件のつぐら、先日いちとはなが仲良く寝てました。 これであと、ゆきが入ればコンプリート(笑) 二匹で入ってるのは、でんいちが確立高いなー。
さてこれは後継車になるのか
スズキが本格的に「e VITARA」の世界戦略を表明しました。新型車のアピールだけでなく、BEVを世の中で走らせるための充電施設といったインフラ整備にも及び、インドにおいてはその市場環境を多角的に整えていこうとする考えのようです。同社はおそらく、小型車の生産拠点を海外に設け、本国さえもそれを仕入れて販売するシフトへとかじ取りするのかもしれません。国内での軽自動車トップクラスメーカーという看板との両立でしょう。
その流れは今後を注目するとして「e VITARA」。バッテリー型電気自動車という冠をつけた「ビターラ」。なぜわざわざビターラを呼称するのかと言えば、世界的に知名度を持つ商品であるからですが、ハンガリーのビターラとの区別もなされる。一度はハンガリー版を四代目エスクードとして国内投入した経緯があるとはいえ、この発動機の区別が、果たして新しい世代のエスクードとしてどちらに転ずるのか興味が尽きません。
バブル経済末期に、四輪駆動車のニッチな市場を切り拓いた初代エスクードの時代から、ヨーロッパではビターラのネーミングを使用してきたけれど、ニッチな領域から昨今のSUV市場を出現させたことで、エスクードの役目は果たされたのかもしれません。僕は初代エスクードの二年目から「ウルトラスーパーな」エスクード馬鹿になっていますが、その馬鹿さ加減が感じることは、「e VITARA」はその名をもって世界戦略に臨むのだろうと。新しい株が生まれ育って行くのではないかと思っています。
僕ならそうする。
どこか、知らない所の話のような・・・
30年前。 休みをとってスキーに出かけていた私は 先に起きた友達に揺り起こされてテレビを見ました。 部屋の小さなブラウン管のテレビ越しに写った 有り得ない光景は、その後何度も目にする事に。 関西圏からも結構訪れる人が多いスキー場だったので 『この辺りから来てた人、どうするのかなぁ・・・』 と、ぼんやり考えたのは覚えてます。
阪神淡路大震災の記録撮影は、当時応援に行った大阪の支社にすべて置いてきてしまい手元には何もありません。記憶だけは残っていて、あとから現地にほんの少しだけ出ただけでしたが、まさかの東日本大震災を仙台でくらった折に役立つものがありました。その後神戸を訪ねる機会はなく、10年前に広島県に向かう途上立ち寄っただけですが、そのときは高速道路の橋脚が破壊され桁が落ちていた風景はかけらもありませんでした。
「震災の記憶は我々でさえ風化しますよ。それは仕方のないことで、それでは何を伝えていくのかと言えば、あの惨状からどうやって、何をやって復興を進めてきたかを重視すべきです」
昨年秋、南三陸町の町長さんにお会いしたとき、そのような話を聞かせてもらいました。阪神と淡路の人々も、そうやって30年を過ごしてきたのだと思います。今年の年賀状に、ずっと神戸の支所で仕事を続けてきた同僚が、離職した旨のメッセージを綴っていました。彼も直向きに震災の記録集めと復興の道のりを歩んできた一人です。大阪との折り合いが悪かったと聞いていましたから、やることやりきって飛び出していったのだなと感じました。
請求書の計算が終わりませんっ! って言うか、請求書が届いてませんっ!! 2ヶ月前に締め日の変更のお願いを一斉送信した ・・・はずなんですけどねぇ。 (変更されて届いてる所も多々ある) 私が(請求の)入力モレをチェックしている間に、 義妹には変更した後の分で請求書が届いていない会社に メールいれてもらったり電話してもらったり。 それよりなによりっ!私が一週間休んでる間 請求書を手つかずでほったらかしといた義母よ・・・ せめて封筒から出しておいてほしかったです(泣)
長いこと看板に偽られ続ける
東関道の佐原から潮来区間が開通した頃、まだ僕はジムニーに乗っていました。この当時は「将来は鹿島(この頃の表記)まで路線が伸びるんだなー」と思っていました。当然のように千葉から水戸までつながっている国道51号の多重化路線として太平洋沿いに北上して水戸へ向かうものとばかり。左図の延伸になるとは想像もしていませんでした。いずれにしても550ccのジムニーで走るのは結構大変。潮来からは霞ケ浦沿いに移動するので水戸延伸は役に立たないし。
