座∽コクピット
コクピットや操縦席なんて気取った言い方をする必然は無くて、平たく運転席で良いのですが、TA01Rの運転席をシートより下から見上げると、コンバットアーマー・ダグラムのキャノピーまわりのように・・・見える人には見えるのです(ほんとかよ)
まあ運転席は右にオフセットされているし、そもそもハンドルついてるから、むしろウォーカーマシンなんですけど。
ダグラムの操縦席設定は単座ですから、当たり前な話で見比べたらまったく違います。違うのは承知のうえで、似てるかな、似てるかもしれないよなと妄想できるおバカな遊びは、フロントグラスの立っているジムニーの幌車ではちょっと難しい。いい塩梅に寝ているエスクードのコンバーチブルならではの見映えです。もちろん、こんなおバカな妄想はお勧めしませんし、幌エスクに乗っている人のすべてが同じことを考えたりもしていませんので念のため。
いやもうついていけませんわ
「ウルトラマントリガー」の録画を見ていて、ウルトラマンリブットとかいう、あんた誰ですか?な、知らないウルトラマンが出てきたところで、ウルトラ直撃世代の終焉を感じました。『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』が全話無料配信中だからそれを見ろと友人が教えてくれて、そこに「出ている」彼は、前作の『ニュージェネレーションヒーローズ』にも出ているばかりか、マレーシア産のアニメ作品出身で、『新ウルトラマン列伝』で2013年に既に登場していた。
それはウルトラ失礼しましたと隔絶の世を実感しちゃったのですが、この『ウルトラギャラクシーファイト』自体がもう無双の敵を産み出してしまって何でもありだしほぼ全ウルトラマン総動員、来年配信の次作でも新キャラクターを繰り出してくるというウルトラ破天荒ぶりについていけません。が、予定調和なんだよこういうのって。ウルトラの一族が完全に敗れて暗黒の宇宙がやってくる、なんて結末が描かれるはずがない。それやっちゃったら凄いと思いますが。
そろそろぬくいモノが欲しくなってくる
消えた誕生日
帝国宇宙軍付属沖縄女子宇宙高等学校三年生の才色兼備の優等生、アマノカズミは、2004年11月15日生まれ。本日が申年にしてB型で蠍座の17歳にあたる誕生日なのですが、事の発端である2015年の白鳥座宙域戦闘で遭難・漂流してきた第三世代型宇宙戦艦るくしおんの捕捉確認亜光速ミッションに12秒の乱れが生じ、上官、同僚とともに地球帰還が半年遅れてしまったため、今頃はまだ太陽系のどこかにいるはずです。
この世界では、地球人類は外宇宙に進出する科学文明を有しながらも、それを銀河系レベルでは宇宙のがん細胞発症とみなされ、正体不明の宇宙生物群に襲われています。2021年以降は宇宙が白くなるほどの敵の襲来で、太陽系外延部はえらいことになっているのです。いや本当なら主人公タカヤノリコの誕生日である9月12日に書いておくべき話だったんですが、すっかり忘れてましたよ「トップをねらえ!」。昭和の終わりの作品だものなあ。
マッハロッドはまだ来ない
三冠はならずなんだけれどこの人気
全仮面ライダー大投票。なんて、仮面ライダー1号の旧バージョンしかありえないだろうという考え方が、もはや年寄りの独りよがりでした。
作品、キャラクターともに「仮面ライダー電王」が首位。残念ながら音楽のみ「仮面ライダーエグゼイド」に持っていかれましたが、電王というかモモタロスというか佐藤健の威力はすごいものです。平成ライダーとして最多出場だしなあ。
呆れるほどの感動
サイズから見てコマツの930Eとか980Eに履かせるタイヤでしょうか。その昔、東日本大震災復興現場で、タイヤ履いてる(まあ当たり前だけど)重ダンプを見ていたときは、ダンプ自体の巨大さに圧倒されてしまいましたが、タイヤだけの状態だと、あらためて呆れるほどでかさを感じます。このタイヤだけで、一本あたり5トン近くあるそうですから、運んでいるトラックにかかる積載荷重の方を心配しちゃいます。
これを見て思い浮かべるのは、まあ知識の範囲が馬鹿ですから「轟轟戦隊」のゴーゴーダンプなんですよ。積載用バケットが2連になっていて、これが巨大ロボ・ダイボウケンの脚部として割れて、あとの部分は胴体を担うという、複雑変形メカニックです。が、こいつってば全長30mもあって、980Eなどの2倍。ダイボウケンの右腕になるゴーゴードーザー(13.9m)あたりが980Eよりちょっと小さいくらい。でもドーザーはキャタピラなので除外です。
