痛み止めと痛みの鬼ごっこのような日々。昼は安静とリハビリで過ごして夜は安静と睡眠で過ごせ・・・るわけもなく書類だ原稿だ講演の依頼だ(すいません、これは丁重に辞退しました)に苛まれながら、原稿書くったって図書館に行けないのよと、インターネットを徘徊して資料探しをするのですが、どうしたものか、ネット上の情報というのは図書館や資料館の書物ほどの信頼性を抱けないものがあります。それでまた悪循環に陥るわけで、ときどき仕事をぶん投げて、違うものを探し当てたり当てなかったりするのです。
それでびっくり、この楽曲とン十年ぶりの再会。
日本テレビ開局20周年の企画番組だったとかで、当時そんなことまでは知りませんでしたが、この「さよなら・今日は」は、ちょっともう解説しきれないほどめんどくさい豪華キャストのドラマでした。それでまあそんなドラマをまたよく見ていたものだ(たぶんチャンネル権がお袋にあったのでしょう)と思うけれど、ドラマの話は置いといて、チューリップともガロとも違う不思議な旋律と声色で、まがじんというグループに耳が釘付けになったのでした。おそらくまだ、つくばーど基地には、挿絵そのもののジャケット装丁のシングルレコードが残っているはずですが、彼らの楽曲を聴くことができたのはこれ一曲のみでした。
この曲は赤い鳥の「目覚めた時には晴れていた」(後にビリー・バンバンや伝書鳩もカバー)、ビリーバンバンの「さよならをするために」につながる旋律で、いずれも坂田晃一さんによる作曲。誰ですかそれは? というジェネレーションに対しては、「母を訪ねて三千里」とか「ふしぎな島のフローネ」とか「南の虹のルーシー」とかの音楽プロデューサー… まだギャップがあるとすれば、「コクリコ坂から」の主題曲の元の歌の作編曲をやった人です。そういえば、まがじんのこの曲の作詞を担当した万里村ゆき子さんが、コクリコ~の主題歌の元々の作詞をやっています。
が、こういうデータは後年知っていくお話で、子供時代の自分には、強烈に耳に残る旋律で印象付けられたものばかりです。しかし引き合いに出した二曲よりも鮮烈に体験したのは、まがじんの曲を知るさらに1年前に出っていたこっちの曲でした。これはもう阿久悠さんの詞にも持って行かれた感がありますが、なんというか、ほら、片思いの一つも始まっていたかもしれない(そういう記憶はすでに干からびて、無い)ませた小僧が、ロックンロールな方向にのめり込む直前によろめいた旋律だったのです。
あー、たった一曲になげーよ・・・ でもすべてテレビがもたらしたものだったのね。ついでによくよく見てみたら、ここに出てくるドラマ(アニメーションは除く)って、全部、浅丘ルリ子さんの出演や主演なんだけれど、僕自身は浅丘さんは苦手なタイプです。