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  ~懲りない傾向~

町おこしの快挙

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耐火木造部材1山形県の南陽市には、山形、米沢を線でつなぐ仕事が出てこないとなかなか訪ねていく機会がないのですが、2年前に「でっかい木造ホールを建てている」という話題で、物見遊山に出かけていったことがありました。南陽市が作っていた3階建ての文化会館で、ボリュームとしては地方の大きな建物、という程度のもの(すいません、延べ床面積的には感覚が麻痺しているので、大きいとは思わなかった)でしたが、持ち上げられている構造体を見たら、スケール感を改めるダイナミックさでした。

耐火木造部材2仮に火災が起きても1時間は燃えないという耐火構造材は、内部にコンクリートの芯を持っているハイブリッドな木材(集成材)とでも言うのでしょうか。吊り上げられていた部材のユニットはまだ軽い部類で、最大ユニットだと10tを越えるものだそうです。法令上認定もとれているので、この部材で中層階のビルも建てられる。山形県には林業や製材業という地場産業があり、それを継承しものづくりにも活かそうという試みが、この施設の建設だったようです。

その後南陽には行っていないので、この建物がどんなふうに完成したのか形も見ていなかったんですが、内部のホールが「これほどでかい木造のホールはかつて無いよ」ってことで、ギネス認定されました。

へー・・・ 最近のギネス認定話題というと、とんでもなく長い流しそうめんだとか、何十人もでトライする大縄飛びだとか、町おこしの取り組みが多く紹介されていましたが、南陽のこれも町おこしの一環には違いない。しかしどうせやるならのスケールが桁違いです。ただ、最大の木造ホールを「作っただけ」では認定されないらしく、一ヶ月に4回以上の活用が持続されないと記録保持できないのだそうです。

町おこしは、器を使い続けてこそ賑わいにつながるということなのでしょう。

昔は松の内で成人の日

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どんと関東だとたいていの地域が7日までを「松の内」としていますが、昔は15日までがそうでした。15日と言えば、1999年までは成人の日も固定されたこの日でした。祝祭日が増えていくのはありがたかったりそうでもなかったりしますが、年中行事的な風物を覚えていられなくなるなあとも感じます。

昨日の午後の仙台市内は、松の内最後の大イベント・どんと祭。半裸白装束の若者が無言で大崎八幡宮まで参拝の隊列を組み、彼らの鳴らす鐘の音が喧噪をかき消していきます。

裸参り去年、参拝者数3000人と書いているのですが、これは企業団体が繰り出す「裸参り」の概数だそうで、大崎八幡宮を訪れる一般客も含めた総数は、主催者側の発表とはいえ10万人のオーダーだとか。いやー、ちょっとぴんと来ない。5年前の東北六魂祭で、定禅寺通りに溢れかえったのが約7万人弱だったと記憶してますから、あんな感じ(そりゃもうひどい、混雑というより混乱でした)より更にすごいのか? と思ったら「空いてます」と出かけた部下から写真が来ました。やっぱり主催者側の発表か(笑)

そんなこんなで、これを過ごすと東北でも暖かい方の仙台も底冷えの真冬です。来週明けに雪だという話。これもまた、センター試験の前後と試験日あたりが雪天高確率の日なので、風物とともに例年通りの季節になっています。

