義弟2号が突然「風花さんゴルフクラブ持ってる?」 と言うので何事かと思ったら、娘にゴルフやってみたいからコースに連れて行けと言われたとか。 いきなりコースに連れてけとはなかなか豪胆な姪である(笑) 取りあえず練習場行ってみてクラブに当たってからの話だと新月サンに白羽の矢が飛んでいきました。 練習場で待ち合わせして受付諸々済ませた後「どのクラブ振ってみたい?」と尋ねる新月サン。 彼女が迷いなく「これっ!!」とバッグから抜いたのはドライバーでしたよ。 ・・・すげー・・・(私、未だにまともに当たらない・・・) 途中義弟1号が野次馬しにやって来て、ドライバー振り回してる姿見て驚いてたわ。 生まれて初めてクラブ握って、ちゃんと前に飛ぶ(転がる)ってスゲーって。 そのうち転がるから飛ぶに変わってきて、気づいたら2時間。 初めてだからと1球いくらで打ってたんだけど、結果的には打ち放題の方が良かったのでは・・・?
転ばぬ先の杖(やっぱりちょっと違う)
大雨の恒例だから構わないのだけど、
まあ、大雨降った時のいつもの光景だが
これ ↓ は勘弁して。止めるときよく見ろーっ!!(怒)
おかげさまで本日は丸出しのゴミ袋。 カラスに荒らされなかったのは不幸中の幸い・・・ 強粘着のテープで張り紙してやろうかと思ったわ(←いけません)
能登半島地震の被災で石川県七尾市も大きな被害を受けていましたが、ことしは本日と明日、東京・芝の増上寺において「七尾港まつり」が開催されるという復興支援プログラムが実現しました。七尾、2年前に能登へ出かけたときにはまだ夜明け前の通過。帰路の時間帯は夕方の土砂降りで立ち寄ることができなかった街です。2年前ですからまだ「君は放課後インソムニア」は連載中でしたがこの漫画を知らなかった。
映画とアニメも作られたこのドラマのおかげで、被災前の七尾や周辺の町の風景が残されていることは不幸中の幸いなのでしょう。タイトルに星まつりを持ち込んでいるのは、このドラマが不眠症と天文撮影を軸にしているからです。縄文集落の真脇遺跡も土砂降りで立ち寄れなかったところですが、映画では美しい風景と星空が描かれています。実際の七尾の星祭は、日蓮宗の本延寺で1月に行われている厄除け等祈祷行事があります。
ちょっと待って・・・
「おねーちゃん(と義母は呼ぶ)これ書いといて」と
手渡されたのは現金出納帳と二か月分の入出金伝票・・・
かーちゃん・・・
お願いだから月が替わったらすぐ出してくれ(泣)
機械なんぞとは程々に付き合うもんだぜ
と、機動刑事千石旬介が毒づくのは2808年の話ですが、国際的な電脳都市となったОEDО(トウキョウ)の超超高層摩天楼がハッキングとクラッキングを受け、都市全体が機能麻痺してしまう。2024年のつい先日、似たようなことは実際に起きて、サイバー攻撃ではなくWindows上でのシステム障害とはいえ、トラブルが猛威を振るったのです。システム防御のための電脳防壁とそれを崩してくる電脳ハザードは、きっといつの時代でもいたちごっこなのです。
ここへきて自動車産業がSDV:Software Defined Vehicle開発に力を入れる舵を切っていますが、車載CPと外部ストレージとが双方向通信して車の運行やメンテナンス時期を制御するソフトウェアによって、機能や性能を高められる自動車だって、リスクがないとは言えない。1車種ごとにソフトを用意するなんて開発側にはとんでもない負担になることは予測されていて、メーカーごと或いはメーカー連合ごとにソフトの共有化も考えられているそうですが、中央集権型システムに制御されたクルマ社会は、そのシステムの要が攻撃されたとき、「安全のために全交通の運行停めます」を避けて通れないでしょう。そのような事態において、全車両がシステムから切り離されて従前のトラフィックを乗り切れるようにならないと恐ろしい。
ここまではSF的に過去事例作品がいくらでもあります。怖いなあと思うのはここまででももちろんですが、いわゆる自動運転できるクルマが「自動車」と呼ばれるのであれば、そのようなシステムを持たない旧世代のクルマは「自操車」ということになる。ただ区別するだけのためにそんな造語が使われるわけはないのです。「自動車に該当しないすべての車両は運行を禁ずる」なんて世の中がやって来る未来予想が怖いのです。
日曜日。久しぶりにはるちゃんが遊びに来て 数時間お茶しながら世間話しました。 夕方、外にご飯食べに出掛けて更に数時間後。 帰宅して猫ずのご飯用意して、さあシャワー浴びて寝るか というタイミングでリビングの敷物にシッコされました(泣) 買ったばっかりなのにー・・・ 最近は布団にも足ふきマットにもしなくなったから 治まったかと安心してたのにぃ。 ・・・来客で緊張強いられた腹いせだよね、これは・・・ 夜中にお風呂場で洗濯する悲しさよ・・・
かくして妙高高原は始まった
20年目のつくばーど®in妙高高原17はぐだぐだながらも先月開催できました。カウント上の第一回目は2004年11月でしたが、そのきっかけは8月の末に出かけた、新井と長岡へのベースキャンプとして偶然予約した杉野沢のペンションというのが始まりでした。それより早くとん汁を食いに行く日帰りツーリングがありましたが、2003年には行われておらず、これを食いたくなっての宿選びだったのです。泊まりに行ったら軒先にあるはずのメルセデスがエスクードになっていた。
今でもそうですが、一泊2日に捻出できる宿泊代は潤沢では無かった頃、この界隈では安めのところで、全国ペンションガイドに乗っている写真にはメルセデスのステーションワゴンが映っていました。以下何度も書いているので省略。一泊できると行動半径にもゆとりが出ます。2日間にわたって地元の友人やエスクード仲間が遊んでくれてのツーリングとなりました。北関東道も上信越道もつながっていなかった当時、片道350キロはそれでも遠くは感じなかった。
KOME SO-DO-
米が無いとは聞いていたけどさ。
O山サンから 「ほんっと悪いんだけどそっちでお米手にはいる?」 というLINEが参りまして。(O山サン都内在住) 我が家の近辺も品薄なのは知っていたので「あったら送るわ」とだけ返信して、昼休みに近くのスーパーへ 行ってみたらば5kgのあきたこまちが棚に3袋ほど。 『一家族さま一袋』という張り紙がされてましたよ。 外回りしてた新月サンにも連絡して、別のスーパーで5kg一袋買ってもらい無事にまとめて発送したので、 O山サンち少しはもつかしら。