ずーっと昔のヨーロッパの人々が、開墾だとか農耕だとか戦争だとかで娯楽が無いんだよなあという暮らしの中から、「明日くらい若いモン同士で羽目を外してこいや」と、信仰する農耕神と婚姻の神とを祭って、男女それぞれ自分の名前を書いた紙きれを籠の中に入れておいて、引き当てた相手と祭りの日を好きなように過ごす。それがキリスト教席巻以前の2月14日の風習だったそうで、自動的に子孫繁栄(あ、途中を思いっきり端折ったよ)でもあったのですが、これを風紀の乱れはなはだしいと禁じた支配階層が、神話を封じ込めて風習を書き換えるに至ったのが、聖ヴァレンティヌスなんとかさんの殉教話による上書きです。
チョコレートを贈り物にする風習にまでブラッシュアップされている現代、それでもおそらく端折った部分も含めて祭りごとの本質はけっこう健全に継承されているものなんではないかと感じますが、これをチョコレートの販売と結びつけた1950年代の伊勢丹の担当者はたいしたもんです。もしも大福だったり鯛焼きだったりで企画を命じられていたら、どうなっていたですかねえ。
まあなんでもいいんですが、どのみち僕のところに来るのは受け狙い競争の構造から逃れられないのね・・・