「終わらせなければ始まらない」とかなんとか言いながら、遂に始まる009 RE;CYBORG。もともと未完の大作であったサイボーグ009でしたが、なぜそんなに完結編にこだわるのかが、昔からのファンとしては理解できないことです。
決論から言っちゃえば、原作者は天使編でギブアップ宣言をして、その後はオムニバスなエピソードを綴っていくことで、009の戦いや葛藤を描いてきた。それでいいのだと思っています。原作者以外の誰がやろうと(たとえ身内であっても)、それは本筋としての009とは別のものなのです。
ここまで今風のキャラクターデザインにしてしまうのは、ある意味その時点で逃げ道と同じだと思います。まだ2001年にリメイクされ、地下帝国ヨミ編で締めくくった平成版のほうが潔いし、1966年のモノクロ作品は、子供心に戦争の怖さや嫌悪感を嫌というほど突きつけられたという、恐ろしさがありました。
でもって、これは言い切れると思うのですが、009に限らず、大見栄切って完結編だ。とやったところで、いつの日かまたリメイクされてしまうのがこの手の大作。ならばその後は誰がやろうと構わないじゃないか。という論理にもなるのでしょうが、原作者が完結編を描ききることができなかった作品は、どこまで行っても未完の大作であるべきです。
だからいちいち、終わらせなければ、なんて構えることはないのよ。
張々湖とグレート・ブリテンがやたらと格好良くなってるんですけど・・・(汗)
原作者が完結偏を書いていたところで、製作まで手掛けなければ意図したのとは違う解釈で展開する事もありうる訳で・・・まぁオリジナルとは別のモノですよねぇ。
まあこれを本道と言うのはおこがましすぎだと思います。
あくまで009に憧れたクリエイターの解釈による、新しい世界観の作品だということですよね。
でも、008までをあまりにもリアルにリファインしたため、逆に島村ジョーが半端なリアルになっちゃってますね。
原作へのオマージュでイメージビデオを作りました、てな感じでした。
フランソワーズがエロいのと、ジェットとアルベルトが格好よかったのはよかったけど。
だけど、ゼロゼロナンバーそれぞれのアクの強い個性を殺してまでリアリズムに固執してどうするのか。とも・・・
典型的なのが裸?で空を飛ばしたジェット・リンクだと思うのです。リアルな気持ち悪さを感じる。