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  ~懲りない傾向~

ゆらめく影がよみがえっちゃうぜ

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「装甲騎兵ボトムズ」HDリマスター版の放送が21日からBS12で始まるそうなんですが、4クール分の再編集にザ・ラストレッドショルダー(ОVA)を加えて、ドラマの時系列で5回にわたる編成。当時、こんなロボット兵器で、あんな(おいおい)キャラクターデザインで、打ち切りも無くそれだけ支持を得たというのは、アニメ媒体の向こう側を子供と解釈せずに作った制作サイドと、視聴する側の年齢層が上がっていたからでしょうか。

よく言われていたのが作画監督「塩山(紀生)キリコ」「谷口(守泰)キリコ」で顔立ちがガラッと変わってしまう(フィアナなんかもそうですが)逸話。どっちが好みかで意見が分かれていました。タカラが最初に繰り出した玩具は、ギミックに関しては申し分なく、脚部のサスペンション機構にダイキャストを用いた重量感があったものの、樹脂部分の質感は塗装しないといかん、いかんのだがなんだか塗料のノリが悪いなど、下地づくりに手間をかけさせられました。

爪ロボ、ザクといった量産機は作画上の合理化手法であり脇役のポジションでしたが、スコープドッグを代表とするATは、それ自体がモブでありながら主役機にもなっていたところが、リアルロボットものジャンルの大きな成果だと思います。ただ、ドラマの方がどこへ行っちゃうのかなあと心配事を抱え込んで観て行って、クエント編がそういう落としどころなのかよと呆れもしたのですが。

さて我が家では5週分の録画枠を獲得すべく紛争勃発中です。

いつの日か再び皆で此処に立とう

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5月16日は、島村ジョーの誕生日だそうです。はて、彼の生年はいつなの? と考えてみたところ、設定年齢が18歳であることくらいしかわからなくて、その年齢と容姿も「改造された時点で停止している」らしく、結局は不明です。推測の手立てが無いこともなく、同じゼロゼロナンバーの4番手、アルベルト・ハインリヒが、東西ドイツ冷戦時代にベルリンの壁を突破しようとして失敗したことが描かれています。アルベルトは過去二作のアニメ昭和編では28歳、平成版で30歳に改正されているのですが、これを材料にすると1930年代半ばの生まれです。

ジョーは平成版でも18歳なので、その年齢差で考えれば1950年代生まれのはずですが、平成版では初期ロットのゼロゼロナンバーサイボーグは生体と機械の融合に対する拒絶反応が現れ、技術革新が確認されるまで凍結保存されたという設定が加わったので、ジョー自身の生年がずーっと後年にずれている可能性があります。

そうか、それでめんどくさいことにならないよう、生年設定はぼやけているのかもしれない。

黄昏の時代のそれよりも未来

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「終末ツーリング」という漫画が茶の間に転がっていたので、これはたぶん霰か霙のものだろうと思いながら読んでみると、僕らが怖がった世界の破滅だとか人類の滅亡というキーワードは、若い人たちにはさほどの抵抗感が無いんだなあと考えさせられたのでした。

この漫画は、そういう世界に向けてゆるゆると止まらない時間を描いた「ヨコハマ買い出し紀行」よりも未来のお話(作者は異なります)

画風も違うのは当たり前として、どこかつながりのあるような風情を感じさせられます。この先どんな方向へ走るのかわかりませんが、意外とあっけらかんとした登場人物と、滅んだ世界のギャップはやはり痛々しい。

一巻めは箱根、横浜、横須賀から東京に舞台を移していき、廃墟となって一階部分が水没した有明のビッグサイトが割と長めに描かれています。あれを設計した建築家の細田雅春さんがこれを読んだら、にやにやするんだろうなあ。

昔はそれでよかったんだけどさ

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21年前、ポルノグラフティは「ヒトリノ夜」のなかで「♪車もしばらく空を飛ぶ予定もなさそうさ」って歌ってましたが、現実的な未来はすぐそこまで迫っていて、「空飛ぶクルマ」とやらの試験飛行が相次ぎ、日本においても再来年には運航のためのロードマップやガイドラインが出来上がり、さらに近い未来にはほんとに車が空を飛んでしまう世の中になっていく、21世紀らしくなってきた21世紀です。僕らはいくらでも「ヒーローのクルマが空を飛ぶ様」を見慣れているんだけれど、

その「空飛ぶクルマ」って表現、なんとかなんねーの?

