外回り中の新月サンから送られてきた写真。 この青もカワセミみたいで綺麗なんだよねー。 エスクードに遭遇するのって珍しい事で (乗ってる本人が言うな・・・)
ずーっと東の空に入道が寝ているような気がして、でもこんな季節だからまだまだ起き上がるには早かろうと思いまして。
現実的な話をすれば、入道雲と呼ばれるのは雄大積雲で上空一万mを越えて発達します。ここに寝そべっているのは高層雲よりも低いところにありそうなので、層積雲の類なのでしょう。
俗に言う入道雲は積乱雲と間違い呼ばれがちです。真夏の上昇気流で一気に膨れ上がるあの姿は雄大積雲。積乱雲は丁頭部がなだらかな水平に近い発達の仕方をしています。これは雄大積雲が成長のピークに達して、対流圏界面に届き、それ以上の上空へ盛り上がることができず、横に広がるためだそうです。いわゆるかなとこ雲がそれです。この日見た雲は入道雲でも何でもなく、と言ってしまってはみもふたも無いので、まだエネルギーが足りないのよとお茶を濁します。
稲城市の丘の上の方で仕事ができたので、これはあれだ、あの時の雪辱ができるぞと勇んで出かけたのです。
が・・・
これ↑じゃブルーティッシュドッグみたいじゃないか! なんだってこんな照明で照らしてやがるんだ?
というもやもやに駆られて、仕事が済んでからもう一度立ち寄りましたよ。いつからかレッドショルダーになっていたんですが、この肩を赤く塗っちゃうってのも気に入らないんだよね。
かつてのNIFTY-Serveに設けられていたフォーラムに端を発した「富士山の日」は、由来を知られているようでそうでもなくて、むしろ2月23日の数字の御合わせで、と認識している人の方が多いのではないかと感じます。後に山梨県、静岡県も同日を富士山の日として宣言ていますが、元々はこのフォーラムを管理していた学識者・田代博さんの活動によるものです。田代さんと言えば、富士山遠望北限撮影の鑑定者でもありました。
まあなんやかやで富士山は恵まれています。筑波山なんてどう語呂合わせても「29月」も「98日」も暦には存在しません。グレゴリオ暦で年始から298日めを指定し「10月25日は筑波山の日」と唱えた人も今のところいません。
あ・・・この日を「つくばーど®の日」つて言ったもの勝ちする手もあるかもしれない(笑)
脱線しましたが富士山の日、静岡県では富士山の日フェスタ、山梨県では富士山の日イベントなどが催されるそうです。このような地域イベントのあるなしに関わらず、ある意味日本人の心の拠り所のような存在ですが、この山が大規模噴火やら山体崩壊したらば、拠り所に対する心理的ダメージも計り知れないんでしょうねえ。
暦は「雨水」の候に入りました。体感ではまだまだ真冬だと思うんですが、先週後半から今週前半は異常にあたたかく、空から降ってくるものが雪から雨に変わり始める「土脉潤起 つちのしょううるおいおこる」時期だそうです。
紙で作って厄を背負わせた形代を水に流したことが、後の雛人形に発展していった故事によって、雛飾りは雨のときに行うと良縁に恵まれると云われていて、七十二候の雨水がそれにふさわしいということです。
千葉県の勝浦市や埼玉県の鴻巣市で見物した雛飾りはとにかく豪勢で、縁起を重んじながらも飾り手の楽しさが浮かび上がってきます。うちは娘らが成人した頃から雛飾りをしなくなりました。良縁と遠ざけたかもしれないなあ。
間寛一が鴫沢宮を足蹴にしたという熱海の夜は、年次は不明ですが1月17日の夜と、寛一のセリフ(小説版)に記されています。尾崎紅葉が「金色夜叉」の連載を開始したのが1897年で、舞台背景には日清戦争後の世相が落とし込まれていることや、前年に開通した鉄道が利用されている情景から、仮定として熱海の夜は1897年という前提でこれを邪推します。この年のこの日の月齢は、おおむね14。もうすぐ満月が巡ってくる晩でした。
「今月今夜の~」という寛一の三行半はドラマや映画向けに短縮アレンジされたものという逸話は有名ですが、「今夜の月」と同じ月齢の月を見上げるには、実は19年経たないとそうならないのが地球と月の軌道関係です。さてそれでは2024年の熱海だとどうなのかと言えば、月齢14くらいだと15日の夜でした。
ちょっと惜しい・・・