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  ~懲りない傾向~

いざなわれているとき

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「いざなう」という言葉を変換すると「誘う」・・・になってしまうのが、なんだか読み違えているようで好きではないのです。いやその、いざなうもさそうも、同じといえば同じなのですけど、自分の中ではちょっとニュアンスが異なるつもりでいるのです。

言葉遊びの話ではないです。先日、近所で「こんなところに蕎麦屋があったか?」と、通りかかった民家に立ち寄ってみたら、上田のおお西で修行したという青年が開店させた、十割と発芽蕎麦の店でした。十割と言われると、最近は良いところに巡り会えず敬遠気味だったので、興味本位で食ってみようと暖簾をくぐったのです(おお西、の話はくぐったあとに知るわけですが)

偶然にも、上田のおお西と、そこの発芽蕎麦は食ったことがあります。それを伺って、おお西の打ち方の十割だったら悪くないじゃん、だとか、発芽蕎麦ならもちもちとしていて、近所にあったパサパサの十割とはわけが違うじゃん。などと、その気になってしまうわけです。いろいろ試してみたくて、更科と発芽と、実ごとすりつぶして打つ田舎の盛り合わせを頼んでみます。

どれもこれも瑞々しい味わいで、わざと日差しにかざしていてもパサパサにならずに食えるというのは、嬉しい十割です。そばつゆの方は、もちっと辛味があったらいいなあと思うのは、これは個人の好みか。あっさりしすぎなのだけれど、そば湯でといてすすってみると、ちゃんと味が出ています。

それにしても、いつの間にこんなお店ができていたのだろうと尋ねてみたら、店主のお母さんが、震災のあと、4月に開店したことを教えてくれました。ああ、そうだったのかと。でもその頃のこちらだって地震被害は大きくて、停電や断水は直っていてもいろいろなライフラインの回復には遠かっただろうに、忘れがたい開店だっただろうなあと思いました。

さて、だから何に誘われているんだ? となるのですが、ちょっと得したぜ。と思いながら仙台に戻ってきて、同業者との集まりに出かけて行ったら、山形県出身の同業の女の子が

「雷蔵さんっ、日曜日においしい蕎麦屋を見つけたのよっ」

と教えてくれて、それが市内からさほど遠いわけでもなく、しかし旧道の市街地にあるため鉄道路線とはかけ離れており、車でないと出かけていくのは大変ながら、もとが農家だったために駐車場は広々としているというのです。

おいおい、もう20年近く仙台の人であろうあなたがわざわざ「見つけた」ってのは、新装開店の店なのか? と聞き返したら、

「もとはパン屋だったけど、母屋を蕎麦屋に改装して去年の4月にオープンした店」

え? 蕎麦屋にして去年の4月の開業?

そりゃまあ、そういう偶然もあるよなと、話をたよりにそのお店に出かけてみました。僕の地元で見つけた店よりも大掛かりに屋敷を改装して、店員も数人使っての立派な店構え。古民家を活用するというのは、当節の飲食屋の流行なのですね。そして、上田仕込みと決定的に異なるのは、山形蕎麦の店であること。もうこれでもかというコシの強さに圧倒されました。実は山形の蕎麦というのは、この夏に冷たい肉そばを食ってみたことがありましたが、それは夏だったしなあと、今回はもりそばでつけ汁にしたのです。そこはどうも選択ミスであったらしく、ひょっとするとここの蕎麦は、温かいやつの方がうまいのかもしれないという印象でした。

さて偶然見つけた蕎麦屋から偶然知っている味わいの発芽蕎麦と再会して、仙台では偶然にもその蕎麦屋と同時期に開業したという蕎麦屋を訪ねることとなったのですが、「偶然は三度までは信じていい」らしいので、ここまではボーダーライン。しかし、何かにいざなわれているのではないか? という心理もまた働いているのです。

 

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