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  ~懲りない傾向~

特撮・HERO100年紀

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つい「ヒーロー」を英語表記にしてしまったのですが、もちろん日本の話なので「英雄」とした方がいのかもしれません。そのあたりはなあなあの曖昧でやっていきます。特撮映画の原典ってどこまで遡るのかと調べたら案外簡単で、大正時代の牧野省三監督・尾上松之助主演作品である「豪傑児雷也」がそれでした。殺陣の最中に消えたり現れたりするかと思えば、大蝦蟇に乗ったり自身が蝦蟇に化けてしまう忍者。なるほど特撮でヒーローものなのです。

これが1921年のサイレント映画。実に、ちょうど、100年前の封切りであり、ウルトラが55年とかライダーが50年とか言ってる場合じゃなかった。それにしても、時代劇が定番ジャンルであったとはいえ、殿様ものだとか、もっと過去に飛んで日本神話を素材にするのではなく、忍者ものでいわゆるどろんでろでろなところを特撮とヒーロー枠に持ってきたのは、おそらく当時でも斬新だったのだろうと感じます。

この児雷也も元は「自来也」という義賊ものとして登場するのが江戸時代の1806年。海の向こうじゃナポレオンがぶいぶい言わせていた時代です。これもさらに遡ると、盗賊「我来也」という中国の宋代(960年から1279年・・・時代を絞れません)に実在したらしい人物がルーツと言われています。この人は、それが本名かどうかも定かでないですが、押し入った家の壁に白粉で我来也と書き残していったというのが特徴で、こういうのが日本にわたってきて「〇〇見参っ」といった見得につながっていったのでしょう。

現代では地雷矢だったりジライヤだったり、子孫なのかその本家筋か分家筋か突き止めようのない通り名を持つ忍者がいろいろいますが、辿っていくと特撮ヒーローとしては100年前に大元の歌舞伎役者が活躍していました。尾上松之助さんは、大正時代の少年たちにとって忍術映画のヒーロー的な存在だったといいます。当時、特撮という言葉は使われていなくて、トリック映画と呼ばれていたそうですが、そのベクトルは100年経ってもそんなに変わっていないようです。

ドラマ版だよね?(放送始まったの)

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箱崎ジャンクションにて。

アニメ版のシーズン2は先日放送が終わって、ドラマ版がオンエアを始めたところですよ。

なんてことはまあこの際言いっこなしか。

怒りを込めてぶち当たれ

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まさかこうなるとは?

「シン・仮面ライダー」の製作発表がなんとなく大きな話題になっている中で、この企画自体を知らされていなかった(とは思えないんだけれど)という島本和彦さんの、「仮面ライダー50周年お祝いイラスト」(のツイート)がなんとなくささやかに同情されているようです。曰く、「まるでアオイホノオな展開」。ということで、かつて「シン・ゴジラ」が封切られたときに、島本さんが叫んだ「やめろぉ庵野!!」の再現になってしまったと。しかも、ゴジラはともかく今回は仮面ライダーですから、そこに原作者とのパイプを築いていた島本さんにとっては青天の霹靂なのです(真実はそうでも無いと思うんだけれど)

だけど思い返しちゃいますよ。島本さんは昔、生前の石ノ森章太郎さんから「君に委ねるから描け」と言われて、仮面ライダーの原点とも言える「スカルマン」を漫画化して、ここに石ノ森キャラクターを総動員させていました。当然、仮面ライダーをモチーフとする人/バッタ融合型改造人間も繰り出しており、スカルマンとの激闘が描かれているのですが、今これを見ていると、「庵野ライダーに蹴りつけられている島本スカルマン」にしか見えない。

こうなったらコミカライズの権利をなんとしても獲得してもらって、コミケでは無く書店で発売できる単行本を描いていただきたいところです。

・・・それか? 映画の公開がコロナ禍で遅れて2023年3月っていう半端な段取りなのは、実はコミカライズの契約も動いていて、執筆時間を割いての予定調和???(それはそれで監督の手のひらの上で踊らされちゃうという)

 

謎の地球防衛軍 の真実

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御殿場からの富士遠望

4K版の「ウルトラセブン」が放送開始されており、しばらくぶりに第1話を観ていて、なんでこんなことを見落とし(正しくは聞き落とし)していたのかと愕然としました。

実は第1話において地球防衛軍とウルトラ警備隊を紹介する最初のシーンですが

静岡県とも富士山麓とも、ひとことも言っていない!

