Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

狼男だよ(といっても犬神明ではない)

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yesとある夕暮れのサービスエリアの片隅で。

南極で氷づけにされていたと言われる人狼たちが結成したバンドの移動を目撃しました。

そんだけだよ、忙しいんだよこっちは(笑)

風景の中の人物

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dali一般公開の始まったサルバドール・ダリ展に招かれ、磐梯山の裏側まで出かけてきました。そこに近代美術館があるのは知っていましたが、世界に三か所しかないダリ専門の収蔵・展示のひとつだとは思わなかったので、もの知らずの露呈もいいところです。諸橋近代美術館は、スポーツ用品店で知られるゼビオの創設者である故諸橋廷蔵さんのコレクションが収蔵されており、ことしが開設15周年、ダリの生誕からは110年めにあたるのだそうです。ピカソをはじめとする西洋近代作家などダリ以外で30人の作品も含めると403点が収蔵されていますが、ダリだけでも339点に及ぶから、いわゆるダリ美術館としてはとてつもない規模なのです。

6月末まで開かれている企画展には、そのうちの49点が公開され、その一部は公開終了後にはメンテナンスを兼ねて収蔵庫にしまわれてしまうため、貴重な機会をいただきました。それよりも複数者の作品を一堂に・・・というより、1人の作風をじっくりと眺められるという時間は、造詣の浅い自分にとっては良い学習になります。ダリっつったらシュルレアリズム・・・かと思い込んでいたら、まあだいたいそうなんですけど必ずしもそれだけではないのがわかります。

じゃあダリは好みかと問われると、これはむしろそうじゃないなあというのが本音で、好んで解釈していくには時間を要するのが感想というところ。ちょっとだけ目に留まって眺めたのは「風景の中の人物」でしたが、これも、いいなあという印象ではなくて、構図上のレイアウト(画の天地の取り方)がなんでこうなるんだろうという疑問だとか、「人物」が描かれないとダメだったのはなんでなんだろう? とかいう部分でした。

てな余計なことを考えながら帰ってきたら、美術館サイト内にある館長さんのブログに内覧会の模様が出てました。まさに余計な「人物」が見切れた風景です。

 

峠の春

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斎川宿この冬には近くを走る国道4号が積雪によるスリップで通行不能にもなった福島・宮城県境の白石側。やはり近くを抜けている東北本線も、蒸気機関車時代は二重連で山越えしたそうですから、峠のあたりを国見とはよく言ったものです。その難所を越えて来ると、義経の家来と甲冑を祭ったお堂があり、ここを芭蕉も訪ねたのだとか。その頃には300を超える軒先がひしめき合っていたそうですが、今は桜並木が出迎える静かな街道の宿場跡です。

ウイークデーだからというのもありますが、誰もいない往来も少ない桜並木ってのは、あるんだなあとちょっと感銘。

間近って言ってるそばから満開

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ひかんざくらそりゃまあ緋寒桜だから開花が早いのは当たり前です。東京もまだソメイヨシノは蕾と言っていいでしょう。東京大空襲で焼け野原となった墨田区の戦没者慰霊と戦災復興を記憶している東京都立横網町公園の、清澄通り側の入り口にあるエドヒガンは満開。奥の慰霊堂は耐震補強工事を進めているようです。そういえば今年は関東大震災から数えても90年めです。

しかし仕事で来ているので、カメラなんか持っていません。携帯電話内蔵のカメラは、レンズ部分のカバーに傷が入っていてフレームの左側が歪んでぼやけてしまうのが泣けてきます。

十月桜浅草で見つけた十月桜も、分類としてはエドヒガンの仲間でコヒガンの雑種だそうですから、やっぱり満開。六区通りを歩いていて、一本だけ植樹されている不思議な風景ながら、見事な咲きっぷりです。蔦屋さんという袋物のお店の軒先ということは、蔦屋さんが植えたものなのか。軒の看板の緑色の屋号とのコントラストが実に良い彩を見せてくれています。

やーしかし歩いた歩いた。車で移動していたら、仮に気がついても素通りするしかないので、たまには鉄道で上京してくるのも悪くないです。

 

