遊びほうけの80年代、言うほどに遊んでいられるほど裕福ではなく、週末の燃料代のためにパンの耳で一週間乗り切る給料日前、なんてことを経験しました。そんなもの美談にも美徳にもなりはしませんが、体型だけは細かった(ちくしょー)。そういう時代ですから、今のようにいつでもどこでも写真が撮れるはずもない。
フィルム代や現像・焼付代にお金を回すことができない。だから四駆として最初に乗った中古のSJ30は、なにも記録が残せていません。さらに輪をかけて、乗り方も運転も下手くそでした。
SJ30はあっという間にピストンの吹き抜けによって痛恨のブロー。でも四駆の面白さから懲りもせずにJA71を新車で買い求め、貧困に鋼鉄の輪がかかるのでした。だから改造資金なんかありませんので、カタログ仕様のまま。後年、リアシートを撤去してスカイラインか何かの助手席シートをくくりつけた三人乗りにしていましたが、パノラミッくルーフなので、後席の居住性は良くなっていました。
これが87年のことですから、僕がエスクードに乗り換えるまで、思いのほか短かったのだと、あらためて感じました。それを意識してこなかったのは、厳密には乗り換えではなく、71をセカンドに置いて過ごしていたからでしょう。そしてお気づきのように、この71は、カタログモデルですがこの色。インビエルノ・ブルーメタリックだったことが、2年後のインパクトにつながっていきます。
人生2台のジムニーは・・・といいつつ、基地には親父が乗っている7型のJB23があるのですが・・・数年の付き合いで終わりました。なんぼ優れた世界唯一のマイクロ四駆であろうが、僕はエスクードに傾倒したので、いまさらジムニーを語る資格も舌も持っていません。それでいながら、遡るとこの空色があって、以来、所有した全てのエスクードが青系だというのも、何かの因果かもしれません。
この71、その後我が家でノマドを買い足した折に一度里子に出ますが、その里子の先でJB23(3型)が導入され、引き取ってきたらひどいオイル管理でヘロヘロでした。ちょっと状態が心配でしたがオイル交換の後、これに乗ってくれたのが、幌車のエスクード(ウエストウインの島さんが乗り継ぐ)を降りてセルボに乗っていたシン大尉こと狼駄さん。彼にとっても二度目の71だったそうで、彼がプロシードレバンテを手に入れるまで活躍してくれました。