これが芦ノ湖かは別問題

第2話以降をまだ確認していませんが、我々は完璧に児童誌やその他ムックなどの文献で、極東基地の所在をインプリントされていたのかもしれません。そうだとすると、多少の無茶ぶりをかましながらも二子山サイロから芦ノ湖側へ向けてウルトラホークを射出する風景の方に真実味が出てきて、極東基地の中枢部は神奈川県にあるという仮説が再浮上します。

何と言っても、出撃するホーク1号の遥か彼方に富士山が見えているわけですから、その距離感から見ても二子山サイロの位置関係は箱根っぽいのです。ただし、思いっきり湖畔の至近距離にサイロがあるという風景により、国道1号線付近にある二子山と、このサイロが同じ山とも思えません。

実際の元箱根

同時にホーク眼下の湖が芦ノ湖であるとも断言できないほど、市街地が見当たりません。富士山についても、元箱根からの風景だと、ホーク1号の図のようにフレーム内には収まらないという困ったことがわかります。山容もけっこう異なり、地球防衛軍はかなりの規模で静岡乃至神奈川のどこかの山を削り、人造湖まで作って基地を建設しているとしか言えなくなります。

かくして極東基地問題は面白楽しくも振り出しに戻るのですが、誰なんだよ「静岡県の富士山麓に」なんて断言するような表記で、当時最初の解説入れた奴はっ

 

熱血だった時代

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千葉でなくて水戸だしね

三期12年にわたって千葉県政を舵取りしてきた森田健作さんが、本日付で退任となります。知事就任の折、仕事柄インタビューを申し込んだら千葉県はお高く留まって「5分で」とかぬかしやがって、「それだけの対話で公の場に原稿が活字になって表れて、知事の品位を逆に下げてもいいならそれでやりますが」と応酬したのが一昔前のことです。前知事の堂本さんだって30分は割いたというのに、結局15分で軟着陸して5分オーバーさせてやりました。

あーいや、県政とその後の話はどうでもいいんだ。なんで森田さんなのに水戸市の挿絵を出しているかというと、これが50年前にさかのぼるのです。

放送は71年の秋になりますが、当時森田さんが主演していた「俺は男だ!」で、剣道の全国大会が水戸で開かれ、青葉高校剣道部の面々が神奈川県から遠征してくるのです。ところがいろいろあって、試合当日、森田さん演じる小林弘二は肩を脱臼していて、結果的に負けるという展開。竹刀一本で同好会を打ち立て、共学化していたけれどウーマンリブ風潮で女子優位だった学校に新風を巻き起こしながらの、挫折の瞬間が水戸の街に待ち受けていたのです。

これは尾上茂さんの所有車

ここでなんだってLJ10が挿絵に出てくるかというと、弘二の肩を脱臼させた級友にして強敵の、西条を演じた志垣太郎さんが、これと同型のジムニーに乗って、仙波湖の辺りを走るシーンが出てきて、おそらく僕が初めて見るジムニーの姿がこれだったと思われます。えっ、高校生でクルマ乗ってるの? しかもデビューして1年程度のジムニー!というところは、西条くん不良で1年留年経験の転校生という役(なんと銀座でスナック経緯している)。水戸市から大洗町だったか那珂湊市(現ひたちなか市)だったかにある(設定)実母の営む喫茶店に赴いた帰路、ジムニーが故障して弘二が迎えに来てその場で行きがかり上決着をつける決闘になり、蹴りを入れられ肩を痛めてしまうのでした。

「俺は男だ!」は、80年代に映画化され森田さん主演での「完結編」を描き、船乗りになっていた弘二が青葉高校に呼び戻され、荒れた校内を鍛え直してほしいと依頼される。教員免許関係がどうなっていたか忘れましたが、あの学校は私立だったはずだから、講師扱いか。弘二は持ち前の熱血で挑みますがしらけられて相手にされないながらも、一部の学生には興味を持たれて、彼等に接するために自動2輪の免許を取りに行きます。

居るのは霙です

この教習所が、後に霰や霙の通った笠間市内の学校です。しかし突っ込みどころがあって、まったく適性が無く原付の免許しか取れなかったオチがあるんだけれど(ちなみに教官は笑福亭鶴瓶さん)、高校時代の水戸遠征の折、学校に内緒で水戸市内の宿泊先から大洗(那珂湊?)決闘の場所まではオートバイで来てたじゃねーかと。

そういえば西条編と水戸遠征は、津雲むつみさんの原作には無い脚本でした。熱血の時代と、地元がほんのわずかに出会う回。ついでにジムニーを初見していた半世紀前のお話です。

 

世界の平和を守るため

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「仮面ライダー」の第1話を、実は僕はリアルタイムで見ていません。なぜかというと当時、茶の間のテレビのチャンネル権は大人にあり、その中でも金曜日に放送されていた、しかも「仮面ライダー」放送開始の前日から始まった「帰ってきたウルトラマン」の権利を獲得できたため、土曜日の枠は得られなかったからでした。そんなわけで祖父母とともに、太平洋戦争を描いたアニメーションの「決断」を見せられたのです。「帰ってきた~」の前にあった権利は「謎の円盤UFО」でした。

