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  ~懲りない傾向~

堕落の自覚

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暮れに届いた「百姓貴族第八巻」に、その単行本と共にテレビアニメ版DVDが付属していまして、えっ? そんなのいつどこで放送していたのっ? と狼狽しちゃったわけです。ソフトには放送されたという全12話と、特典として未放送2話が収録されていました。

この漫画をアニメで見ると、人間堕落していくのがよくわかります。漫画ならばきちんとコマごとに目で追うしセリフやト書きの情報を能動的に入力しますから。

動画と音声はそんなことをしなくても全部「見せてくれる」ので、ことこの手の漫画のアニメ版は脳活動を堕落させます。うーむ、「百姓貴族」のアニメ化はならん。モノが面白いだけに脳みそが受動的で馬鹿になってしまうのは甚だ良くない。

と思ってたら、うちに届いたパッケージには付いていないシールが書店ものにはあるらしい! なんてことだ、第2期制作決定だとっ!

足元か竜が上がる

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十二支の干支の中で、竜は唯一、想像上の存在です。辰年は陽の気の脈動によって万物が振動し活力旺盛する、成長し形がととのう年とされています。超自然的とはいえ想像上の存在ごときにそんな効能があるのかよと思うのですが、身近で突然意外なことが起きたり、急に思いついて何かしらを始めることを「足元か竜が上がる」と言い、要は気持ちの持ちようなのかと半分納得するわけです。

竜の視点から見たらきっと「行き当たりばったりで暮らしてやがるくせにどうにかなってるだろうよ」などと言われそうなのがつくばーど®の在りようです。それでもいろいろなものが重くのしかかってきているのが現実。ここで足元に潜む超自然的想像の存在に頼るか、地に足をつけて前を向くかを決めなくてはならないのが人の辛いところです。

ぶつぶつ独り言ちていても2024年は始まってしまいましたから、今までどうにかなってきたならここからもどうにかなるんじゃないの? という能天気さを捨てることも無いのです。と・・・なんともいい加減な一年の計を立てることにしました。自分の力量を願みず強大なものに抗うとか、大それた計画や無謀なことをすることを「竜の髭を蟻が狙う」とも唱えますが、何も自分で自分を蟻呼ばわりしなくたっていいじゃないですか。

そのような気分で、遂に無謀で大それた計画の後半戦に挑んでまいります。

などと能天気なことをやっていた矢先、令和六年能登地震が発災し、極めて広範囲な津波と局所的大地震の被害が時間を追うごとに拡大しています。仙台での被災を思い返すと、それこそ自分には何一つできない無力さしか蘇ってきません。被災された地域の方々が少しでも平穏を取り戻せますようお祈り申し上げます。

Жаңы жылыңыздар менен

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遥か北のツンドラ♪

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55年前の12月28日。『マイティジャック』の打ち切りによって路線転向となった『戦え! マイティジャック』が最終話を迎えていました。この番組は子供向けアレンジを梃入れした30分ものでしたが、『マイティジャック』の方は大人向けスパイアクションとSF巨大空中戦艦を扱う、連続ドラマで1時間枠という本邦初の試みでした。1968年ですからこうした組み合わせの企画は極めて斬新だったのですが、13話で打ち切られました。

大人向けと言いながらも、『マイティジャック』のメンバーが乗り組む万能戦艦MJ号あるいはマイティ号は潜水艦であり艦艇であり航空機という性能を持ち合わせた全長235mもの大型メカニック。艦内で戦闘機や偵察機などを組み立て、航空機で言うインテーク部分から射出するというギミックは、子供ながらに「サンダーバードには無かった」「キャプテンスカーレットのクラウドベースよりかっこいいぞ」と小躍りしたのです。

制作陣と役者側との意思疎通が成立しなかったり、視聴率が振るわなかったりの不運続きなこの番組は、制作した円谷プロの屋台骨を揺るがしてしまうほどの成績でしたが、大人はこれらのメカ戦に馴染まず、子供は延々と続くドラマパートの無国籍ぶりに飽きてしまったのかもしれません。大人向けでも、冨田勲さんの勇ましい楽曲もふくめて、この番組はきっと子供層が味方をしていたはずなのです。特撮ものとはまだそういう時代だったと感じます。

なにしろスパイアクションがもてはやされれば、万能戦艦いらないのです。当時少年サンデーに連載されていた漫画も、第1話分で88ページ費やすうち、МJ号が描かれているのはたったの3コマ! 当然のことで、『マイティジャック』とは多国籍企業体が生み出した諜報工作員11名の呼称で、万能戦艦のことではないのですから。それでも「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」より10年も前に、МJ号は海底ドックから出航し波を蹴立てて飛翔したのです。