貸しきりランチ

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ブラン盛岡というとなんとかの一つ覚えのように福田パンに通い詰めて、コッペパンをかじりながら車で移動というパターンが多かっただけに、実は食い物屋さんの情報にまったく蓄積がありません。以前、郷土料理っぽい料亭にふらっと入り込んだことがあったけれど、それが何処だったか覚えておらず、ランチのボリュームに対してワンコイン?というありがたい喫茶店の場所も思い出せず、仕事先近くの路地を歩いていて時間を見たら正午をちょっと過ぎていて、こりゃ何処もいっぱいで選択の余地はないかなと立ち止まったところに置いてあったランチメニューの書かれた黒板が目に入って、するっとドアを開けました。

 

10人分のカウンター席のみ(奥の2人分は厨房の仕切り壁によって手元のテーブル面積が半分)の、なかなかジャンク趣味的な佇まいに「よしよし、こういうとこ好きだぜ」と席を取ったら・・・というより店内に入った瞬間、客がいない。12時半。まず仙台ではそういう店はお目にかかれない。

「うちに来るお客さんは11時台の後半にお昼ご飯にいらして、12時ちょっと過ぎには帰られますね。それ以前にあちこちに飯処から喫茶店までひしめき合っているのが盛岡の街ですから」

店を切り盛りしている青年と話をしながら、盛岡の人の方が勤勉なのか、あるいは昼時の食事とお茶は別々に時間を割り当てているのか。などと考え考え、ランチのオムライスを食っていますが、やっぱりお客が来ない。むー・・・ここは昼どきというより夕方以降の店のようだなあ。

するとようやく1人、常連らしきお客がやってきたのですが、

「1時間後くらいに持ってきて―。会計は今していくね」

おお、デリバリーもやっていたのか。オーダーされたものをメニュー表で見てみたら、クラブハウスサンドやらホットドッグやら、パンにメニューに使われているパンは福田パンから供給されている。献立自体のバリエーションはずいぶんと豊富で、よく1人で切り盛りしていると思いきや、その配達に出ていたもう1人が戻ってくるのでした。

で、この間、カウンターは僕1人。まるでエアポケットに入り込んでしまったようなのんびりの昼飯です。ただし、ふわふわの卵は上手だけれど、チキンライスに関しては、たぶん僕の方がうまく作れるぜ(笑)

チカラ

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陸前高田岩手県陸前高田市は湾に面した街であったことから、その中心地はほぼ壊滅し、地盤沈下によって国道直近まで入江のような水際ができています。高田松原の六万とも七万とも言われた松林も、あの一本を除いて消失しました。今なお一面の荒野です。が、被災前の空撮写真と比べると、市街地と農地が混在しておりけっこうな面積の農地が広がっていたこともわかります。

ここに昨年から気仙川をまたいだ巨大な吊り橋がかかり、これが今年に入ってとてつもない勢いで拡散・延伸していて、さながらジェットコースターでも作り始めたのかと勘違いするほどの変貌です。

もちろんこれはジェットコースターなどではなく、ベルトコンベア。川の向こう岸にある山肌を削り取った土を、被災地の土地の嵩上げのために使われる装備です。山ひとつ削って捻出する量の土砂なので、ダンプトラックでちまちまと運搬していては時間がかかりすぎるし、ダンプトラック自体があちこちの被災地でフル稼働していて台数が足りないのだから、ベルトコンベアで運び出そうという考えです。

嵩上げの工事が完了するまで、陸前高田の今ならではの風景になるでしょう。宮城県の東松島市でも、ここより少し規模の小さいベルトコンベア網ができています。ずっと昔、福島県の小名浜の港を整備したとき、同じように背後地の山から何キロもの距離を何条ものベルトコンベアが掛けられて土砂運搬に活用されたそうで、それと同じ発想。しかし当時は高度経済成長期のイケイケな機械化で、現在はマンパワー不足を補う機械化。それも復興という大前提が無ければ決意しないだろうというチカラの発揮です。

 

昼夜兼行

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トンネル道路は現在大きく右折していますが、何年か後にはトンネルへと直進します。真夜中にもかかわらず、坑内では山の向こう側へと掘削が続けられているのは、それが復興道路だからというわけではありません。トンネルの工事はおおむね24時間体制で行われるそうです。誰もが寝静まっている時刻に、誰かが働いている。それも工事現場に限ったことじゃないのですが、工事現場というのは実に知られざる世界なんだなあと気づかされます。たいていの場合、開通した道路なんて、そういうことを考えることなく便利に走り通過してしまうだけですもん。蛇口をひねると水は出るもの、という感覚以上に、当たり前に便利さを享受してしまってます。