なんかこう、昔はそれでよかったんですよ。たいていのヒーローのマシンは、自動車そのものに翼や噴射口がせり出して飛んでたので。だけどリアルな現代の技術と工業デザインとの組み合わせで登場しているそれらは、どこをどう切ってもマルチコプターやオートジャイロの延長上のようなカタチが主流のようで、オランダで有名なPAL‐Vなんか、後ろ姿がかっこいいんだけどどう見たって回転翼機に自動車が部分融合したデザインで、回転翼を屋根にたたんだ前方からの姿なんて、全然スマートじゃない。

マルチコプターをドローンと呼び始めちゃって、それが一般化してしまったように、空飛ぶクルマもこのまま一般名詞として定着してしまうのはいやだなあと感じます。厳密に言うと、国土交通省や経済産業省では「電動垂直離着陸型航空機」と呼称しており、クルマでも何でもないのに。そんなことより、自分が子供の頃は当たり前だったはずのこの言葉が、現実味を帯びてくるとこれほどダサいものに聞こえるとは思いもしなかった。スマートな名前って出てこないものかねえ。

兵は神速を尊ぶのよ

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福田雄一脚本・監督の「新解釈・三國志」が、キネマ旬報などでは酷評なんですが、このプログラムは「その悪ふざけをわかったうえで面白がった方が良い」観方をすべきで、うちでは面白おかしく視聴したのです。

が、女学生時代から諸葛亮公明のファンであるうちの奥さん

「こんだけやって赤壁どまりは許せんっ」

と憤るのです。

「だってさー、このノリで晋の天下統一までは連続ドラマでも予算が下りないぞ」

「三國志演義は赤壁のあとからがドラマなのっ」

もう吉川英治を読み直せと言うしかないのですが、女学生の頃と違って近年の彼女は活字を4ページめくったら昏睡するし、横山光輝版は絵柄が嫌いだと受け付けない。結局は公明を最も美しく作ったと評する「川本喜八郎作のNHK人形劇」を探すことになりましたよ。ありましたよ、彼女は財務大臣かねてますからあっさりと予算措置しやがりましたよ。「新解釈」が赤壁までを描くのは尺として妥当です。この人形劇だと全17巻の9巻めが赤壁ですから。しかし何かの間違いで、福田組版新解釈続編なんかができたら、また捧腹絶倒するんだろうなあ。

つぶせこわせ破壊せよ

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ジロー・キカイダーにとっては傍迷惑な存在のハカイダーですが、ハカイダーにしてみれば「キカイダーを破壊せよ」という指令を受けて産み出された以上、一方的にジローを宿敵扱いしなくてはなりませんでした。だけど、宮城県登米市の石ノ森章太郎ふるさと記念館の外壁に展示されている彼ら、戦っているというより野球拳をやっているようにしか見えない。むしろその方がほほえましい。

4月28日、ハカイダーが48年前に没した日。

などと書いていたら、菊池俊輔さんが24日に亡くなられたと。菊池さんは人造人間キカイダーではなくて、仮面ライダーの楽曲の作曲で有名だったり、宇宙からのメッセージ・銀河大戦の主題歌を暴れん坊将軍の主題曲で「だいたい歌える」などの逸話を・・・ という話はともかく、作曲家デビュー60年めの節目でした。ご冥福をお祈りします。

抜け殻

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昨日に続いて茨城県庁ですが、1999年に完成したときから、実は正面玄関前に不思議なものを据え付けておりまして、このアボカドを半身にして輪切りにしたような形は、まさしく・・・

・・・いい加減王蟲から離れろよ

 

王蟲というよりゴジラ1984のお化けフナムシだとか、三葉虫の巨大化だよね。

ただ、なんだってロータリーのど真ん中にこんな造形を置いたのかが謎です。どなたか偉い人の銅像なんかよりはずっといいですけどね。

さよならガボテン島

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「スーパージェッター」「冒険ガボテン島」といったら、直撃世代は僕の叔父ですが、彼が読んでいた漫画雑誌を通して僕もそれらを知り得ていて、テレビアニメーションにもかじりついていた番組でした。なぜかこの2作品は、もうひとつ「風のフジ丸」とともに、チャンネル権を牛耳っていた祖父母も寛容でした。「ガボテン島」は、放送時間がニュース時間帯とかぶっていたので、そうでもなかったけれど、むしろこちらは連載漫画の流れのほうが動画よりなじんでいたと思います。

どちらもSFや冒険譚というジャンルで、「サイボーグ009」とは異なる、もう少しあっけらかんとした作風でしたが、茶の間にいて未知の世界を脳内で疑似体験できた、その後の自分に大いに影響を与えた番組であり漫画のひとつでした。今考えると、ゲームやラノベなどでスタンダード化し今の若い人たちが接している異世界や転生という舞台は、当時で言えばガボテン島の奇譚に近いのでしょう。それらを描いていた久松文雄さんも鬼籍に入られたそうで、寂しい心境です。

TDG25の幕開け

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TDGって、なんだか福岡で開かれているダートトライアルや地球防衛軍の略称と間違えそうですが、これは「ティガ、ダイナ、ガイア」のウルトラ平成三部作のことだそうで、本年が第一弾の「ウルトラマンティガ」放送から25周年ということになり、そのティガの世界観を引き継ぎ「ウルトラマントリガー」を繰り出すと。今度の光の巨人は「火星に眠っていた」らしいのですが、その何らかの情報を技術化して、人類(主人公)がウルトラマンになるという流れのようです。

