和邇さんが長年愛用してきたTD02Vがいよいよ各部の劣化と故障に耐えきれなくなり、6月5日付で退役となりました。そんな型式聞いたことが無いという人のために説明しますと、これは北米仕様のSIDEKICKロングで1992年式モデル。その昔発刊されたハイパーレブ「スズキエスクード」をお持ちの方なら、年式間違えてますけど76ページに紹介されている個体です。約25万キロを走っての引退は立派なヘビーユーザーで、逆輸入車というだけでなく、1個体のコンディションを整備し直し続けて21年間維持し続けてきたこともエスクードファンとして頭の下がる話ですが、実は和邇さんはアンチエスクード派なのです。
「80年代、私はロングボディのジムニー1500(そんな車種はまだない)の登場を待ち望んでいたんですよ。それなのに理想の小型車として出てきやがったのがエスクード。こんなに悔しいことはないんで、生涯エスクードなんかにゃ乗るものかと、理想の小型車としてSIDEKICKを手に入れたんです」
90年代の終わりに和邇さんと初めてお会いしたとき、彼はそんなエピソードを話してくれました。あの当時、エスクード自体は初代がクリーンヒットしながら、ミーティングにやって来る仲間の車を眺めて、同じ仕様が1台もないというカスタム化の波が押し寄せていました。平たく言えば「よその人の乗っているのと同じ車には乗らないよ」というアピールがバラエティ豊かだったのです。
和邇さんの主張はその中でも屁理屈も理屈どころか、大技小技の塊で、誰にもまねのできない1台を仕上げていました。
「内外装の部品を自分で取り外して、21年間よく頑張ってくれたなと感謝しております。フジ・オートさんの店舗に到着した時点で航海も終了。なんだか寂しいなあ」
出てきた当初は軟派だの半端だのと言われた初代ですが、和邇さんのSIDEKICKを眺めたら、なかなかどうしてヘビーデューティーな仕様だって不可能じゃなかった。見た目ノーマルを主張としているBLUEらすかるとは異なる、直球勝負のドレスアップ(僕は知りませんが、昔存在したクラブミーティングの第1回「かっこいいエスクード」に満場一致で選ばれたとか)いずれにしても長い航海は終わりを告げ、静かにG16Aエンジンはキーオフされたそうです。
で、
和邇さんはフジ・オートのガレージにて、同型式の2号車の整備に入ります。
いや、その存在は昔から知ってるけどさ(笑)
こちらは1号車からのパーツ移植を施され外観を復活させる予定ですが、長期不動の状態から復旧させるためにかなりの部品を新調することになります。だから1号車よりも力強く走り出せる2号車が期待されます。
まあなんでもいいから早いとこ整備を終わらせて力技で有給とってお披露目しなさい!
むむむ
気になりますね~~~
「とりあえずグラブとブーツを赤くしなくちゃいけないかなあ」
とは和邇さんの言葉です(わかる人だけわかればいいです)
それはともかく、今回の二号車復旧に際して、いまどきですよ、この世代のエスクード用パーツが、アメリカじゃ新規開発されて発売されていることがわかり、和邇さんそいつに食いついちゃったみたいです。