しかし祖父母は様々な手段を駆使して、やれ風呂に入れとか布団を敷いてこいとか僕の背中をたたき、「8時だよ全員集合!」にチャンネルを変えるという暴挙に出るのですが、それに抗えない子供の悲哀。要するに翌年、「ウルトラマン見ていいんだから仮面何とかはだめ」と宣告されてしまったのでした。

偶然にも、その祖父母が旅行で不在の時、テレビを占有できて初めて見たらば、画面では一文字隼人が「お見せしよう、仮面ライダー!」などとしゃべっているではありませんか。ですから本郷猛を見たことのないまま、「仮面ライダー」と邂逅するというかなり間抜けな展開であるばかりか、それを補完するために読んでしまったのが漫画版の「13人の仮面ライダー」ですよ。本郷猛、ショッカーライダーに射殺されちゃってるじゃありませんか!

自分の中では大混乱です。見かねたお袋が自分の洋・和裁作業部屋にモノクロのテレビを設置してくれて、一文字編をなんとか見始めました。それはそれで、茶の間に孫がいないと不機嫌になる祖父母のプレッシャーも受けることとなるのですが。

ところがこの年の年末、祖父母はありがたくも温泉に出かけて年越し。つまり72年の元旦に放送された「死斗! 怪人スノーマン対二人のライダー」をカラーテレビで(笑)、リアルタイムで見ることができ、ここで初めてテレビシリーズの本郷猛と巡り合うのです。後に後楽園(まだドームじゃなかった)で、アトラクション会場に置いてあった本物のサイクロンを目にした時の感動ときたらもう、書き出したらパニックでしょう。そんな紆余曲折から、とうとう50年ですよ。

だからってこうくるとは!

仮面ライダーシン(真=真・仮面ライダー 序章)の立場がないじゃん。というより、もはや「シン・」ブランドは歯止めのかけようがないモンスター化の道を這い出しているような雰囲気です。「シン・」つけちゃえば埋もれた遺産をどんどん発掘できるかもしれない。って一瞬、「シン・さよならジュピター」って不謹慎にも思っちゃったよ。

と思っていればこんなことに!

なんだかこう、ここまで乱発が続くと原作者が怒って化けて出てくるんじゃないかって気がしなくもないです。「シン・」ブランドと同様、この路線が使えるのなら「人造人間キカイダー・02」「ロボット刑事・K」「雷神・イナズマン」「見参!変身忍者嵐」なんて論法も可能だよなあ。

 

遠く離れて地球にひとり

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新ウルトラマンが地球に帰ってきた日から、50年が経ってしまいました。

初代ウルトラマンの時には僅差で「マグマ大使」にカラー放送初の巨大ヒーローを持って行かれましたが、新ウルトラマン(しつこいようだけどシン、ではないし、ましてやジャックなどと呼びたくない)は、約三年弱のお待たせで「帰ってきた」、正当なウルトラの星からの後継者なのです。でも第二次怪獣ブームの先鋒は「宇宙猿人ゴリ」に持って行かれました。

科学特捜隊ムラマツ班のサブリーダーというエリートではなく、地球防衛軍の防衛網をすり抜け隊員となってしまう元々宇宙からの戦士と異なり、新ウルトラマンが出会った地球人は平凡な自動車整備士。その青年のウルトラ戦士としての成長譚が軸になり、時には怪獣に敗退するし侵略者の罠にも陥る。夕日が似合うと言われながらも「なんだか弱い」と揶揄され、所属する怪獣攻撃隊も何かというと解散させるぞの恫喝を受けた部分がクローズアップされましたが、批評によると第一クールの大人っぽいシリーズ構成が「子供受けしなかった」ということらしい。

当時の記憶を絞り出して考えると、そうだったかなあ? と反論したい気分になります。むしろハヤタやダンは、怪獣や侵略者がやってくるステージに立たされた存在で、郷秀樹は逆にそういった舞台を与えられた中でどう立ち位置を示していくかを見せてくれていた。「人間ウルトラマン」であることが、ヒーローとしての存在感を際立たせたと思うのです。まあそれらは今の僕の言葉が紡ぐもので、子供時代の僕にとっては、ヘルメットも隊服もМATのマークも、全てがスタイリッシュでかっこよかった。

ビルの内部構造としては一部あり得ない科学特捜隊、大掛かりで見惚れたけれど「サンダーバード」を意識したことは間違いないウルトラ警備隊。もちろんそれぞれ、突込みよりもかっこよいシークエンスは大好きですが、МATの場合も地味になりながらもなかなか凝ったカットを差し込んでいるし、少数精鋭部隊を描くうえで、ウルトラホークのような超兵器からは一歩引いた、割とありそうな装備を空でも海でも表現しました。マットジャイロなんて、ティルトローター機は時代を先取りしていたのです。