ということは、ティガの続編にあたる「ウルトラマンダイナ」よりも未来の話(ガイアは前二作よりも過去の設定)で、ネオフロンティアの次の時代を担う世界になるのでしょう。あくまでつくばーど仮設論理学ですが、「ダイナの最終回」がドラマ年代で2020年。しかしその15年後にダイナことアスカ・シンは並行宇宙のとある地球で、行方不明ではなく宇宙を駈ける男(ウルトラマンダイナ)として復帰してくるので、並行宇宙であるとしても一応そこには気を遣って2035年までのどこかの時代が「トリガー」の舞台になるのかもしれません。

 

ただ、「ティガ」の世界観というのも枝葉が伸びており、「ウルトラマンティガ外伝 古代に蘇る巨人」において、ウルトラマンティガことマドカ・ダイゴの子供たちが存在し、この世界では「ダイナ」の時代に在った「スーパーGUTS」の後継組織である「ネオスーパーGUTS」が2027年に編成され、2038年の世界でダイゴの子供たち、ヒカリとツバサ姉弟がここに所属しているのです。その辺を押さえておかないと、TDGを美味しく使いまわす企画が成立しにくくなりそうです。

火星から始まる物語という時点で、既に火星から始まった「ダイナ」の世界観も内包していそうですが、三千万年前の地球圏の戦いが火星圏でも行われていた設定があるらしいけれど、「トリガー」の現出にかかわるツールが人類によって解析・技術化されているところに、「ティガ」「ダイナ」で描かれた人造ウルトラマンの系譜が扱われている。どちらもろくでもない結末に至った人造ウルトラマンでしたから、このツールをまともに使える主人公には、光の巨人の末裔として遺伝情報が与えられていると考えられます。新たなウルトラマンも、ティガと同様の三タイプに変化しますが、ティガが独力でタイプチェンジできたのに対して、トリガーはツールを介して変化するあたり、発掘ウルトラマンとでもいうべきハンディキャップの上に成り立っているようです。

相対する怪獣や侵略者がどのように用意されていくのか、物語の縦筋はまだよくわかりません。その意味ではTDGのいずれにおいても、敵の存在に関する真理は意外と曖昧に片づけられています。そこに切り込んでいくのか、わかりやすい敵キャラのラスボスへと持ち込んでいくのかで、道筋は変わるでしょうけれど、まあそもそもウルトラマンは都度、時代の子供たちにとってのヒーローですので、とーちゃんやじーちゃん世代がとやかく言うのは野暮ってものなんでしょう。いやー、考えてみたら、まだ孫はいないけど、俺なんかもうじーちゃん世代だよ。それを言ったら昭和のウルトラマンになる人々を演じた役者さんたちが、ひーじーちゃん世代でありながらみなさん健在というのはすごいことです。

 

特撮・HERO100年紀

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つい「ヒーロー」を英語表記にしてしまったのですが、もちろん日本の話なので「英雄」とした方がいのかもしれません。そのあたりはなあなあの曖昧でやっていきます。特撮映画の原典ってどこまで遡るのかと調べたら案外簡単で、大正時代の牧野省三監督・尾上松之助主演作品である「豪傑児雷也」がそれでした。殺陣の最中に消えたり現れたりするかと思えば、大蝦蟇に乗ったり自身が蝦蟇に化けてしまう忍者。なるほど特撮でヒーローものなのです。

これが1921年のサイレント映画。実に、ちょうど、100年前の封切りであり、ウルトラが55年とかライダーが50年とか言ってる場合じゃなかった。それにしても、時代劇が定番ジャンルであったとはいえ、殿様ものだとか、もっと過去に飛んで日本神話を素材にするのではなく、忍者ものでいわゆるどろんでろでろなところを特撮とヒーロー枠に持ってきたのは、おそらく当時でも斬新だったのだろうと感じます。

この児雷也も元は「自来也」という義賊ものとして登場するのが江戸時代の1806年。海の向こうじゃナポレオンがぶいぶい言わせていた時代です。これもさらに遡ると、盗賊「我来也」という中国の宋代(960年から1279年・・・時代を絞れません)に実在したらしい人物がルーツと言われています。この人は、それが本名かどうかも定かでないですが、押し入った家の壁に白粉で我来也と書き残していったというのが特徴で、こういうのが日本にわたってきて「〇〇見参っ」といった見得につながっていったのでしょう。

現代では地雷矢だったりジライヤだったり、子孫なのかその本家筋か分家筋か突き止めようのない通り名を持つ忍者がいろいろいますが、辿っていくと特撮ヒーローとしては100年前に大元の歌舞伎役者が活躍していました。尾上松之助さんは、大正時代の少年たちにとって忍術映画のヒーロー的な存在だったといいます。当時、特撮という言葉は使われていなくて、トリック映画と呼ばれていたそうですが、そのベクトルは100年経ってもそんなに変わっていないようです。