まあ連日ヘビーワークとはいえこれくらいじゃ壊れないとは思いますけどね。
さすらい地蔵に魅入られちゃったかねえ。
なんて言ってる場合じゃない。
ぼちぼちブレーキパッドが鳴き始めそうなんだよ
SIDEKICKさんの次元断層を・・・
遠野市内の白幡神社に「さすらい地蔵」と呼ばれる石仏があります。
土地の民話によれば、この地蔵は女性で、しかもさすらうことが趣味だということで、近郷近在の若者が力自慢のために地蔵を持ち出してよそへ持って行ってしまうので、「いなくなる」のだと云われています。何年か前までは、台座に横たわる形で放置されていましたが、今は立状態です。
この地蔵が本当にいなくなって台座だけになっているのを、何度か見かけたことがあります。表の通りの拡幅だったか舗装工事だったかが行われていた昔、確かにこの場所から地蔵はいなくなっていました。
よく見ると、今は「行方不明のままの首」に替わる小石も載せられ、飾りの花まで添えられています。居心地が良くなったのか、力比べをする若者が少なくなったのかは定かではありません。
仙台在住の8年間、いやというほど通い詰めた復興道路の建設現場や被災地の人々との対話が、ずっと昔のことのようです。
気仙沼市内の一部分を残して、常磐道のインターチェンジから遠野まで、磐越道も東北道も使わず、高速道路で行ける時代になりました。作った側はそうなるように作ったんだろうから当たり前なんですが、早朝走って仙台から釜石まで2時間です。僕がいた頃は、2時間では気仙沼にさえたどり着けなかった。
基地からだったら遠野なんて7時間コースでしたが、5時間半となりました。沿岸まわりだと、宮城県の春日パーキングエリア以北にまともな休憩所が無いのがネックですが、主だったインターチェンジ周辺には道の駅があり、これを活用させて「沿線の街を素通りさせない」作戦のようです。
釜石までやってくると、宮古・久慈への分岐もありますが、こちらへ向かうと現在は宮古まで高速がつながりました。久慈へもあと2年以内だとのこと。
もう隔絶の世ってやつです。
「銀河鉄道の夜」が、その第一稿の書かれた年から95年めだそうですが、だからってなんだって、転勤して半年以上経つ自分がこんなところまで来させられるのよ? という昨日の朝のことでした。
しかも往復1000キロを日帰りって冗談も休み休み言う前に、夏休みよこせよ。って文句を言う相手もここにはいないので、自主的に午後は遊びます。
ことしはもうここの特製ラーメンは食えんだろうとあきらめていたので、ありがたくいただきましたよ。陸前高田の会社が作っているマスカットサイダーというのが献立に加わっていたので頼んでみましたが・・・ごく普通のサイダーでした。エアコン不要の涼しい高原は、夏休み期間が終わっても、日曜宿泊のキャンパーがけっこういます。こちらは海側へ山を下り、三陸沿岸道路で宮城県を目指します。
計算を何度もし直しつつ、仙台から東北道に戻って吾妻パーキングエリアあたりで踏むだろうと読んだのですが、国見の峠下りまで来て、・・・うーん、これは吾妻だと1キロちょっと足りんわ。と、やむなく国見インターで高速を降りて、またもやいつものようにメータを見ながら国道も離れ。
結果的に、福島市の林道ツーリングのときに集合場所となっているコンビニエンスストアに滑り込んだところで740000キロとなりました。
前を行くぷらすBLUEが速すぎて、まーったく目立たないところですがどうにか撮れたってやつ。もたもたしていたらいなくなるばかりか山のてっぺんもフレームから切れてたですし。
こう撮るから。って、このときは前走の狼駄さんに告げていませんでしたから、前走車のせいではありません。国道から逸れた瞬間のこの景色は考えてもいなかったのです。
誰でも撮れるかもしれないし、そうでもないかもしれない。そのことよりも、出逢った瞬間の幸運を拾えるか拾えなかったか、かもしれません。まあこの場合はBLUEらすかるを停めている間に落球しちゃった感ありありです。
だけど、こんな風に書かれている事象よりはましだな。