申堅の頃に

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干支の猿を「申」と表記したのはまったくの当て字だそうですが、もともとは稲妻を象形化したもので、「電」(稲妻なので、光の方を示しているから、音を表す雷じゃないのね)の源字です。
本来の読みは「しん」。
稲妻から端を発し、後には「伸ばす」の原字にもなっていきます。草木が伸びて果実が実り、熟した後堅くなっていく様を「申堅」と、古代中国の人々は言っていたとか。
それが作物の伸びきった時期を示すのであれば、日本人が言う稲妻も、同じく稲の成熟をもたらすものであり、悪くないたとえなのかなと感じています。
BLUEらすかるは本年、いよいよスズキエスクードの最長不倒距離を塗り替えるフェイズに入ります。皮算用をすれば、それは秋頃の予定。まさしく「申堅」の頃です。
届くかもしれないし、届かないかもしれない。とはいえ1年の計を立てるときに後ろ向きなことは考えませんから、まあ秋頃には587000kmというバッケンレコードを通過できるよ、たぶん、きっと。と申しておきましょう。
万が一、秋より前に到達しちゃったらどうすんのよ。と、旧知の仲間達ははっぱをかけてくるかもしれません。
さてその際はどうすっかなと逡巡したところ、干支において9番目の「申年」というのは西暦年を12で割って割りきれる年回りでした。
12で割って割りきれるなら、600000kmというのもそうだよね?
てことで、年頭のご挨拶もだいたい格好がついたようです。

 

だけどさ、伸びきって堅い。そんな喩えは、ほんとはどうよ?とも思っているのです。伸びきって堅くなった足回りなんか、いやですよねえ。

謹賀新年 平成二十八年元旦

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「あけましておめでとうございます」と言えるのはとても久しぶりな気がしております。

ことしは雑煮が食えますし、年賀状も出せます(すいません、これから書きます)

ともあれ本年もよろしくお願い申し上げます。

馴染んでしまった景色

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宮城在住となって5年めが暮れていきます。片道300キロを走って毎週ではないにしろ帰省移動するのもすっかり慣れてしまい、週末関東人の専売特許を奪ってしまったようなものですが、鉄道で東京まで2時間通勤していた生活に戻るかと言われたら、馬鹿らしくって考えたくもないライフスタイルが染みついてしまいました。

 

じゃあこっちに家でも買うか? とも思わないのは、思わないというよりいろんなしがらみを背負っているからでもありますが、あっちのほうが断然素晴らしいからでしょう。この写真のような景色のところに住居のひとつも提供されたら、いくらか考えなくもないですが。

夕暮れの蔵王連峰をパノラマできるこの景色は、ある知人のオフィスからのもの。もっともオフィス自体は彼の所有物ではないので、彼がここを去れば後任者と仲良くならない限り見物できなくなる。だけど「ふざけんなよこのやろー(笑)」と言いたくなる(最初に訪ねて行ったとき、言いましたよ)ロケーションです。

この5年間で、おそらく最も仲良くなった知人ですが、仕事を通して喧嘩から始まった間柄です。当時の部下の企画力の足りなさにも問題はありました。しかし転勤したての僕の目の前で、すでに出来上がって提出されていた部下の企画書を、正論と共にNGかまして放り投げた彼には、「なめんじゃねーぞてめーっ」と切り返すのが筋の通し方で、翌日新しい企画で啖呵を切りに行ったのです。

以来、悪友のような交流が広がっています。

ま、お互いそういうタイプなので、どちらも出世は無いんですけどね。このロケーションには負けたとしか言いようがありません。

「俺がいる間にさー、エスクード仲間を連れてきなさいよ。俺はエスクードに乗っていないけど(職場の車両はパジェロ)、案内できるところは沢山あるから」

年末の訪問のときに言われたとき、ああ、ざんばら頭なので気がつかなかったけれど、彼はそういう年齢に近づいているのかと、あらためて意識せざるを得ませんでした。

もう明日は来年なんですが、その来年の春、彼の残留が確定したなら、誰かを1人でも、ここへ連れてきたいと思わせる場所です。

 

 

4500年の芸術

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女神1山形県舟形町の国道バイパス築造現場から、1992年に出土した西ノ前遺跡縄文土偶は、発見当初は全体が5つのパーツに壊れた状態だったそうですが、これを復元すると全高45cmにもなり、事実上日本では最大のサイズとなっています。

3年前に国宝指定され、実物は山形県立博物館で見ることができるそうです。地元の郷土資料館にあるこれは、レプリカ。それでもこの大きさには圧倒的な迫力を感じされられます。

