新月サンと出掛けた時、仕事絡みの着信があって 車を停めた田んぼの横。 鷺がいるなーと思ってデジカメ構えたら ちょっとだけ飛んだ瞬間。 ・・・翼広げると意外と大きいのね。
遂に! というほど沼にはまることなく、最後に残った「ペンおいて!ラスカル」があっさりと、三度目のトライアルで当たりました。
シークレットがいきなり三個というだぶりの前回に、ちょっと今回は苦戦しそうだなあとビビり気味だったのですが、過去最短のコンプリートです。今回、利根川を渡った街の店舗でしたが、これが偶然にも運を呼び込んでおります。
店内に入ったらこの風景。うへー! この特大サイズ小僧、滅多にお目にかかれません。よくこんなの所有しているなあと伺ったところ、特撮でパトレイバー撮るなら帆場暎一役ができるぞと思わせる、帆場よりも陽性で男前な店長さんの私物だとか。見切れていますがかつてコンビニ景品だった絵皿まで置いてあります。「へー、リリーちゃん三つも出たんですか!」の店長さんの一言にこっちがびっくり。ラスカルの伴侶にも名前、ちゃんとあったんだ!
一周回ってきた因果な一品
Twitterの世界でなにげに見かけてしまった、スズキエスクードのミニカー。たいていの人ならば、
「どこに目をつけてるんだ!これがエスクードなものかっ」
と一蹴するでしょう。
まあ実際そうなんですが、この黄色の四駆のミニカー、90年代にも「審議以前の問題ですよね?」と話題に乗っていたことがありました。当時はそれでも、海外物の情報も少なかったこともあって、四角いヘッドライトのジムニーってあるのか? いやジムニーにしてはボンネット長すぎるなどと、割と困惑しながらも「これは違うよ」と、エスクードではないという結論に至ったのです。要するに昔の中国製製品なんてものは、それがジムニーの間違いだったとしても、技術的にレベルが低くてジムニーとさえ言いにくいのでした。
30年も経って、再びこれと巡り合うとは因果なものです。今ならさしずめ「これこそが次期モデルの理想形」などと言われちゃうのかもしれません。が、そういう期待感もこれにはないでしょう。話は跳びますが、かつてはイギリス版のエブリイ、キャリイに「RASCAL」と名付けて販売したメーカーもあって、うちのエスクードに付けられた愛称の原典はそれか? という誤解を招いたこともありました。逆に「そんな名前のスズキ車があるのか!」とびっくりしたものですが。
そんなわけで比較してみれば一目瞭然で、そもそもエスクードのフェンダーは初代、二代目にわたって前後ともブリスタータイプであり、この時点で「別の車種」と判断できるのです。四角いヘッドライトといっても、エスクードのそれは歴代、純粋な正方形でも長方形でもありません。しかし知らない人たちには知らない情報。それが知らないままに流布され拡散されてしまうのは、情報過多の時代になっても変わらないようです。だけどまだ売ってんのね(販売メーカーには現在、ラインナップはありません)
超越者と人間が融合する
マーベルコミックのファンの人々に告げたいのですが、面白かったけれど、これは正史じゃないですよ。「ウルトラマン」というフォーマットを利活用した、斜め上解釈のアナザーストーリーです。
そこを押さえておかなければ、逆に許せなくなってしまう。でも、そこを認めればなかなか面白いのです。
新たに、と断りを入れるべきなのは、物語の冒頭が1966年ながら、展開は一気に2020年に移り変わっています。その歳月には、現代において活動している怪獣であったり防衛組織の部隊変遷であったり、いろいろな仕掛けが風呂敷というかトートバッグの中にまだ隠されているようです。ふーん、マーベル作家ってこういう風に考えて地球人と異星人のコンタクトを描くんだ。「原典」直撃世代にとっては大いにショックなプロローグでした。
日本語版劇中では「超越者」(ULTRA)、「人間」(MAN)という呼び方をします。和製英語化?した「ウルトラマン」が、僕らの中には刷り込まれています。何もかもがスピード化し始めた高度経済成長期、この名前は水のように浸透したのだけれど、あらためて「彼」を「超越者が来てくれた!」と呼べるかと考えると、全然スマートさがない。「ULTRA・MAN」と呼びならわせる文化からの、ウルトラマンの名乗りを見せられると、不思議な感じがします。
それにしてもプロローグの時点で既に新解釈のシリーズ化を示唆する物語の描き方は、その必要があるのか? なぜよ? と言わざるを得ないひん曲げ方です。ティザーの段階から登場していて、ものすごく違和感を感じていた左図のパイロットが、まさかの人物でどえらいことになってしまうというのは、禍根を残さなければいいのですが、かなりやりすぎ。その割に今回、ハヤタとコンタクトする宇宙人が「自称」ウルトラを名乗っちゃうあたりはちょっと軽い・・・
そんなわけで、彼等「超越者」は地球の暦で何世紀も前から、地球人種の「自律と進化」を見守ってきた一方、何者かによるエネルギーの負の放射によって副産物たる「怪獣の凶暴化」が始まり、いずれ負の放射はその星を滅ぼすという危機から、進化に期待するのですがいろいろあって「どうもそれは困難だ」とも判断しています。しかし、この物語におけるハヤタは、なればこそ命と力の主導権を自分に委ねたうえで、その自分自身を守ってほしいと申し出ます。
ここら辺のプロットには、なんとなく「ウルトラマン80」あたりまでの基礎設定が埋め込まれている気がしますが、円谷プロ側、というより日本の文化がどのようにアメリカの文化と接触してこのコンタクト劇を描くに至ったのかは大いに興味があります。いやもう「超越者」は正論とはいえ理屈っぽいし「人間(ハヤタ)」もまた超越した事象に対応するため必死。こんなにも沢山の対話の余地があの瞬間にあったのかと、膝を叩くばかりです。
久しぶりに作ったぞー
3度目だ 間違いない・・・と思う
7のぞろ目は、3度目となります。でもご周知のように、オドメータが5桁ですから、2度目と3度目は「頭にもう一つ」数字が乗っかります。
とりあえず調子は悪くないからいいけど、時々「ほんとにこれ3度目か? まさか4度目じゃないだろうな?」と思わんでもないのですが。もしも4度目だったとしたら、これほど呑気に月軌道までリーチがかかった事例もないですね。
仮に、前に乗っていた人がごく一般的な乗り方をしていたとするなら。91年からのこれを記録簿上すべて追跡できないんですが、04年くらいで手放していて(と想像前提ですが)、僕が見つけた中古車店で2年ほど埃をかぶっていたので、距離計算的には間違いない。と・・・思うんですけどねえ。
まあどうってことは無いんです。今はうちの幌車だし。