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  ~懲りない傾向~

超越者と人間が融合する

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マーベルコミックのファンの人々に告げたいのですが、面白かったけれど、これは正史じゃないですよ。「ウルトラマン」というフォーマットを利活用した、斜め上解釈のアナザーストーリーです。

そこを押さえておかなければ、逆に許せなくなってしまう。でも、そこを認めればなかなか面白いのです。

新たに、と断りを入れるべきなのは、物語の冒頭が1966年ながら、展開は一気に2020年に移り変わっています。その歳月には、現代において活動している怪獣であったり防衛組織の部隊変遷であったり、いろいろな仕掛けが風呂敷というかトートバッグの中にまだ隠されているようです。ふーん、マーベル作家ってこういう風に考えて地球人と異星人のコンタクトを描くんだ。「原典」直撃世代にとっては大いにショックなプロローグでした。

日本語版劇中では「超越者」(ULTRA)、「人間」(MAN)という呼び方をします。和製英語化?した「ウルトラマン」が、僕らの中には刷り込まれています。何もかもがスピード化し始めた高度経済成長期、この名前は水のように浸透したのだけれど、あらためて「彼」を「超越者が来てくれた!」と呼べるかと考えると、全然スマートさがない。「ULTRA・MAN」と呼びならわせる文化からの、ウルトラマンの名乗りを見せられると、不思議な感じがします。

それにしてもプロローグの時点で既に新解釈のシリーズ化を示唆する物語の描き方は、その必要があるのか? なぜよ? と言わざるを得ないひん曲げ方です。ティザーの段階から登場していて、ものすごく違和感を感じていた左図のパイロットが、まさかの人物でどえらいことになってしまうというのは、禍根を残さなければいいのですが、かなりやりすぎ。その割に今回、ハヤタとコンタクトする宇宙人が「自称」ウルトラを名乗っちゃうあたりはちょっと軽い・・・

そんなわけで、彼等「超越者」は地球の暦で何世紀も前から、地球人種の「自律と進化」を見守ってきた一方、何者かによるエネルギーの負の放射によって副産物たる「怪獣の凶暴化」が始まり、いずれ負の放射はその星を滅ぼすという危機から、進化に期待するのですがいろいろあって「どうもそれは困難だ」とも判断しています。しかし、この物語におけるハヤタは、なればこそ命と力の主導権を自分に委ねたうえで、その自分自身を守ってほしいと申し出ます。

ここら辺のプロットには、なんとなく「ウルトラマン80」あたりまでの基礎設定が埋め込まれている気がしますが、円谷プロ側、というより日本の文化がどのようにアメリカの文化と接触してこのコンタクト劇を描くに至ったのかは大いに興味があります。いやもう「超越者」は正論とはいえ理屈っぽいし「人間(ハヤタ)」もまた超越した事象に対応するため必死。こんなにも沢山の対話の余地があの瞬間にあったのかと、膝を叩くばかりです。