珍しいこともあるものだ

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だって家内がですよ、BE‐PALなんか買ってきて読んでるんですよ。言っちゃあ何ですがパキバキのインドア嫁ですよ(子供時代に父親に強制キャンプに連れていかれてテント泊が嫌いになったトラウマがあるらしい)

「付録がねえ、旦さん欲しがると思うよ」

 

なにを今さら雑誌の付録なんか・・・と思ったら、小学館は何をしでかすのかBE‐PAL+Jack Wolfskinのコラボレーション企画としてプライヤーとかミニライトとかワイヤーカッターやらプラスドライバーやら缶切りペーパーナイフにミニノコギリというマルチツールが、あのポウマークとロゴ入りで実現されておりました。

はー・・・これは面白い。けどこれすぐに壊れそうと心配するより、無くしそう。

もうすっかり身内なグリフォン

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そう言えば「スズキエスクード」と「機動警察パトレイバー」は同級生でしたので、パトレイバーも本年35周年(まあそのことは4月に書いてるんですけど)ということで、土浦市役所がにぎやかだなあと思ったら、2階フロアにあのタイプJ9グリフォンの立像が奉られてしまいました。以前、パトレイバー展において展示されたグリフォン立像と同スケールのものを、地元のライオンズクラブが製作発注して寄贈したのだそうです。

いやー・・・またしても思うんですが、多国籍企業の裏側で犯罪組織も抱え込んでしまって(行きがかり上、ね)、その邪な部分が生み出したという出自のグリフォンでも、土浦ではすっかり身内扱いというのが、もう呆れるのをやめて微笑ましくさえ感じてしまいます。「シャフトエンタープライズジャパン・土浦研究所謹製」、なんて罪深い言葉なんだろう。

しかし地元のニュース記事を読むと、馬鹿の一つ覚えで「機動警察パトレイバー=アニメ」と決めつけている。この立像企画関係者が同作のメディアミックス性を知らないし、土浦市自身が「アニメで街おこし」などと言っちゃうのをまた鵜呑みにするマスコミも、所詮は街ネタ扱い程度でしかないということです。

グリフォンはアニメ版よりも漫画版の方で先んじて登場していますから。

ミラクルマンたちの邂逅

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ウルトラセブン放送開始55年を記念したいくつかのプログラムのうち、2023年の世界でモロボシダンと薩摩次郎が出逢うという新作セブンが、サブスクリプションにて配信されています。日本人の男性に擬態したペガッサ星人と、往時のままとしか思えないマゼラン星人マヤも出てくる中で、世界のパラドックスによる破滅の特異点扱い? なアンヌがなんとも邪魔に感じます。でも、今どきの脚本家はこんなのを描けるのかと、ちょっと感心しています。

それにしてもペガッサ星人とマゼラン星人、地球に取り残されて孤独の歳月を過ごしてきた二人とも、55年前のドラマと異なり滅びていなかったことは、ペガッサのダークゾーンによる時空の変化なのでしょうけれど、このドラマにおいては絶妙なキャスティングです。このシーンにて二人がすれ違っていますが、どうやら二人のいる世界もまた別次元のようで、アンヌはマゼラン星人のいる世界に迷い込んでいます。

マゼラン星人マヤ役の岡井みおんさんは、往時の香野百合子さんに似た雰囲気の女優として起用された人ですが、香野さんとはやはり別人なので衣装の合わせによる雰囲気作りが効いているのだと感じます。それでもあの日、ジュークボックスに仕掛けられていた自滅装置の悲劇をこのような演出で「無かったことにした」のはよかった。宇宙人同士の再会という形で、アンヌとではなく彼女とダンが巡り会うベタな(アンヌこそベタですが)展開を見たかった。

もう無いだろうと僕も思ってましたよ

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「ゴジラvsメカゴジラ」の封切りから30年となりました。いやー、この映画になんで入れ込んでいるかって、劇中にスズキエスクードが登場するからで、過去に「端役ながら大役」「だから鵜呑みにしてはいけないぜ」を書いているほどです。こうなると、30年経ったよということ以外に、エスクードを絡めた「vsメカゴジラ」のことでは書けるものはもう残っていないなあと、僕自身が思っていたわけですよ。

そしたら当時、こんなムックを買っていたことを、不意に記憶の底から呼び覚ましてしまい、しばらく発掘作業をしていました。30年だもの、どこに片づけたかなんて忘れちゃってましたよ。ついでに言えば、ゴジラ映画ごときでムックなんか、普通なら買いません。この本に関しては、主役メカとなったメカゴジラ、ガルーダと同じページに、あの(しつこい)エスクードが掲載されていたからです。いやほんとにそれだけの理由。