国道おおきく右折しながらそのまま国道を走っていくと、あちこちで片側通行規制の道路補修や改良の現場と出会います。外気温度計は氷点下8度。交通整理の監視員や、作業にあたる人が気忙しく動いている。

震災復興の特別番組では、よく自衛隊や消防の人々が映し出されますが、工事現場の世界というのはよほどの話題性が無ければクローズアップされることも無いのは、ある意味不思議です。

冬が来ている

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半分凍結標高の高い山々はだいぶ前から冠雪していますが、数百mくらいの山中も一度降った雪が融けて、凍って、また融けている感じ。というのが先月のことでしたが、もうこのあたりも相当の積雪になっているはずです。

それでもこれだけ立派な幅員の林道だったら、ぜひとも来年のツーリングルートに入れたいなあと思うのですが、許可証が無いと入れない。ツーリングです、なんて申請もまず受理してもらえないしなあ。

Andromeda2001

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1972年、地球にふたつの異星の生命体がやってきまして、ひとつは追われる身のアンドロメダの星人。もうひとつはこれを追跡してきたワイリー星人。アンドロメダの星から来たドリイと名乗る女性は、地球との友好を結ぶために、ワイリー星人はこれを阻止し地球侵略をも企て、春日兄弟とシルバー仮面を苦戦に陥れます。

その窮地を救ったのがドリイでしたが、彼女もまた命を落とし、あとには彼女の娘である赤子のリンだけが残されました。

春日兄弟は、光子ロケットベム5号でアンドロメダを目指し、リンを故郷へ送り届けるために旅立ちますが、当時地球で最も高速で飛べるベム5号をもってしても、目的地にたどり着けるのは2001年。春日兄弟は往路だけでも五十代の半ばになってしまうのです。

こういうスケール感は、シルバー仮面よりも先に怪獣ブースカの最終話でもやっていた宇宙の描き方でしたが、約30年という時の流れが、子供の頃にはつかみどころのない大きさと怖さを感じさせたものでした。しかし春日兄弟が予定通りにアンドロメダに到着していれば、それから既に13年もの歳月が流れており、アンドロメダでの滞在期間が分からないけれども、もしかすると目的地での技術供与を得ながらベム5号をより速く航行できるロケットに改良し、太陽系に向けて帰路の途についていると思われます。

それでも春日兄弟の年齢は高齢化してしまうのだけれど、その対策として当時まだ子供だったリカと紀久男を乗せており(人道的にそれはどうなんだという話はさておき)、帰路はこの2名が専属パイロットに成長しているはずです。

シルバー仮面は彼らの帰還を待たず、実相寺昭雄さんの手で「シルバー假面」という、むしろ別世界の物語としてリメイクされましたが、話の本筋を元に戻せば、シルバー仮面である春日光二はサイボーグであり高齢化はある程度防げる可能性があり、他のクルーについても実はアンドロメダでコールドスリープ設備が提供されてましたという裏技を使ってしまうと、太陽系2030という帰還エピソードを描けるのかもしれません。さすがにキャストはどうにかしないと対応できなくなりますが、今のうちだったらまだ往路分の時間経過でどうにかできるでしょう。

というわけで、うちのブログが2000本到達(風花さんに書いてもらってます)したので、この記事が2001本め。数字にちなんでいるだけという、相変わらずくっだらない長話ばかりですみません。

遠い海の記憶

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湾というタイトルは、石川セリさんの楽曲に由来するものですが、もともとの出典はNHKの少年ドラマシリーズの番組主題歌。新田次郎さんの原作はだいぶ忘れてしまったし、番組のロケは三浦半島で行われていたと記憶しているうえ、この曲のイメージは黄金色に光る夕暮れの海を船がシルエットで行くといったイメージがこびりついている。

けれども、岩手の高台から見下ろす海に、同じものを感じ取ってしまうのが不思議です。沿岸はまだまだ復興どころではないのですが、沖を往く船は震災以前の風景と記憶を呼び覚ましてくれます。