そんな演歌みたいなタイトルつけたくないですが、宇宙戦艦ヤマト2199の最後のドラマは、換えることのできない沖田の去就と、放射能除去装置に代わるコスモリバースシステムの仕掛けとなった古代守が場を固めていきました。
このコスモリバースというシステムについては、ドラマ内で取りざたされた波動エネルギー兵器の危機感以上に、危ない爆弾をヤマト世界に創造してしまったような気がします。星のエレメントについて、その星を思う心の扱い方をなぜあの二人の立場でやってしまったのか。そこに落とし穴があります。
思いという表現を人の魂、ひいては命を吸い取るかのようなシステムの印象は、40年近く経つのに森雪の衣装をそういう風にしか描けないのかとかいう苦笑いとともに、速いとこ改めるべきでしょう。と言っても今さら遅いのかと、エンディングを眺めてまたびっくり。
テレビ放送版に関しては、言ってみれば「月9」のお株を奪いそうなエンディングにまとまっています。うちの女性陣に言わせると「アニメのエンディングテーマ曲をJUJUが担当するって珍しいよね」とのことですから、第7章分たった4回の起用はかなり贅沢なもののようです。最終回のみ、エンドロールはドラマとかぶせましたが、絶妙にシンクロしていました。が、あえて宮川楽曲を押しのけてそうする必要があったのか。劇場や映像ソフトと異なる音楽の差し方には多方面の事情を感じざるを得ません。
それでねー、あー終わっちゃったよーと病床で痛みに耐えながら見ているときに、間髪入れずに「完全新作劇場映画 2014年」などという画面を出さないでくださいよ。そういうのは1週間早いよ。それでもってまた矢継ぎ早に「ヤマトどころではないでしょうけれど、最後の最後でやられましたー」とか、和邇さんからメール着信があるもんだから、はからずも次回作のプロット深読みしちゃったじゃないですか。まあまずはコスモリバースのための原料について、もうちょっと違う組み立てをするべきかなあ。
劇場に足を運んだ者まで欺くようなやり口に、帰還の感動もへったくれもなく
只々腹立たしいやら呆れるやら。
しかもチョッピリ期待している馬鹿な自分が、たまらなく嫌いだ(笑)
おかげでバチが当たって、とうとうハンドルすら回せなくなりの電車通勤(泣)
電車乗るのが大の苦手なもんですから、毎日が地獄です。
お互い、おとなしく養生しませうね。痛たたたたたたたたたたたたたたた…
こういう上映と配信、放送のやり方というのは、本来望ましいことではありません。完成したフィルムやらデータを軽々と変更改編できるとなれば、もういくらでもバージョンを増やせる。フィルムが作品のすべてでなければいけないはずの、作り手の責任がうやむやです。
そういうことをしてもいいんだ、という不文律を築いてはならないですよ。
アレで育った世代ですが、まあ、リメイクはリメイクとして、それなりによかったんじゃないの、と、TVシリーズを評価していただけに、最後の最後で裏切られた、という感じですね…。
やっぱりわたしの中では「さらば」で完結している作品です。
映画版を先に観ているので、、決定的な違いは四話分にちょっと足りない尺の映画と、四話を週一で区切ったテレビの観方とでは、実はテレビの方が歯切れがいいように思います。だからタイムキーパーはいい仕事をしています。
まあでも両方に言えることが「お前ら何しに行ってきたんだよ」と言いたいことですね。そういう軽さはあります。