というより、こんなことはずっと以前から示唆され危惧されていたことでした。四駆乗りにはその一面を理解していただけるケースが思い当たるんじゃないでしょうか。あまりのスーパーメジャーな林道は別として(いや厳密には別にしてはならんのですが)、たいていの場合、林道にせよクロカン遊びをする場所にせよ、原則として公にはしないという不文律がありました。どんな場所にも所有者ないし管理者がいて、多くの場合それらの相手に迷惑の及ばない範疇で出かけていたのです。
メディアがそれらの場所を日の基に晒し、あるいはそこで出会った他者が環境破壊だと言い始め、危惧が示唆され、気をつけなくちゃねと意見を交わしあったものの、クルマが代替わりしてユーザー底辺が広がると、この意見が次第に伝わらなくなっていきました。で、こんなこと書いてるともう煙たがられるのは必至です。かく言う僕も昔そういう場にて「四駆は危険な乗り物」と揶揄されたとき「何を今さら四駆と冠をつけるのか。車全般危険だろうに」などと食って掛かったことがありますもん。
だから、このインスタ映え汚染について、「たかが風景に何を今さら」とも思うわけですが、それより手前で「そんな、人様が撮ったものと同じところで同じ構図でファインダー覗いて楽しいけ?」と。でもこれ言っちゃうと、うちの「Sレイド」なんかが破たんしちゃうので、言動は難しいものです(たった今言っちゃったけどね)。その上で言動棚上げすると、極めて身近なその辺に、あなたにしか撮れない瞬間というのが、割とあるものですよってことです。もっとも左図なんて、百ぺん行ってこれ一回しか巡り合えていませんが。
スカイダイバーとかヘルダイバーとかアーモダイバーとかモルダイバーとか、何をくっつけても「ダイバー」って言葉の響きには得も言われぬかっこよさがあります。
で、3000人を越える我が国の潜水士のうち、だいたい5人にひとりが、南部ダイバー。正確に言えば岩手県立種市高校の海洋開発科で専門技術を学んだ「南部もぐり」のエキスパートたちです。南部ダイバーというのは、彼らに伝わる愛唱歌のこと。ただ、非常に特殊性の高い専門技術者分野であるため、高等学校では全国でここにしかない同科を専攻する学生数も減少しているとか。
ドロップアウトというオチが付いていたものの、「あまちゃん」において同科をモデルにした登場人物を設定したり、この学校で実際に潜水授業のロケを組んだりした脚本を書いた宮藤官九郎さんの視点は、今思うとなかなか大事なご当地情勢を盛り込んでいたのです。
はてさて潜水士という職業に魅力がないのか、こう言っては失礼ながら学校が立地する場所というハンデなのか、そのカリキュラム自体ハードルが高いと思われるのか。ご縁があってそのお話を聞かせていただくことになりました。
しまった。水陸両用モビルスーツなんか引用したのはかなり不謹慎だった・・・
ブームも去ったかもしれないし、ヒロイン俳優のその後も紆余曲折だし、よりによって脇を固めていた俳優の不祥事もあって、再放送のめどがまるっきり立たない北三陸の物語。
であるならば、自ら出向いてうに丼の一つも食ってくるさ・・・
って、簡単に言うなよ。どこぞのTD62Wと違って、61Wには次元断層を越える能力無いんだよ(ふつう、無いです)
というわけで、2年ぶりの広野町ではなく洋野町へのひとっ走りです。でも片道、前回プラス300キロ・・・
「まったく。ガンダムのこんな姿は見たくもない」
連休中、つくばーど基地に遊びに来たいわさきさんが渋谷で見つけて買ってきてくれたエメラルドマウンテンは、発売二十五周年を記念して放送四十周年となる機動戦士ガンダムとコラボレーション企画を立てたのだそうですが、世界に2台あるらしいこの自販機は、なんだか企画サイトを見る限りでは渋谷では5日までだったの?
などと言っていいのかどうかは今日以降も渋谷にあるのか何処かへ場所を変えるのかの確認ができないといけないんですが、これほど膨大な数のデザイン缶、連休期間くらいで買いきれないし・・・
というわけで、お土産にいただいたのはデニム曹長と量産型ザクでした。