Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

雨上がりの次の日の夜空に

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意外と雨が多く降り、そのあと夏日の巡ってくる4月末でした。

この雨にやられてエンジン・・・というかセルモーターがいかれてしまったわけではないのですが、それも即座に修理できたので、不要不急ではない業務で走っている郊外は田植えの風景です。ところにより昨年の台風被害で農業用水を引いてこられない地域もありますが、今年は「総出で」できないことの方が大変そう。

さほど感度のよくなくなったラジオは、緊急事態宣言の期間延長を示唆し、学校を9月新学期にしようという沢山の都道府県知事の声。

こんなことはいつまでも長くは続かない
いい加減明日のこと考えた方がいい

いやほんとに、そう思いたいです。ただ、考えるべき明日のことに対して、その考えは十人十色だから、熟慮しなくてはならない。それが本当に後悔しない道しるべになるのかどうか、たぶん政治家だってわかっちゃいないのですから。

ところで、「ジンライムのようなお月様」って、半月なのか満月なのか。今夜あたり見上げるお月様は、月齢にして7くらいの上弦の月だと思われます。

てきぱき働いてくれてえらーい!

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税率の特典なのか接触を避けたいのか、ドライブスルーが大混雑していたのでテイクアウトを断念して店内に入ると、案の定閑古鳥が鳴いてました。店員は三名が戦争状態。こりゃーしばらく待ちだなあと思いながら晩飯をオーダーして席に着くと、いくらも待たずに飲み物とサイドオーダーが届き、主軸のハンバーガもこれまたたいした待ちにならずに配膳されました。でも表はまだ駐車場内渋滞で、なんだかざわざわしている。

紙マットやバーガーの包みに「コウペンちゃん」があしらわれていて、お客に対してお疲れ様だとかありがとうだとかのメッセージを投げかけてくるのですが、この夜はむしろ、店員三名の皆さんに対して「えらい!」「はなまるをあげます」と言ってあげたい気分でした。

もっとも、おぢさんは「コウペンちゃん」がなんで何でもかんでもほめるのか、最近ようやく分かった野郎です。

見えるか見えないかは主観

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茨城県にもトトロの木がありましたよ。

トトロ似だと断定しちゃっていいかどうかはアレですが。いかがでしょ?

空飛ぶすーぱー・・・

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設定を聞いたらジェットスクランダーどころかロケットエンジンなんだそうです。しかも背中にグレートブースターらしきものがあるなあと思ったら、これこそがサンダーソニア風ロケットエンジン「ソニアジェット」なんです(ジェットって言っちゃったよ)

むむむっ、意外と洒落てるじゃねーか、しばっこくん。サンダーソニアは好きな花だぜ(笑)

「ワトソン君、用事がある、ちょっと来てくれたまえ」

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こんなのしかなかった

魏が滅亡したり(226年)、グラハム・ベルが電話でトーマス・ワトソン助手を呼び出したり(1867年。本日のタイトル)、東京が大空襲されたり(1945年)、富士山レーダー観測が始まったり(1965年)、天王星で「輪」が発見されたり(1977年)、太陽系で惑星直列しちゃったり(1982年)、 東海道・山陽新幹線の食堂車が廃止になっちっゃたり(2000年)、アメリカのマーズ・リコネッサンス・オービターが火星の軌道に投入されたり(2006年)カーネル・サンダース人形が24年ぶりに再発見されたり(2009年)、 鶴岡八幡宮の「公暁の隠れ銀杏」が倒壊したけれど(2010年)、

3月10日は「水戸の日」なんだそうです。

梅香の頃

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菅原道真が太宰府外帥に左遷されたのは昌泰4年/延喜元年(901年)2月21日のこと。その後わずか2年で急逝してしまうのですが、この短い年月に、道真の配下か信奉者たちは忠義を尽くし、一夜で都から追ってくる「飛梅」のもととなるような梅の木の植栽を施したとみられます。のっけからこんな書き方をしたらロマンも減ったくれもないんですが、この後祟り神と化し都の清涼殿に雷を落としに現れる道真自身より、ずっと想像力をかき立てられます。