女神2大きさもさることながら、この造形。顔は描かれておらず、腕に相当する造形もありませんが、上半身と下半身のうねりのバランスと、他に国宝指定されている北海道函館市をはじめ青森県亀ヶ岡や八戸、長野県茅野市の土偶たちには無いシンプルさと、自立し直立させるデザインは、縄文人のとびぬけた芸術的センスを思わせるのです。こんなものが20数年前まで埋もれたままだったことを考えると、国道築造もやってみるものです。さてこれは4500年前の女性を造形したと言われているけれど、等身なんか日本人離れしています。

女神3僕は亀ヶ岡の遮光器土偶の原寸大レプリカを所有しているので、この「縄文の女神」も複製品があるなら購入したかったのですが、地元には無かった。すると資料館の館長さんが

「あなた、そんなの自分で作りなさいよ」

と、ご自身が作ったという原寸大レプリカを見せてくれました。発泡スチロール板を積層させ、削り出したそうです。その手があったか(粘土じゃとても自立させられそうもない)

最近は3Dプリンターで削り出しもやってみたとサンプルを見せてもらうと、全体のバランスは絶妙ながら細部の再現はできず面白みがない。

「やっぱりね、こうかな、こうだなって手作業で作ってこそですよ」

で、どこから来なさった? 仙台からですけど実家は茨城です、などと世間話をしていたら、そんなに遠くから来なすったか! と、手作業製のちっこい女神と、その素体を譲ってくださいました。それが3番目の写真。着色の仕方まで教わってしまいました。

さあどうしよう。45cmものに挑戦しないとだめか?

サイレンと イヴ

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さんた

消防訓練にしか見えなかったんだよ。

海岸ライナー 完結編

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サバその他いきなり完結編かいっ

まあ、昨日の記事で何しに走っていたのかは半分明らかになっちゃってますから。

実は下北半島の大間と三浦半島の三崎というのは、仙台からだとほぼ等距離なのです。しかしこの季節に下北へ向かう根性なんかありませんので、迷わず南下です。

江奈和邇さんとエス爺さんの案内で行ってきたのは、三崎や城ケ島より少し東の江奈湾に面した地魚料理のお店で、その日の朝水揚げされたやつを出してくれるところ。この日はマグロ主体ではなくサバを軸にいろいろと見繕ってくれました。

席に限りがあり、常連さんはあらかじめ席取り表に名前を記入して他所に出かけていき、開店時間に合わせて戻ってくるようです。それくらい魚が旬で、うまい。

まぐろところがすっかり忘れてたんですが、11月に歳暮の発送をしたとき、自分ち宛にも注文した三陸産のマグロの中トロが、BLUEらすかるを回収するために帰宅したら、絶妙のタイミングで配達されておりましたよ。

え? スペアリブはどうなったんだって? 朝一で食ってます。まあ自分への褒美の1日になるはずだったのですが、このあとの顛末がもう・・・

その辺は時系列に出していきますので、明後日まで待って。

海岸ライナー 胎動編

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相模湾・・・あれ?

あれ、じゃねーだろっ

独りボケ突っ込みしたところで、たぶん何のことか誰にもウケてもらえないぞ。きっと・・・

朝練フォーメーション

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ブルーインパルス朝一番で石巻市に赴き仕事の準備をしていたら、矢本の方の空に「狼煙」が上がるのでしばし眺めていると、ブルーインパルスの飛行訓練。何度かデルタロールが繰り返され、その後上向きの空中開花やスタークロスを描いていました。

「前に野蒜で仕事していたときは、朝っぱらから頭の上でうるさいだけでしたよ」

とは、この日会った人との対話で出た言葉。

そういうものかもしれない。つくばーど基地の上空にF4が飛んでくると、あんなもんじゃ済まなかったから、T4の爆音はまだましな方かなと思いつつも、毎日となれば空自基地の周辺は確かにうるさいんでしょうねえ、ととりあえず肯定はしておこう。

まあそれでも抜けきった空に白いスモークを眺められる機会の少ない自分としては、素直に見とれるのです。