが待ち望まれていますよ。