東風吹かば にほひをこせよ 梅花 主なしとて 春を忘るな

都を追われる際に道真が詠んだ歌はあまりにも有名ですが、ロマン抜きで考えたら梅の香りを持っていく術がない。いやそれほどに庭の梅を愛でていたならば、密かに株を分けてでも太宰府に持ち出すか、同じ梅を調達しようかと、あれこれ思案したであろうそれこそがロマンです。

ついでに言うなら、道真のこの歌が世に出るのは寛弘2から3年(1005~6年)ごろに編纂された『拾遺和歌集』巻第十六 雑春。さらに

東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ

と、わざわざ文学的にアレンジを施したバージョンが治承4年(1180年)頃の編纂とされる『宝物集』巻第二に収録されます。

清涼殿落雷事件(930年)以降、道真の神格化が行われ、怨霊の権化から解放されてこそ、歌の持つはかない魅力が民衆の心にとどまることになった。こういう流転の影に、誰一人何も手を下していないはずはないでしょう。

こうなると、道真を左遷に追いやった派閥の中核とされる藤原時平の、後世に伝わる悪人ぶりにも判官贔屓的に道真派の何らかが関与しているようにさえ思えます。ここは千年ちょっとの怨讐を乗り越えて、時平の良いところも見出してあげたい気がします。

百年の箱根

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ことしの正月に観ていた箱根駅伝は第96回大会でしたが、戦時中の中断を挟んでのことで、年次について言うと1920年以来ちょうど百年目の大会でした。だけどその第1回大会が2月14日に開かれたというのは知らなかったわ。インターネットの便利な暦をどんどんめくったら、この日は土曜日で、参加各校とも午前中は授業を行い、午後1時にスタートしたと。開催に従事した金栗四三さんの時代は、まだ日本にはバレンタインデーなんてものは上陸していなかったのです。

チョコレートに縁のなかった話はともかく、第1回に出場した4校で最初の栄冠を勝ち取ったのが東京高等師範学校。今の筑波大学であったことは、ことしの大会も予選会を勝ち抜いてきた同大の姿で話題となりました。前身も入れると62回も走っているのは意外でしたが、総合優勝を遂げた際の復路では2位、スタート時首位の明治大学とは8分27秒の差をつけられていて、これをひっくり返した逆転記録は未だに破られていないそうです。

誰と何が悪いのか

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ふざけんじゃねーぞ!

でもこの日の帰路、別のサービスエリアでは大型車ブースに縦列で駐車されている小型車の姿もあるわけで、言った悪態がそのまま返ってくるのは否めません。

なんでこの程度のキャパシティでしかパーキングエリアを作らないのか? というところを悪者にするしかないのも、知恵と思慮が足りないよなあ。

鼠の尾まで錐の鞘

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2020年が始まりました。

車体で言えば齢24年のBLUEらすかることスズキエスクードTD61Wは、その年式の通り子年のラインアウトだったことに今更ながらに気が付きました。このエスクードも、いよいよ地球と月を往復して帰還へのカウントダウンに入っております。768800kmという道のりにはそれほどの年月を必要としました。この先壊れなければ、夏には帰りつけると思われます。

傍から見れば、かなりくだらない挑戦です。しかもこれが役に立つのかといえば、「鼠の尾まで錐の鞘」と言えるだけの価値があるのかどうか。「頑張ったけどケチのすること」には喩えられるかもしれませんが、まず世間の関心事にはならないでしょう。

けれども、平成の始まる年からエスクードに乗り始め、ぶれず流されず初代にだけ乗り続けてきたことは、きっと伊達ではないのです。惜しむらくは昭和の終わりに乗り始めていたら、一本芯の通ったエスクード馬鹿になれたのですが(笑)

 

 

Heri ya Mwaka Mpya

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