次に来るのがやっぱり馬鹿知識範疇で、「レスキューフォース」のレスキュードーザー。ダンプトラックのくせして何故ドーザー? というところは、この戦闘形態を見れば納得です。フロントから展開するバケットと、荷台を組み合わせて、こいつは敵をどつくばかりか噛みつきます。でもダンプ形態時の基本全長は意外に控えめな10m程度。コマツの重ダンプって、ドーザーと連結する母体のレスキューセイバー(16m)並みなので、立派な巨大メカニックなのだと再認識します。
モネと萌音の間に
永浦百音こと清原果耶の「おかえりモネ」が終了して、始まった「カムカムエヴリバディ」の主演が上白石萌音というのは、狙っていたんでしょうか。誰か絶対に「モネから萌音へ」って言っているに違いない。
のだけれど、実は第一話には上白石萌音は出てこないばかりか、まさかのカムカムおじさんこと平川唯一を演じるさだまさしで幕開けするとは思いもしませんで、のけぞりましたよ。
ヒロインのことを繰り返すと、「モネから萌音(橘安子)へ」ではなく、「モネと萌音の間に」二人の安子が存在します。1人目は生まれたばかりの赤ん坊で、もう1人は10歳くらいの安子。上白石はさしずめ安子三番手にあたるわけですが、子役安子の網本唯舞葵(あみもといぶき・・・読めねえっ)が、見事なまでにちび上白石な雰囲気を醸し出しています。しかもこの子、7歳くらいのときに「まんぷく」に出ている。初出演の上白石より先輩朝ドラヒロインです。
近頃は子役のキャスティングにもこだわるんですね。安子二番手が5年かそこら過ぎると安子三番手になっていくのは今週から来週の駆け足と思われますが(と思ったら二話目で登場した)、あまり違和感がない。むしろ中盤に出てくる安子の娘や後半の孫は、もう父親似なんだと納得するしかないほど近似性がない。
朝ドラは初ですが、上白石も大河ドラマで三度の出演経験を経て、いよいよ朝のヒロインに抜擢です。まだ出てこないんだけどね。
居なかった地元人と居た余所者
「おかえりモネ」が本日の放送で大団円となります。二転三転の急展開ではなく、割と短い時間軸の中でじれったいほどゆっくりと丁寧に、主人公の人生を描いた良作だと思います。高卒後(一部で中卒時も)から現在までの数年間の変化を、主人公自身が驚くほどいでたちも表情も大人になっている(設定上、霰と同い年)のが印象的です。清原果耶はまだ19歳。「あさが来た」「透明なゆりかご」「なつぞら」といい仕事をしています。
気仙沼の離島を故郷とする主人公は、東日本大震災の日、たまたま高校受験の合皮発表を見に行き仙台で被災したため、島における津波被害や被災者の修羅場に居合わせませんでした。家族や友人たちに対するどことない後ろめたさが、郷土で誰かの役に立ちたいという思いに変っていき、気象予報士の道を選び、お天気お姉さんに抜擢されながらも島に帰ってきます。ゆっくりやってる割にはこのあたりの、予報士としての仕事場面が少なかったとも感じますが、朝ドラヒロイン随一の地味なキャラクターでありながら、存在感があります。
その日、地元にいなくて葛藤の日々を送った彼女・百音に対して、あの頃の僕は、「気仙沼に『大島』があるのかよ」くらい余所者になり立てで被災していました。仙台在住の前任者から引き継がれたのはただ一言「東北人は寡黙で腹の内を明かさない」(失礼なようだけど、本当にそう言われた)。まあ僕なんか行き当たりばったりの男ですから「そんなこと言われたって俺は俺でしかないよ」と返事をしたものの、マジかよとも思いながらの仙台赴任。あいさつ回りを終えたら震災という、百音と真逆の経験でした。
ドラマを見ながら、全く反対の立場を過ごしてきた彼女と自分に唯一、共通するものがあるなあと感じたのは、周囲が与えてくる先入観の種。それにどうやって向き合うのかが、それぞれの軸足として大事でした。同業者は僕のいないところで「しょせん腰掛の外人部隊」だと揶揄していたそうですが、二年で転勤していく国の役人とは違いましたから、居られるだけ居ようとせせら笑って揶揄など無視していたらば、東北のあちこちの人々は「そうか、お前はあのときここ(東北)にいたんだな」と、揶揄自体が逆効果になるような変化をいただくことになりました。
写真は被災一年後の気仙沼。百音の住む島は右端に位置し、今は架橋されていますが、当時は橋の袂の工事現場まで行くのに「冗談じゃねーよ」という時間を要しました。今だったら仙台から二時間で行けちゃうはず。でも、いち早く復興した街の一つだけれど、これから十年、二十年後、地元の後継者が元気で居続けてくれないと、世の中自体が先細る中、街の未来も変わってしまいます。百音と幼馴染の若者たちは、家族や地域の人々の軸足を担うことになります。