この延伸区間・茨城町から鉾田市に至る水戸線が開通し、残り区間があと二年くらいでつながるのですが、予定されているインターチェンジが麻生と北浦(たぶん14と15)。北浦の左岸を走るため、結局は鹿嶋には行かないというオチ。そのうち書き換えられるのかこのままほったらかすのか。と思ったら、さらに遠い将来、神栖方面への延伸が計画に乗ったとかで、いくらかは鹿嶋市内を通るのかもしれません。看板が偽りになりませんように。
今年もよろしくお願いします。(今更ですが)
仕事始めの6日と、翌7日に投稿した記事は 吹っ飛んでしまったそうなので改めて。 一週間姿を消してた理由は下記の通りでございます。 -------------------------------------------- 6日、普通に仕事して普通に晩ご飯食べて、寝て起きたら 発熱っしておりました・・・ 珍しく38℃も超えていて、すわっインフルエンザか?!と 近くの発熱外来受診して検査してもらったら 新型コロナ陽性 今、コロナ??? 大人しく寝てましたとも週末まで。 喉も痛くないし、咳もあまり出なかったけど 布団に横になったらほぼほぼ眠っちゃったって事は 身体は結構しんどかったのかしらねぇ・・・ 一週間まるっとほっぽった仕事を片付けていたら、 昨日は記事を書く時間もありませんでした(泣)
柚子風味はまた来年
ATAGО FORESTHOUSEで来月の「つくばーど®in天狗の森04」について打ち合わせに出かけたら、知らぬ間にチーズケーキがメニューに加わっていました。あの狭い厨房でよくこれだけ色々な献立を作り出せるなあと感心します。1ロット2ホールで24ピースが限度だそうです。この日は柚子ジャムが使われていましたが、柚子は使い切ったとのことで、次に来るときは別のテイストになる予定だとか。このチーズケーキもなかなかの美味さです。
つくばーど®の月遅れ新年会で振舞う豚汁ですが、器が不ぞろいになります。そりゃそうですよね、一番嵩張る形状ですから、20食分同じものを置いておけない。「器持参でやりましょうか」と言ってみたんですが、そこまで気遣わないでと笑われました。
型式の歪曲は看過できぬ
モーターファン定番の「~のすべて」がスズキフロンクスを取り上げました。まだ記事はほとんど読んでいません。ですがスズキの今で言うSUVを概略だけ紹介するページが随分と割かれていて、といっても大半はジムニー、エスクード、グランドエスクード等などですけど、エスクードの型式表示が雑。初代から三代目までを「T0〇」として一絡げにしてしまうのは無茶もいいところです。初代だけでも01は1600のことで11、31、51、61(海外には21もあった)の区分けがあります。
二代目も同様で、02だけでなく52も62もある。「0」では片付けようかないうえ、三代目に至っては「0」系は存在しないわけです。車雑誌が、スズキの車種に絞って作っているムック本でこのような煩雑な書き方をするのは看過できません。この誤解を招く型式表記が独り歩きしないと誰が言えるでしょう。特に三代目のユーザーさんは怒るべきです。そこに目が行ってしまって、フロンクスの記事なんか読んでいる場合じゃないのよ腹立たしいのよ。
残り11000000kmの旅
この記事がアップロードされる午前0時ごろ、東の空に火星が上がっていますが南岸低気圧の影響で空模様はよろしくなさそう。天文ファンの間では2018年以来の火星と地球の大接近が話題となっており、今回は約9608万kmと言われています。以来、と言われている2018年には約5759万kmという大接近でした。が、最近は事例にのぼらない2003年の超接近というのがあり、この年は約5600万㎞に近づいていました。ここまで近づく次の機会は2035年だそうです。
つくばーど®サイトでやっている「エスクードMilage」は、この2003年に記録された火星までの距離を「エントリーしてくれるすべてのエスクードとその派生車の走行距離を足して更新し続け、そのうち火星までたどり着く」趣旨で、ノリと悲壮感の企画として2006年から始まっています。
往路の半分は5年で消化し、ユーザー数も300に達していますが、乗り換えや交流途絶などの年月も重ねているため、その後は年々距離の伸び数も鈍化しています。それでも2024年末で約4500万㎞まで進んでおります。あと約1100万㎞、そのうち辿り着くだろうという目標なので、いつのことになるかまったくわかりません。この数年のペースを見ると、1000万㎞進むのに6年ほどかかっていたものが、さらに半減しているので、2035年の再び超接近には間に合わないかもしれません。
マイレッジエントリーと距離更新は、つくばーど®サイトの掲示板に専用スレッドがあります。「なんてあほな企画なんだ」と笑っていただけたユーザーさん、そういうあほなノリに足を突っ込んでみませんか?