国際平和機構の地球防衛庁という組織形態は、自衛隊を凌駕するかもしれない武装を日本国憲法第九条下においても運用できたことで、防衛庁(当時)を脅かす存在として疎まれた部分も多かったとみられます。その軋轢を、自らの上層部からあてつけられる姿は子供心にも納得できなかったけれど、それこそ進退を賭けて超兵器使用を阻止する「現場の意志」というのは、新ウルトラマンと同等に信頼を深める存在でした。

スポンサーの意向で「帰ってきたウルトラマン」でありながら、初代とは別人の新ウルトラマンとなった事情はあるにせよ、レトロフューチャーな前作と異なり、70年代に70年代を舞台にしたドラマを残したことが、今見ると古さを感じさせません。初代やセブンの頃よりはドラマが理解できる少年に成長した分だけ、僕にとっては臨場感を伴う番組でした。あれ? 50周年とか言いながら、ウルトラマンのことほとんど書いてないじゃないか。

 

デザインと中身の葛藤

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「機動警察パトレイバーEZY」は、再び近未来の時代を舞台に企画されていると聞きます。おおむね2030年代あたりがその舞台と言われていますが、越えなければならないハードルの一つに、「20世紀末に開発された98式AV」が、官給品とはいえ当時から運用する特殊車両2課も含めて予算を食いつぶす警視庁の盲腸ともごくつぶしとも揶揄された機体でしたから、どうやって運用コストを下げてきたのかという30年の歴史が無くてはなりません。

もうひとつは、その運用過程でレイバーの基本設計や性能も変わっていくだろうし、2002年(劇場版2)以降REBOOTの2016年まではともかく、その先少なくとも15年くらい、98式の中身自体が大きくアップデートされていなくては、零式やヴァリアントに続く新型機を尻目に稼働する(まあその逆を描くという手もありますが)必要もあるはずです。形は極力そのまま、中身を新設定するという話は織り込み済みのようではあります。

というところでパトレイバーの話ではなくなります。上記のように、30年以上を過ぎても「その姿が優遇され、最新の機構を与えられる」という話は、古いクルマに乗っている人々にとって羨望の的じゃありませんか。スズキの場合、2020年からパーツストックのあり方を大幅に見直し、供給できなくなる方向にシフトしているといいます。聞けばJB32等のアクセルワイヤを調達するのが段々困難になっているとか。それって対岸の火事ではないような・・・

マツダあたりはNAのロードスターやFCのサバンナに、レストアのためのパーツ再供給や整備のマーケットを切り拓きましたが、ジムニーシエラや初代エスクードくらいのネームバリューでは、巷の評価がメーカーに伝わらないのでしょうね。奇しくもパトレイバーEZYの2030年代以降はガソリン車やディーゼル車への風当たりが強まりそうだし。でも、優れたデザインは何千年経っても認められるものではないのかと、主張したいんですよねえ。

スラップスティックな彼岸明け

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よもやのタイミングで、ジムニー乗りだったうちの親父の没に続いて、ジムニープラモのデザインを手がけた大塚康夫さんが亡くなられたことを聞き知り、昭和が平成に代わったときにも手塚治虫さんがうちの祖父に付き合っちゃったよなあと思い出すのでした。実際には先週は回想なんてどころじゃないハチャメチャの我が家でした。

世の中はどんどん前に進んでいるようです。

ふゆびより、はるのとなり

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などと言ってる余裕もなく、天狗の森ではソメイヨシノがどんどん開花していますが、どのみち花見はできそうもない2021年です。

この山の一部は、僕の住む集落の共同所有地で、これまで名目上(地区のお付き合いとして)僕が親父から引き継いでいましたが、正式に相続することになり、登記の書き換えを始めました。

山林とか雑目とか畑・・・はたけ? ←全然記憶にも知識にもない・・・など、何筆かに分割されていて、地番もあるわけで、地番で分けられているということは、共同所有は「エリア」で、うちの所有区分は「ポイント」扱いで立ち入れる場所のようです。

なんと、解釈によってはテント持って行ってゆるくキャンプできる(かもしれない)という。

もっとも、野生動物との戦い以前に、そこに楽々と侵入できるかどうか、地番なんか見てもどのあたりかさっぱりわかりません。

森の桜山の辺りにはその一部があるようです。だからあそこに出かけて、スクーターやらスーパーメカニックの撮影をやっている変なおっさん(僕のことだ)がいたとして、職務質問されたとしても、今後は堂々と「俺んとこの土地だ文句あるか」と言えるようになるみたいです。