Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

風化させない。それは気持ちの問題なのか

風化させない。それは気持ちの問題なのか はコメントを受け付けていません

南三陸突如、かどうかは知りませんが、先日復興大臣が宮城県にやってきて、震災の記憶を風化させないためにも、震災遺構を残すべきか片付けるべきかの議論をしましょうと言いまして、宮城県知事の招集によって本日、被災地の首長達が宮城県庁にてその議論を始めることになりました。

震災遺構とはつまり、あの津波によって大破しながらその骨格だけは残されている建造物のことです。代表例が、南三陸町の防災対策庁舎で、ここに残って最後まで避難放送を続けながら亡くなられた女性職員の逸話は、それこそ風化させてはならず、別の視点ではきっと風化しないだろうという記憶です。

同じ県内の隣町とも言うべき気仙沼市に打ち上げられていた漁船は、残す残さないの紆余曲折の末に先月末に解体が終了しましたが、庁舎は民間の持ち物でないために、解体が南三陸町長の決定事項であるにもかかわらず、待ったをかけられた状況です。

知事によれば、遺構として残すべき価値はあるが、一存でそれを押しつけることはできない。そのことについてあらためて話し合いたい。というアナウンスでしたが、もうじき被災から3年目がやってこようという今、これを議論の素材にする理屈とは一体なんなのか。風化させてはならない記憶とは、物質的な保存がなければ押しとどめることが出来ないのかと思うと、いささか哀しい気がします。

そんなんだったら、沿岸の防波堤の修復なんかやめたらいい。と言われたらどうするのだろう? やめるはずがないし、やめない理屈はびしっと立ててくるのでしょう。もちろんやめる理由もないのですけど。

宮城県内には、沢山の児童が亡くなった小学校もそのまま処遇を決められずに、どうしたらよいのかと横たわっています。防災対策庁舎にしても、復興途上の様子と被災の凄惨さを知らせたいという趣旨でやって来る見学者は後を絶たないけれど、解体されその存在が無くなった気仙沼の漁船の場所には、今は誰も寄りつきません。だから残していくべきだという論旨があるのかもしれませんが、復興の進め方や、そこに居続ける遺族を含めた土地の人々のためには、一切合切無くしてしまった方が、思いの切り替えが出来るのではないかと感じます。

記憶を風化させないやり方は、ほかにもあると思う。

Comments are closed.