ライダー、戦隊、宇宙刑事に続いて人造人間を発掘蘇生するこの企画について価値があるとすれば、敵と戦う構図はまあ排除できないにしても、存在意義を求めさすらうロードムービー型の舞台設定ではないかと思います。もう幕張メッセもさいたまスーパーアリーナもつくばセンタービルも水戸芸術館も出してはならない。大雪山の山麓あたりから始まって、延々と南下を続けて飛騨高山でイチローと邂逅し、沖縄県の砂浜と海岸線で決着をつけるくらい、舞台に見せ場を、ジローの放浪とギターの音色に物語を、サイドマシンの疾走に美しさを演出して、たとえ大ゴケしても映像だけは素晴らしい絵が撮れれば、それでいいのではないかと思います。
一部の人々の談を借りれば、戦い苦悩する人造人間としてのオマージュは「超人機メタルダー」がとうの昔にやってのけているというし、キカイダーそのものの再構築は「人造人間キカイダー THE ANIMATION」(01編にも続く)で行われ、コミカライズの「キカイダー02」では新しい解釈の人造人間像にも挑んでいます。
原作者のテーマが深いために手が出せなかったというのは解からんでもありませんが、本来はお金と手間をかけさせてもらえない企画だと吐露しているように聞こえて、そこにヒーローものの子供番組ラベルを引きはがせるだけの力量が無いことも見え隠れしています。もともとロードムービー嗜好で行方不明の光明寺傳博士を探しながら旅を続けた娘と息子を、追っ手のダーク破壊部隊から護っていくという構図の人造人間キカイダーは、子供向けでやったって構わないけれど、それを突破できる素地を持っているということです。
この企画は、往年のファンであるおとーちゃんやおかーちゃん、現役の若いかーちゃんたちの財布ではなく、独身女性の話題をさらうような作りでやるべき・・・と書くとかなり誤解を生みそうですが、石ノ森章太郎さんが原作マンガを掲載していた少年サンデーは当時、けっこうたくさんの女子高校生が読んでいたのですよ。