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  ~懲りない傾向~

遊びほうけて30年

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1982年10月3日。午後2時から「超時空要塞マクロス」がスペシャル番組で2話ぶっ通しの放送開始というその日、僕は土浦市の喫茶店に呼び出されて、あわやこれを見逃す危機にさらされていたのです。

当時、ワンセグどころかソニーのウォッチマンも無かった時代、外出先でテレビ放送を見たいと思ったら、町の量販店(この場合土浦では西友とかイトーヨーカドー)の家電売り場に行って、こっそり1台だけチャンネルを変えて、隠れるように視聴していました。が、この日はそれも不可能。

しかし何か方法はないかと八方手を尽くして借り出してきたのが、今で言ったら工具箱のような大きさの、それでも超小型ポータブルテレビ。モノクロで5インチくらいのブラウン管と、ロッドアンテナの向きしだいで見えたり見えなかったりのシロモノです。

そりゃもう怒られましたね。なんせこの頃はまだ嵐田風花なんていませんから、僕が一番のぺーぺーです。いや、でもさ、この集団に最初に加わった日は、「スターウォーズ」と「宇宙からのメッセージ」とでどっちが琴線に触れるかなんていう激論を、大の大人がやっていて、ある人に至ってはスターウォーズの前売り券を15枚も持っていて、毎日のように観に行っているとか話していたのよ。その流れで行ったら、マクロスをリアルタイムで見てたっていいじゃねーかと・・・

口答えもさせてもらえませんでした。

この日、そういった地元の変な若い衆が集まって、年に何回か冊子を作っていたSFのFの方を軸にした文芸集団から、「次はお前がやれ」と運営を丸投げ引き継ぎされたのです。これでお分かりかと思いますが、つくばーどサイトの表紙に、スズキエスクードなど存在もしないのに、なぜsince1982と掲げられているのか。

この時代、まだつくばーどという名前ではありませんでしたが、クラブのような体裁なんだけれど、会規もなければ会員も募らない、有志の集まりという運営がスタートして、物書き人生も始まりました。このあと8年にわたって、「風来都」という冊子を発行したのが、つくばーどの前身なのです。

混沌とした時代ですから、文芸だけやっていたわけではなく、ジムニーに乗って林道に行っていたり、ジムニーでも入っていけない奥地の遺跡に探検に行ったり、古文書調べの手伝いなんかもやっていました。翌年の83年に、今のつくば市(当時はまだ合併していなかった)にベースとなる喫茶店が開業して、活動の基地になっていきました。

文芸の方は後輩に「次はお前やれ」で引き渡してしまったので、その時点で名前も変わったし面子も変わっていきましたが、97年くらいまでに、レポート用紙だと4冊分くらいの長編を3本に分けて書いていました。その後、エスクードを通したコミュニティーの立ち上げが始まります。

やー、遊ぶも遊んだり、30年ですよ。エスクード25年の資料探しをやっている中で、過去の記録がいくつか発掘されて、なるほどそうだったのよと、自分で呆れているのです。写真はこのエピソードから2年後の84年の頃のもののようです。

しかしよくよく考えてみたら、そっちの周年企画をすっかり忘れてたよ。

2 Responses

その時私は17歳・・・

その頃はBIKEに夢中でしたがマクロスも何故か見てましね。
(多分、マクロス見たいが為だけに家に帰って
いたんだろうなぁ~~)

  • 人のことは言えませんが、監督に17歳という瞬間があったのかと、つい膝を叩いちゃったよ。
    バイクが1馬力1万円時代になった頃だったですかねー。