テキストの内容はほぼ記憶から消えていました。読み直してみたら、エスクードが登場するシーンは、脚本上では単に「クラシックカー」とだけ書かれていました。車種の吟味もなされていなかったのです。この車がエスクードではない可能性もあった。現地調達を果たした大道具小道具さんたち、とてつもなくよい仕事をしてくれていた(僕にだけのことですけどね)のでした。しかし絵コンテにはすべてのシーンとも描かれていませんでした。

さて多分「vsメカゴジラ」とエスクードの話題は本当にこれが打ち止めになると思いますからもう一冊、「ゴジラ1954‐1999超全集」というのが上記のムックよりもあとに出版されております。上記の出版は東宝本家、ゴジラ生誕40周年と、本多猪四郎さんの追悼をうたっています。こちらは小学館からのリリースでしたが、本多さんに加えて田中友幸さんの追悼も加わり、円谷英二さんも含めたゴジラ生みの親たちに捧ぐとされています。

ここでも、1993年の「vsメカゴジラ」は当たり前に扱われています。そうです、ストーリー紹介のスチル群に、Gフォース本部玄関口近くに駐車されたあのエスクードも、またもや200ページを超える一冊の中のわずか1ページの、たった一コマにて掲載されているのです。残念ながら「vsデストロイア」に出てくる民間人のV6ノマドまでは網羅されていませんが、クルマジャンルと全く異なる書籍で2冊にわたって載っていることが、30年前としては快挙でした。

でもさー、これって結局Gフォースの建物と主演にあたる青木一馬のスチルであって、しかも同じ場面じゃんよー。と、長年、自嘲(なんで俺が俺を笑わねばならんのかわからん話ですけどね)していたのです。ところがそれぞれの掲載スチルをよーく見ると、東宝版と小学館版とではアングルが異なり、映画フィルムから起こしたものだとすればカメラのパンの状況から、小学館版の方が車を降りた直後のようです。そうだったのかと、まさしく愛蔵版の2冊となりました。

この宇宙に愛を

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「超人ロック 憧憬」が出版され、これで本当に聖悠紀さんが描いたロックは、未発表原稿でも出てこない限り最後の一冊となりました。今後しばらくしてどなたかが新章の扉を開けるかもしれません。「憧憬」で既に、アシスタントの佐々倉咲良さんが最終話を描いています。幾多の漫画がそうやって描かれています。でもやっぱりそれは多元別次元の超人なんですよ。むしろ「憧憬」に登場する海賊が語っているセリフ(本書の帯にも記載)こそが、永遠を紡ぐのかもしれません。

この本、別章の「ロックインザボックス」との二本立てなのですが、こっちはスラップスティックなコメディー仕立てながら、多元宇宙のロックが大勢出てきます。人それぞれの中の記憶や記録が永遠を紡ぐ手立てになるかもしれないと思わせる、不思議なカップリングになっています。

銀河のスパーク流星のスピード

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ぼちぼち本年のヒーロー周年ものも店じまい時期です。1993年12月5日は、「ウルトラマンパワード」の第1話がビデオリリースされた日。ハリウッドで初代ウルトラマンをリブートさせたことがエポックでしたが、ウルトラマンの造形についてはアメリカに日和りすぎた感が否めず、誰の演出なのかM78から来た異星人なのに(日系人と融合したからなのか?)決めポーズの一つが合掌という妙なキャラ感で浮いた部分もありました。

特撮技法についてはオープンセットや操演など、意外と古典的な手段を効果的に用いており、脚本(ベースを執筆した伊藤和典さんと山口宏さんの進言と、向こうの作家側のテイストがうまくまとまった)も初代リブート+αな秀作だったと思います。ただこのウルトラマンは戦い方にも演出上の制約を受けてか巨人らしさの表現か、序盤は鈍重。相撲の鉄砲が意識されているようですが、関取だってもっと俊敏。

防衛チームのセットや航空機のデザインはウルトラマンよりも(趣味的にですよ)よく出来ていました。際立ったのは変身に用いるフラッシュプリズムが独鈷杵の形をしていること。いかにも密教なんですが意匠のまとめ方もさることながら、これを握った変身のシークエンス時、初代の縦型ベーターカプセルは発煙筒でも焚くのか?な姿なのです。横型のフラッシュプリズムはごく自然に拳を突き上げることができる。玩具の中にも異星の工業製品的なテイストを産み出した傑作です。